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「挑め、自分史上最強。」パリ2024パラリンピック日本代表選手が結団式に集結!

「挑め、自分史上最強。」パリ2024パラリンピック日本代表選手が結団式に集結!

田口亜希団長から旗手を務める石山大輝選手と西田杏選手に団旗が手渡されたパリ2024パラリンピック競技大会に出場する日本選手団の結団式が、都内で開かれた。会場にはこれまでに選ばれた160人の選手のうち117人とコーチ・スタッフら80人が集結。8月28日の開幕を控え、競技の垣根を越えて結束を高めた。式には秋篠宮皇嗣殿下、同妃殿下がご臨席。秋篠宮皇嗣殿下が「パラリンピックはパラアスリートにとって最高の競技の舞台のひとつです。日頃からの成果を存分に発揮されることを期待しております」と選手を激励するおことばを述べられた。また盛山正仁文部科学大臣、フィリップ・セトン駐日フランス大使、室伏広治スポーツ庁長官らが登壇し、岸田文雄内閣総理大臣からはビデオメッセージが届けられた。式では日本パラリンピック委員会の森和之会長から田口亜希団長に団旗が授与され、団長から旗手を務める石山大輝選手(陸上)と西田杏選手(水泳)に手渡された。スローガンは「挑め、自分史上最強。」式典では、パリに挑む日本選手団のスローガンが発表された。多数の候補から3つに絞り、選手投票で最終的に選ばれたスローガンは「挑め、自分史上最強。」。石山選手は「一人一人がこのスローガンを胸に世界の壁、自分の壁に挑みたい」、西田選手は「お互い意識を高め合ってベストパフォーマンスを発揮し、今まで以上の自分に出会える大会にしたい」と抱負を述べた。左から副団長の中澤吉裕、旗手の西田杏、団長の田口亜希、旗手の石山大輝、副団長の井田朋宏の各氏パリ大会に臨む日本選手団は、この日までに決まっている160人に加え、今後も追加される見込みで、海外で行われる大会としてはアテネ大会の163人を上回り史上最多となる見込み。今回で17回目となるパラリンピックがパリで開催されるのは初めてで(オリンピックは100年ぶり3度目)、選手たちは東京パラリンピックと同じ22競技、東京大会より10種目多い539種目に挑む。

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パリパラリンピック日本代表選手決定!(第2次発表)
「街なかパラスポット」都内2会場で開催!
アシックスが日本デフ陸上競技協会とオフィシャルトップパートナー契約を締結
東京都立大学モルック体験教室 参加者募集中(参加無料!)
冬季デフリンピックでメダルを獲得した東京都ゆかりの選手に都民スポーツ大賞を贈呈
神戸2024世界パラ陸上競技選手権大会を盛り上げるアシックス

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オープンハウスグループのダイバーシティ推進活動(第1回/全2回)――「OPENHOUSEのO-ENフォーラム」開催

