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  未知の領域へ 小椋久美子さん・鈴木亜弥子さん(その1)

未知の領域へ 小椋久美子さん・鈴木亜弥子さん(その1)

お二人がバドミントンを始められたのはどんなきっかけでしたか。 鈴木●両親がともにバドミントン選手で、年子の姉もバドミントンをしていたので、自然と始めました。小学3年の時です。 小椋●私は小学2年の時から。4人兄弟で姉、兄、私、弟なんですが、地元が住民1万人ほどの小さい町でスポーツ少年団で女子ができるスポーツがバドミントンとバスケだったんですね。兄弟4人が一緒に楽しめるスポーツということでバドミントンでした。 お二人とも高校時代にはインターハイに出場しています。競技者としての意識はいつ頃覚醒したのでしょうか。 鈴木●中学3年の時に関東大会のダブルスで優勝したんです。誰も期待してなかったので、あ、勝っちゃったみたいな感じでした。 小椋●高校はどこですか。 鈴木●埼玉県の越谷南高校です。インターハイ団体戦でベスト16。その後、JOC(ジュニアオリンピック)に出場して全国大会で2位になりました。 小椋●え、JOCの全国大会で準優勝? それはすごい! 鈴木●ダブルスで1回だけ。その大会で2位になったことで2004年の全日本に出場できたんです。 小椋●その全日本、大阪で開催された大会ですよね? 鈴木●そうです。その時、小椋さんが優勝されています。うわあ、こんなすごい選手がいるんだって、衝撃受けてました。 小椋●私たち初めての優勝だったからよく覚えてる。でも、無我夢中で何も見えないなかで戦っているような記憶だなあ。ただがむしゃらに頑張ってたという感じで。 鈴木●本戦に出場できたので、すごく思い出があります。 小椋●私は高校が四天王寺高校という強豪校にいて、2年の時にインターハイのダブルスで準優勝。普通、準優勝なら結果としては決して悪くないですよね。それなのに、次の日の練習からさらに厳しくなって、負けは許されないという空気でした。最初はすごく戸惑いましたけど、それが当たり前のなかで続けていたら、自分もやっぱり〝優勝したい〞と思うようになりましたね。卒業して三洋電機に入社してから、責任感が芽生えました。鈴木さんは今、実業団チームに所属されてるんですよね。 鈴木●はい、七十七銀行に。 小椋●お仕事もされてる? 鈴木●午前中はオフィスワークで す。 小椋●私も、週に2日、半日は仕事でした。ちゃんと制服に着替えて工場に行って。高校までは親にバドミントンを続ける費用は全部面倒見てもらっていた。でも、自分できちんと仕事としてお金をいただいてバドミントンを続けるというのは、責任感とか大きく変わりません? 鈴木●変わりましたね。優勝しなきゃって、すごく思います。 * 小椋選手が2008年北京オリンピックに出場された1年後、2009年に鈴木選手はパラバドミントンの世界選手権で優勝されました。 小椋●でも、2010年のアジアパラで優勝した後、一度現役を引退されたって聞いています。 鈴木●はい、2011年から2015年までの5年間、バドミントンから離れてました。 小椋●5年間! それは長い。 鈴木●2020東京パラリンピックでバドミントンが正式種目になることが決定して、それでもう一度やろうと思って、そう決めてから七十七銀行に入行したんです。 小椋●東京が決まってから復帰したんですか。やっぱり、東京はすごいパワーがありますね。 鈴木●2014年の10月に正式種目決定というニュースを聞いた後、1年間じっくり考えて復帰を決意したんですね。改めてラケットを握ったのは、復帰を決めてからでした。 小椋●復帰して最初、ラケットにシャトル、当たりましたか(笑)。 鈴木●姉とプレーしたんですが、クリア(注:相手コート奥に返球するショット)を飛ばすのもいっぱいいっぱいでした(笑)。 小椋さんがパラバドミントンを初めてご覧になった時の印象は。 小椋●鈴木さんと同じ障がいカテゴリーの豊田まみ子選手の取材したのが最初です。その時にちょっとだけラリーをしたんですよ。彼女は片腕がないのですが、この身体のバランスでこんな力強い球が打てるのかと。自分の身体を理解して、どう動かしたら打てるのかをすごく考えてるんだろうな、と感じました。 * 一般のバドミントンもパラバドミントンも、世界のなかでアジア、そして日本は強豪国です。その理由はどのようなことなのでしょうか。 小椋●パラバドミントンだと、アジアの強豪国ってどこですか。 鈴木●クラスによって違いますが、私と同じ上肢障がいでは中国、インドネシア、マレーシアなどですね。義足などのクラスでもインドネシアが強いです。車いすでは韓国。 小椋●そうか、一般のバドミントンと同じですね。中国は北京オリンピックを目指してシドニーやアテネの頃から強化が進んでいたんです。中国の場合は、優勝すれば一生保証される。それが大きなモチベーションになってますね。インドネシアやマレーシアはバドミントンが国技になっていて、町の公園みたいなところにネットがある。自然と小さい時からテクニックが身につくし、外でやっているから風にも強い。ブラジルのサッカーみたいな感じかもしれませんね。楽しみながら小さい時からバドミントンをやっている。 鈴木●環境は大事ですね。 小椋●日本でも、とくに最近は小さい時から楽しみながらやっていて海外選手を相手にしても怯まない。そこは私たちの時代と変わってきたなあって思いますね。それでいて、日本の伝統的な粘り強さが継承されているので、海外選手からいつも賞賛されています。一般のバドミントンでは、今ジュニア育成がすごく確立されていて、それが結果につながっていると思いますね。 鈴木●ジュニア育成はいつ頃から? 小椋●アテネ五輪が終わった後に朴柱奉(韓国の元バドミントン選手で、現在は指導者として活躍)さんが日本代表監督に就任されて環境が大きく変わりました。ジュニア育成で言えば、U 13というカテゴリーがあって、最近は小学生でも海外遠征に出かけたりしています。ジュニア世代で世界の戦い方、選手を知る経験は貴重ですよ。 鈴木●そこはパラバドミントンの世界とは違いますね。 小椋●私たちの時代って、オリンピックのバドミントンの試合も中継がなかったから、先輩たちがオリンピックでどういう戦いをしているのかは、せいぜい専門誌で写真と記事を見るくらい。でも、今の子供たちは日本人選手が世界で活躍している姿をテレビで見ることも多いから、自分たちも頑張ろうって具体的にイメージできるのかな。


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