
【スペシャルインタビュー】スノーボード世界選手権を制した小須田潤太が見据えるパラリンピック金メダル
今年3月にカナダ・ビッグホワイトで開催されたパラスノーボード世界選手権。各旗門に深いバンクが設けられたコースを滑り降り、タイムによって競われるバンクドスラローム(LL1)が、大会2日目に行われ、日本の小須田潤太(オープンハウス)が優勝した。この種目での世界選手権優勝は、日本初の快挙である。

「東京2020パラリンピックの陸上競技に出場した後、パラスノーボードに競技を絞ってトレーニングを重ねてきたことと、さらに昨シーズンから一般のスノーボードクロスで実績のある元木勇希さんがパラスノーボード日本チームのコーチに就任されたことが、今回の結果につながりました」
1990年、埼玉県生まれの小須田は、21歳の時に交通事故で右大腿部を切断。走る義足を体験するクリニックで、同じ障がいの山本篤氏に出会い、2015年から本格的にパラ陸上競技を始めた。翌16年には、現在所属するオープンハウスに入社。競技生活のサポート環境が整ったことで、18年にはパラスノーボードにも挑戦するようになった。
東京2020パラリンピックの陸上競技に初出場し、男子走り幅跳び(T63)で7位入賞。さらに半年後の2022年に開催された北京パラリンピックにはパラスノーボードでも出場し、スノーボードクロスで7位入賞を果たした。

パラスノーボードに専念するようになって大きく変わったのは、使用するボードの特性を活かして、自身の技術を向上させることができるようになったことだと語る。
「氷のようなハードバーンでの高速性の高いボード、回転性に優れたボード。それこそ、さまざまな個性を持っています。形状や硬さ、フレックスなどの性能によって、ターンの質が変わる。あるボードではできなかったことが、違うボードならできる。それを繰り返すうちに、よりスピードの出るボードで自分の思い通りのターンを実現できるようになってきたのです」
さまざまなボードを操作する中でテクニックを磨いていきたいという思いが強い。だから、あえてマテリアルサポートは受けていないと言う。パラスノーボードに取り組み始めた時からスノーボードクロスが得意だったと言うが、スピードを競うバンクドスラロームで成果が出るようになったのも、こうした探究心によるところが大きいのだろう。
「僕は、義足の右脚が後ろ足になるレギュラースタンスですが、膝折れを気にせずにターンできるヒールターンが武器」
スノーボードの日本選手権大会で優勝経験のある元木コーチからも、「小須田のヒールターンは、絶品!」とお墨付きをもらっている。

とはいえ、今回の初優勝は通過点と語る。
「優勝できたから自分は世界一だ、なんて思いません。今でも他の選手のほうが自分よりスキルがあって、僕は一生懸命追いかけているという感じ。できなくて当たり前で、でも、練習が楽しくて、楽しくて、すごく考えながら自分を高めることに集中できているんです」
ワールドカップも世界選手権も、来年のミラノ・コルティナパラリンピックのスノーボードクロス、バンクドスラロームで2冠を達成するための過程であり、結果は自分の現在地を確認するための道標であると。
来年3月に迎える、小須田の本番。パラリンピックでの金メダルにフォーカスして、雪山に向かう。
取材・文/宮崎恵理 写真提供/株式会社オープンハウスグループ