オープンハウスグループのダイバーシティ推進活動(第1回/全2回)――「OPENHOUSEのO-ENフォーラム」開催

障がい者雇用をはじめとする企業のダイバーシティ活動を紹介する特集。今回は不動産業を中心に住まいや暮らしに関連する各種サービスを展開する株式会社オープンハウスグループをレポートする。(全2回中の第1回)オープンハウスグループは、障がい者の雇用を積極的に進めており、2023年6月1日時点の障がい者雇用人数が100名を超え、雇用率は法定基準を満たす2.9パーセントを達成している。2018年4月から障がい者雇用義務の対象として加わった精神障がい者が、全雇用障がい者の約70パーセントを占めていることも特筆すべき特徴だと言える。同社は「誰もがやりがいをもって活躍できる社会の実現」に向け、目標雇用率を3.0パーセントに設定し、新卒採用も視野に入れて積極採用を継続していくと言う。オープンハウスグループは、その企業姿勢である「挑戦する人や組織を応援する」を目的に、各界で問題提起やディスカッションを行う「OPENHOUSEのO-ENフォーラム」を企画。その第1回目として、6月9日に「パラスポーツと共創する新たな未来」と題したパネルディスカッションが開催された。登壇したのは、同社に所属するパラスノーボードの小須田潤太選手(ブランドコミュニケーション部)、デフ陸上・走り高跳びの髙居千紘選手(コカ・コーラ ボトラーズジャパン)の2人の現役パラアスリートに加え、ゲストとして大リーガー・プロ野球で活躍した五十嵐亮太さん、障がい者スポーツに詳しいフリーアナウンサーでスポーツライターの久下真以子さんの計4人。2人のパラアスリートが競技を始めた経緯、現在の会社での仕事内容、パラリンピックやデフリンピックに向けての目標などを話し、五十嵐さん、久下さんが時にユーモアを交えながらトークを盛り上げた。 会場に集まった約50人の参加者は、登壇者の活発で笑いあふれるセッションを楽しんだ。小須田選手は21歳だった2012年に、引っ越し会社の社員として運転中のトラック事故で右大腿部を切断。その後に参加したランニングクリニックがきっかけで陸上競技を始めた。そして競技をより本格的にできる環境を求めて、2016年にオープンハウスグループに入社。東京パラリンピックでは陸上競技、北京パラリンピックではスノーボードに出場したが、メダルを目指して現在はスノーボードに集中している。入社後、宅地建物取引士の資格を取得しフルタイムで仕事をしながら競技活動を行っていたが、現在は競技に100%しているという生まれつき聴覚に障がいがある髙居選手は、中学ではバレーボール、高校から陸上を始めジャンプ力を生かして走り高跳びの選手に。デフリンピックでのメダルを目指して日本体育大学で陸上を続け、同大学と障がい者支援に関する包括協定を結んでいたコカ・コーラ ボトラーズジャパン株式会社に2020年に入社した。同社では人事関連のデータを取り扱う仕事に就いているというディスカッション終了後は、希望者が2選手との交流会に参加。交流会では小須田選手が義足の仕組みや義足での動きなどについて説明したほか、髙居選手は昨年から始めた十種競技について、練習の配分などについて話した。小須田選手が義足についてレクチャー。普段はあまり聞くことができない話に参加者は興味津々会場は終始和やかな雰囲気に包まれ、1時間40分のイベントはあっという間に終了。参加者からは「こんなに笑ったパラスポーツやデフスポーツのトークショーは初めて」「障がいを持つ若者やキッズ、その親御さん向けにもこういった機会があれば良いのかとも思った」などの感想が聞かれた。会場には小須田選手の義足、高居選手が獲得したメダルなどが展示されたオープンハウスグループはパラスポーツの発展、障がい者がさまざまな形で活躍できる社会の実現につながる機会として、今回のパネルディスカッションを開催したという。「今後も、パラスポーツの発展、障がい者が活躍できる社会の実現のため、さまざまな形の取り組みを行く」という同社の活動に注目していきたい。※第2回目の記事配信は7月下旬を予定しています。
パリで金メダルと世界新記録を目指す期待の新星―福永凌太(陸上競技:視覚障害T13クラス) 

パリで金メダルと世界新記録を目指す期待の新星―福永凌太(陸上競技:視覚障害T13クラス) 

東京2020パラリンピック以降、新たな選手が続々とデビューを果たしている。その中には、すでに今夏開催されるパリパラリンピック出場を決めた選手もいる。東京パラリンピックをテレビで見て、憧れてこの世界に飛び込んだという選手もいれば、一般のスポーツで活躍していたが、障がいがあることからパラスポーツの存在を知って新たな世界にシフトした、という選手もいる。いずれにしても、東京パラは、広くパラスポーツを広め多くの挑戦者がその扉を開いたのだ。それこそが、東京大会のレガシーである。高校時代は棒高跳び、大学時代は十種競技で活躍パラ陸上競技の視覚障がい選手である福永凌太も、東京大会以降にこの世界に飛び込んだ一人だ。中学、高校時代には棒高跳び、中京大学に進学してからは十種競技の選手として活躍していた。大学卒業を目前に控えた4年前、パラ陸上の存在を知り、転向した。昨年パリで開催された世界選手権に初出場し、T13クラス400mでアジア新記録となる47秒79で金メダルを、走り幅跳びで銀メダルを獲得。4位以内に与えられるパリパラリンピックの出場枠を掴んだ。今年8月のパリパラリンピックでメダル獲得が期待される、大型新人なのである。1998年に滋賀県で生まれた福永には、幼少期から中心視野が見えづらいという視覚障がいがあった。徐々に視力は減衰し、中京大学に進学してから錐体ジストロフィーという診断名を告げられた。子どもの頃は、友人とサッカーや野球をしたいと思っていたが、ボールが見えづらいと思うようなプレーができない。サッカーの体験教室などで、うまくいかない姿をジロジロと見られるのがどうにも耐えられず、球技はあきらめた。一方で、小学5年から地元のクラブで陸上競技を始めた。見えづらさのハンディキャップを感じないですむこと、仲良しの友だちが一緒に陸上を始めたことがきっかけだったという。進学した中学の陸上競技部の顧問が熱心で、すでに棒高跳びに取り組む先輩もいたことから、福永も棒高跳びを始めた。高校では、2年、3年と続けてインターハイにも出場。大学でもそのまま棒高跳びを継続する選択肢もあったが、混成種目である十種競技に取り組んだ。十種競技でも西日本インカレに出場するなど活躍していたが、大学4年時にはコロナ禍で大会そのものがなくなった。「このまま就職すれば、陸上競技の第一線から離れてしまうかもしれない。あきらめざるを得ない状況でした」「メダルを狙える」。大学卒業を前にパラ陸上へ転向初めて出場した2023年の世界パラ陸上で見事金メダルを獲得(T13 400m)そんな時、家族からパラ陸上の存在を聞かされる。「パラ陸上でのさまざまな種目の世界記録やパラリンピック記録などを調べてみると、自分の持っている記録であれば、世界の舞台で決勝進出は夢じゃないということがわかった。メダルを狙える位置にいる。これまで取り組んできた一般の陸上競技とは場所は異なるが、パラ陸上に人生をかけたい、と強く思うようになりました」小学生の頃から、トレーニングをコツコツ積み重ねることでレベルアップする過程に何よりも充実感があったという。始めた頃の熱量は、パラ陸上に転向しても変わることはない。十種競技には棒高跳びのほか、短距離から1500mまでのトラック種目や、走り幅跳び、投てき種目などがある。福永は、2020年にパラ陸上にデビューすると、100mと円盤投げで当時の日本記録を更新。鮮烈なデビューを果たした。大学卒業後は、中京大職員として勤務しながらパラ陸上に取り組んでいたが、さらなるレベルアップを求めて、今年4月に日体大大学院に進学。慣れ親しんだ環境を飛び出して単身上京し、研究と陸上競技を両立させている。シンプルにリスペクトできる好敵手の存在神戸2024世界パラ陸上では、アルジェリアのスカンデルジャミル・アスマニ(中央)に敗れ銀メダル「今、この瞬間ということでは、悔しさしかない」今年5月に、神戸で開催された世界選手権に、福永は昨年の覇者として臨んだ。その400m決勝で、アルジェリアのスカンデルジャミル・アスマニが46秒44の世界記録をマークして優勝。福永は47秒86で2位に。その直後のコメントだった。「去年、パリ大会で優勝した時には、やっと目指したところに来られた、という思いがありました。パラ陸上を始めてからは3年ですが、自分としてはようやく辿り着いた、という印象でした」福永が優勝した昨年の400mに、アスマニは出場していない。招集時間に遅れたことで、欠場を余儀なくされたのだった。そのアスマニとの決戦が、今年の神戸大会に持ち越された。アスマニは、400mより先に行われた100mのレースでも大会記録を更新して優勝している。「100mのレースを見た時に、これほど仕上がっているアスマニ選手に対して、47秒台では勝負にならない、46秒台の世界記録を狙うくらいでなければ勝てないと感じていました。実際には、まだ自分はそこまで完成されていない。去年のパリ大会の時には、ベストが出る自信があって臨んだけれども、神戸ではその段階に至っていない。スタートラインに立った段階で、負けを確信していたんです」福永は、普段から400mを45秒台で走るような一般の陸上競技選手らをトレーニングパートナーとして練習している。だからアスマニのスピードが突出して感じられたわけではなかったという。「それでも、彼がスタートラインに立った時、どれほどの練習をしてきたか、一目瞭然でした。実際、速かった。シンプルに尊敬できる選手だと感じました」アスマニは、レースプランとして昨年の金メダリストである福永を意識したという。「リョウタが追いかけてくるぞ、追いつこうとしているぞ、自分に言い聞かせ、逃げ切ることがレースのテーマだった。そうして走ったことで、世界記録と金メダルを実現できた。リョウタが導いてくれたんだよ」そう語る、アスマニはゴール後、福永を迎えてハグで互いの健闘を讃え合った。「昨年のパリ大会でも、神戸でも、パラ陸上はシンプルにスポーツとして自分に感動を与えてくれました。アスマニ選手のような素晴らしい選手がいる。僕をライバルとして意識して戦っていたこと、それを言葉にしてくれたことで、彼の人間性の高さをも感じることができました」陸上競技が本当に大好き。見えない境目を壊していく選手でもありたい関東インカレ3部では400mで優勝神戸での世界選手権直前には、福永は関東インカレ3部(大学院生が出場するカテゴリー)の400mで優勝している。「なかなか思うような走りができないジレンマがある中で、1週間前に行われたレースで感じた課題を修正して臨んで、優勝できた。関東インカレは、パラ陸上とは別の、もう一つの憧れの舞台でもあったので、そこで優勝できたことは素直に嬉しい」インターハイやインカレといった一般の競技大会に挑戦するパラアスリートは少なくない。福永の優勝は、後に続く者たちに大いなる勇気や希望を与えたはずだ。「もともと、陸上競技が本当に大好きなんです。健常者の陸上、パラ陸上という違いがあるのではなく、ただ、陸上競技が存在する。見えない境目を壊していく選手でもありたい」初めての出場となるパリパラリンピックが、まもなく開幕する。「理想とする走りのイメージにどれだけ近づけていけるか。体の動きの質を高めていって、パリパラリンピックのレースを迎えたい。尊敬するアスマニ選手と、今度こそ本当の勝負をして、アスマニ選手が叩き出した世界記録を塗り替えて金メダルを狙います」世界選手権からパラリンピックへ。福永は、舞台を移して、さらなる高みに挑む。福永のトレードマークは「日傘」。強烈な直射日光による紫外線の疲労を防ぐ目的もあるが、ツルピカのお肌の秘密でもあるとか!福永凌大(ふくなが・りょうた)/幼少期から中心視野が見えづらい視覚障がいがあり、中京大学進後、錐体ジストロフィーと診断された。高校時代には棒高跳び、大学では十種競技の選手として活躍。大学卒業を前にパラ陸上に転向すると、2023年世界パラ陸上のT13・400mでアジア新記録で金メダル、走り幅跳びで銀メダルを獲得した。今年の神戸世界パラ陸上では400mで銀メダル。1998年生まれ、滋賀県野洲市出身。日本体育大学大学院所属。取材・文/宮崎恵理 写真/吉村もと
パリ2024パラリンピック競技大会 日本代表選手 第一次発表!

パリ2024パラリンピック競技大会 日本代表選手 第一次発表!

(公財)日本パラスポーツ協会日本パラリンピック委員会(JPC)は、7月4日に開催したJPC運営委員会において、8月28日(水)~9月8日(日)の日程で開催される「パリ2024パラリンピック競技大会」に派遣する日本代表選手団(第一次発表)を決定した。また、日本代表選手団の旗手には、陸上の石山大輝(いしやま・だいき)および、水泳の西田杏(にしだ・あん)の2名が選ばれた。石山大輝コメントパラ陸上競技、視覚障がいT12クラスで走り幅跳びをしています、石山大輝です。今回、旗手という大役を務めさせていただくこととなりました。J-STARプロジェクトでパラ陸上競技を始めてから、パラリンピックはずっと目標にしてきた大会であり、今回出場できることを大変嬉しく思います。また、出場だけでなくこの舞台で勝つことを目標にトレーニングを積んできました。初めてのパラリンピックという舞台を楽しめるように頑張りたいと思います。私たちのパフォーマンスでこれからのパラスポーツ界を盛り上げていけるよう精一杯努力していきますので、ご声援のほどよろしくお願いいたします。西田杏コメントこの度、パリ2024パラリンピック競技大会において日本代表選手団旗手を務めさせていただくことになりました、パラ水泳の西田杏です。このようなお役目をいただき大変光栄です。日本代表としての自覚と責任をより一層感じながら、精一杯務めたいと思います。私たちはアスリートとして、日頃よりたくさんのサポートを受けながら競技へと取り組める環境に感謝をし、多くの方々からの応援を力に変えて、それぞれの目標に向かって頑張ります。そして、日本選手団の活躍が、さらなる共生社会の実現に繋がること、誰かの力になることを信じております。また、世界的なパンデミックを乗り越え、再びスポーツに向き合える日常に幸せを感じております。これまで以上に、私たちの想いをパフォーマンスで表現することで、パラスポーツの魅力や希望・勇気を伝えていける大会といたします。日本選手団への応援を、どうぞよろしくお願いいたします。日本代表選手団(第一次決定)は下記リンクのとおり。https://www.parasports.or.jp/paralympic/jpc/parispara2024/news_detail.html?id=106
神戸2024世界パラ陸上。川上秀太(男子100mT13)、大島健吾(男子200mT64)、鬼谷慶子(女子円盤投げT53)が銀メダルでパリ行き切符獲得

神戸2024世界パラ陸上。川上秀太(男子100mT13)、大島健吾(男子200mT64)、鬼谷慶子(女子円盤投げT53)が銀メダルでパリ行き切符獲得

2024年5月17日(金)〜25日(土)、兵庫県神戸市のユニバー記念競技場で「神戸2024世界パラ陸上競技選手権大会」が開催された。2021年に開催予定だったが、世界的な新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、2度の延期を経て3年遅れで開催されたものだ。日本選手66名を含む、104カ国、1073名の選手が出場し、合計168種目の競技が行われた。パラ陸上の世界選手権は、1994年にベルリンで第1回大会が行われ、今大会は11回目。パリパラリンピックが開催される同年での世界選手権は、初めてのことである。昨年のパリ大会では各種目上位4位以上の選手(国)にパリパラリンピック出場枠が与えられたが、今大会では銀メダル以上の選手にパラリンピック出場枠が与えられる。パラリンピック直前に、選考を懸けた熱い戦いが繰り広げられたのだった。日本チームで、今大会銀メダル以上を獲得しパリパラリンピック出場枠を確保したのは、T13男子100mの川上秀太(銀メダル)、T64男子200mの大島健吾(銀メダル)、T53女子円盤投げの鬼谷慶子(銀メダル)の3名だ。大島は2021年の東京パラリンピックに続き2大会目の出場だが、川上、鬼谷は初めてのパラリンピック出場枠を決めた。しかも、世界選手権出場も初めて。今大会で、2人は、鮮烈な世界デビューを果たしたと言えるだろう。ハイレベルの100mT13で世界に名を轟かせた川上秀太、T13男子100mで銀メダルを獲得した川上秀太(中央右)。10秒70のアジア新記録を叩き出した川上が出場した視覚障害(T13)のレースには、2023年に10秒37の世界新を樹立したノルウェーのサルアムゲセ・カスハファリが出場している。予選でも同じ1組目、川上の1つ内側のレーンをカスハファリが走り、川上は2位通過で決勝に駒を進めていた。5月20日に行われた決勝でスタート直後から飛び出したのは、アルジェリアのスカンデルジャミル・アスマニだった。川上はスムーズな加速でアスマニを猛追。ゴール直前にカスファハリに追い上げられるも逃げ切り、10秒70のアジア記録をマークして2位となった。「パラリンピックの枠取りが達成できたことで、思わずガッツポーズしてしまいました!」。少しはにかむような笑顔で川上が語った。「予選ではスタート直後の4歩目、5歩目付近で姿勢が崩れたことが映像で確認できたので、そこを修正して決勝に臨みました。それがスムーズな加速につながったと思います」。と、結果を振り返った。初めての世界選手権で得た、初めてのパラリンピックへの切符。「T13の100mというレベルの高い舞台で、日本人選手が世界と対等に戦えるところを見せられたのは大きい。自分の自信にもつながります。今日は中盤から後半にかけて少し焦り気味となり、足が流れてしまったところがありました。そこを修正しつつ、基本的なスプリント力にとスタートからの加速の技術を改善できれば、パリパラリンピックでは10秒5、6台には確実に持っていけると感じています」と、力強く語った。昨年10月の記録を3m以上伸ばした鬼谷慶子F53女子円盤投げの鬼谷慶子は14m49㎝のアジア新記録で銀メダルを獲得F53女子円盤投げに出場した鬼谷は、2投目で14m49㎝のアジア新記録をマークし、銀メダルを獲得した。国際大会としては、昨年10月に中国・杭州で行われたアジアパラ競技大会に出場しているが、その時の記録11m01㎝を3m以上も伸ばすビッグスローだった。「実際には、最近の練習では13m台を投げることもありました。が、14mは、自分の中で大きなカベだったのです。だから、正直、自分が想像していた以上の記録に、自分が驚いています」鬼谷は大学生だった20歳の時にビッカースタッフ脳幹脳炎という難病を発症した。首や体幹に力を入れることができず、手足にもまひが残る。中学から陸上競技を始め、ハンマー投げの選手として国体に出場するなど活躍していたという。パラ陸上を始めたのは、2022年。本格的に円盤投げの練習に取り組むようになったのは、わずか1年前である。「まずは投てきフォームを身につける練習に集中していましたが、昨年のアジアパラ以降、筋力トレーニングにも取り組み、筋力強化の成果が今日の記録につながったと感じています」初めてのパラリンピックとなるパリ大会では「15mが目標」。「自分が競技を続ける中で、誰かのチャレンジする背中を少しでも押すことができれば嬉しい」と、語った。躍進のブラジルが示す日本が進むべき道今大会、日本が獲得したのは銀メダル9個、銅メダル12個、総数21個。メダル総数では、中国、ブラジル、アメリカに次いで4位だった。一方で、日本の金メダルはゼロに終わった。今大会で目立ったのは、従来から活躍が顕著な中国やアメリカに迫る、ブラジルの躍進だ。金メダルランキングでも、メダル総数でも2位を誇る活躍を見せた。ブラジルパラリンピック委員会のハイパフォーマンスディレクターであるジョナス・フェレイラ氏によれば、2016年のリオパラリンピックを機に強化プログラムを推進してきた成果によるもの、という。サンパウロにナショナルトレーニングセンターが設置され、27州ある広大な国土には、小規模のトレーニングセンターが50カ所以上も点在する。学校教育プログラムを活用しながら、子どもから大人まで幅広い年齢層の障害者を対象に発掘・育成が進められてきた。「リオパラリンピックから8年を経て、ようやく強化体制の成果が出てきている」と、語る。東京パラリンピック以降の日本の成長について、日本パラ陸上競技連盟・強化委員長の宍戸英樹氏は、「東京大会での活躍を見て、本格的にパラ陸上を始めたという新しい選手の活躍が今大会の成果につながりました。日本パラリンピック委員会をはじめ、パラスポーツ全般で選手の発掘・育成が進められています。その中で、選手の発掘だけでなく、優れた選手を見つけるための“目利き“となる人材の育成にも力を入れるべきだと感じています。日本パラ陸連では、パラ陸上競技に精通したコーチの資格制度を新たに作り、有資格者による選手の発掘・育成を進めていく方針です」選手の発掘・育成は短期間ですぐに結果が出るというものではない。ブラジルは8年をかけて成果を出してきた。日本でも5年後のロサンゼルスやその先を見据えて育成に取り組むという。パラリンピック本番直前に行われた真剣勝負のレースで、選手たちが得たものは、大きい。この経験が、今夏のパリ大会での結実につながると期待したい。取材・文/宮崎恵理 写真/吉村もと
「ユニクロ全日本ジュニアテニス選手権2024」に車いすテニス部門が新設! 国枝慎吾氏大会アンバサダーに就任

「ユニクロ全日本ジュニアテニス選手権2024」に車いすテニス部門が新設! 国枝慎吾氏大会アンバサダーに就任

(公財)日本テニス協会が主催しユニクロが特別協賛する「ユニクロ全日本ジュニアテニス選手権」が8月26日~9月6日に開催される。この大会において、ジュニア大会で国内初となる車いすテニス種目が新設されることになった。そして、ユニクロのグローバルブランドアンバサダーである国枝慎吾氏が同大会アンバサダーに就任する。日本テニス協会の土橋登志久専務理事は、日本のジュニアテニス公式大会「初」となる車いすテニス部門の新設について、「全日本ジュニアでもコラボレーションすることにより、健常・障がいの垣根を超えたインクルーシブな大会の開催となり、本協会の理念である“多様性と調和のある社会の実現”にまた一歩近づくことができました。大変嬉しく思うとともに、2024年大会の開催が楽しみです」とテニス界や次世代育成における意義を強調した。大会トーナメントディレクターの奈良くるみ氏(元プロテニスプレーヤー)が説明した大会概要では、次世代育成を目的に、シングルス優勝者とベスト&フェアプレー選手へ副賞として贈られるアメリカでの海外派遣プログラムに、大会アンバサダーの錦織圭選手に加え、国枝氏も参加することが発表された。奈良氏は、「私も昨年、海外派遣プログラムに参加して、合宿を通して選手たちがめざましい成長を遂げるのを間近で見てきました。今年は国枝さんが参加されるということで、車いすテニスのジュニア選手にとってはまさに夢のような時間となるでしょう。誰もがこの大会に参加できてよかったと思える大会にしていきたいです」と語った。国枝慎吾氏と大会トーナメントディレクターの奈良くるみ氏「アメリカで待ってるぜ!」(国枝慎吾氏)車いす部門新設に伴って大会アンバサダーに就任した国枝氏は冒頭で、「ユニクロ全日本ジュニア選手権に車いすテニス部門が新設されることは大変喜ばしく、関係者の皆さまに心から御礼を申し上げます」と感謝の思いを話した。また「グランドスラムの大会でも車いすテニスのトーナメントが行われ、(健常・障がいの)垣根を超えた大会運営については、他のスポーツと比較してもテニス競技はとても進んでいると感じます。本大会のように(健常者の部門と障がい者の部門が)同じ大会の中で同時開催されることが、選手たちのモチベーション向上や障がい者スポーツの振興において非常に重要なことだと思います」と、本大会の意義についてコメントした。さらに、アンバサダーに就任した意気込みについて、「(ユニクロ全日本ジュニアテニス選手権が)車いすテニスの選手にとっても“最大目標”となる大会にしていきたいです。車いすテニスにとっても歴史のある大会になることを僕自身も願っていますし、そんな大会に皆さんでしていきましょう」と本大会、車いすテニス界のさらなる発展に期待を寄せた。メッセージを書き込む国枝慎吾氏国枝氏は海外派遣プログラムの副賞パネルに、参加するジュニア選手へコメントを記入。「アメリカで待ってるぜ!」というメッセージを書き入れ、選手たちに熱いエールを送った。右は日本テニス協会の土橋登志久専務理事
パリ2024パラリンピック陸上日本代表に16選手が内定

パリ2024パラリンピック陸上日本代表に16選手が内定

神戸2024世界パラ陸上が終了し、パリ2024パラリンピック陸上の日本代表内定16選手が発表された。内定者は下記のとおり。7月上旬に第2次の内定発表が行われる予定。<視覚障害>唐澤剣也(29)、和田伸也(46)、川上秀太(25)、澤田優蘭(33)、福永凌太(25)、石山大輝(24)<車いす>佐藤友祈(34)、伊藤竜也(38)、鬼谷慶子(29)<上肢障害>齋藤由希子(30)<下肢障害>中西麻耶(38)、兎澤朋美(25)、大島健吾(24)<知的障害>酒井園実(27)<脳性まひなど>新保大和(23)、松本武尊(22)写真/吉村もと
【CÉCITOUR TOKYO(セシツアー・トウキョウ)】フランス発のブラインドスポーツイベントが日本初上陸!

【CÉCITOUR TOKYO(セシツアー・トウキョウ)】フランス発のブラインドスポーツイベントが日本初上陸!

「CÉCITOUR」(セシツアー)は、視覚障がい者スポーツに特化し、理解を広めるためのフランス発祥のプロジェクト。「視覚障がい者のスポーツ実践を促進する」「視覚障がい者支援に貢献しうる関係者ネットワークを発展させる」「市民の理解を深める」の3つを目指し、フランスハンディスポーツ連盟が2023年からスタートさせた。今年のパリ2024パラリンピック大会を控え、これまでにフランスの主要6都市を巡回して視覚障がい者スポーツの実践や社会参加を促す活動を行ってきたが、フランス国外では初めての開催となる「CÉCITOUR TOKYO」が5月12日、上智大学四谷キャンパスで開催された。上智大学とソフィアオリンピック・パラリンピック学生プロジェクトGo Beyondが主催し、フランスハンディスポーツ連盟とのコラボにより実現したものだ。「視覚障がい者スポーツ・音楽・テクノロジー・フランス文学が融合するイベント。年齢・国籍・障がいの有無にかかわらず多様な人たちに出会える、そんな1日があなたを待っている」というキャッチフレーズのこのイベントは、とにかく催し物がてんこ盛り! その模様を写真とともにレポートしていこう。仏ハンディスポーツ連盟ディレクターのシャルリ・シモ氏が来日。日本パラリンピック委員会の河合純一委員長らとトークショーを行った体育場で行われた「セシリンピック」では、ブラインドサッカーをはじめ、さまざまなブラインドゲームが体験でき、参加者は大盛り上がり!視覚障害者柔道日本代表強化選手の佐々木嘉幸選手、パラリンピック銀メダリストの廣瀬誠選手が参加したブラインド柔道の体験会。アイマスクをして投げられるのは恐いけど気持ちいい(?)ゴールボール体験コーナー。目隠しをしてブラインド状態になると世界がまったく変わるデジタル技術を活用したVR馬術体験20以上の企業・団体が出展した「セシエキスポ」。参天製薬は、ブラインド&ロービジョン、ブラインドサッカーなどさまざまな視覚障がい体験を提供したデフサッカー日本代表キャプテンの松元卓巳選手をはじめ多数のパラアスリートをサポートする、あいおいニッセイ同和損保の展示ブース。松元選手はアスリートトークセッションに出演NHKの天気予報画面は、ユニバーサルデザイン化によって視覚障がい者でもわかりやすい(画面右)。NHKではこのほかにもさまざまな放送のユニバーサルサービスを開発・実装している手にはめたままスマートフォン操作ができるレガン社の防寒手袋。視覚障がい者はもちろん、晴眼者にもウケそう全盲のドラマー酒井響希さんが出演。上智大学ニュースイングジャズオーケストラとの共演のほか、ソロパフォーマンスを行ったフードトラックも登場。写真はカレー業界でさまざまな活動をしている後藤よしお氏のスパイスカレー店ここまで写真で紹介した催し物のほかにも、日仏ブラインドスポーツ界を代表する3人のレジェンドによるトークショー、パラ競泳・木村敬一選手のドキュメンタリー上映会、特別体験授業などが行われた。この8月にはパリでパラリンピックが開催される。「CÉCITOUR TOKYO」を主催したGo Beyondは、このイベントを通して東京オリパラをきっかけに生まれた共生社会へのムーブメントを持続可能なものとして、パリパラリンピックの開催国であるフランスへ継承していきたいとコメントしたが、まさにそれを実現する体験と気づき、そして熱気と情熱に溢れる一日となった。上智大学 ソフィアオリンピック・パラリンピック学生プロジェクト 「Go Beyond」/Go Beyond(ゴービヨンド)は、平昌冬季パラリンピック調査に参加した学生2名が2018年6月に立ち上げた。2020年の東京オリンピック・パラリンピックをきっかけとして、共生社会の実現を目指し活動。小中高校での多様性理解に関する授業やパラスポーツ体験などを行っており、今回「CÉCITOUR TOKYO」を上智大学とともに初めて主催した。大学生だからこそ持つ視点や観点から、同世代はもちろん幅広い世代や社会に対して、誰もが輝ける社会の実現に向けてアプローチをしている。取材・文・写真/編集部
コカ・コーラ ボトラーズジャパン所属デフアスリート・髙居千紘(陸上)が多様性をテーマにした世界的ファッションイベントに参加

コカ・コーラ ボトラーズジャパン所属デフアスリート・髙居千紘(陸上)が多様性をテーマにした世界的ファッションイベントに参加

バンクーバーファッションウィークの報告会も兼ねたDE&Iのイベント「Fashion Values Society -DE&Iを知る、感じる、繋がる3日間」会場に展示された現地の様子を伝える写真この4月、カナダ・バンクーバーで開催された「バンクーバー ファッション ウィーク FW24」。2001年以来、年に2回開催され、ニューヨークに次いで北米では2番目の規模を誇るファッションウィークとして知られている。若手デザイナーにとっては、4大ファッションウィーク(ニューヨーク、ロンドン、ミラノ、パリ)への足掛かり的存在として注目を集めており、日本をはじめ南米やアジアからも気鋭のデザイナーが多数参加。多様性の国と言われるカナダで開催される、まさしく「多様性」をテーマとした一大イベントだ。障がいやセクシュアリティ、信仰に関係なく、誰でも自由に自分の好みや体型に合わせて選択ができるカスタマイズ型スタートアップ・アパレルブランド「SOLIT!」の衣装を身にまとい、コカ・コーラ ボトラーズジャパン社のスカーフとスカーフリングを着けてランウェイを歩く髙居千紘このファッションウィークに、東京2025デフリンピックで日本代表を目指す髙居千紘(たかい・かずひろ)が参加した。先天性感音性難聴の髙居は、コカ・コーラ ボトラーズジャパン株式会社のアスリート社員として、業務と両立しながら、デフ(聴覚障がい)陸上競技の活動をしているアスリートだ。4月23日(現地時間)、髙居は「オール・インクルーシブ」な社会の実現を目指すファッションブランド「SOLIT!」のランウェイにモデルとして出演。鍛え上げられたアスリートボディはプロのモデルさながらで、大きな注目を浴びた。コカ・コーラ ボトラーズジャパン社の自動販売機の製品補充やメンテナンスを行うオペレーションスタッフが夏季に着用する「サマースタイル」ユニフォームの廃棄予定の布地などを縫い合わせて、多様性をイメージして制作されたスカーフ(制作:SOLIT!)また今回、髙居を含む複数のモデルが、廃棄予定の同社のユニフォームからアップサイクルされたスカーフと、コカ・コーラ社製品のペットボトルキャップからアップサイクルされたスカーフリングと指輪を身に着けて、ランウェイを歩いた。スカーフリングには「コカ・コーラ ゼロ」と「ジョージア THE ブラック」、指輪には「アクエリアス」と「やかんの麦茶 from 爽健美茶」の廃棄予定のペットボトルキャップがリサイクルされて使われている(制作:本多プラス株式会社 ame)髙居が勤務するコカ・コーラ ボトラーズジャパン社は、「すべての人にハッピーなひとときをお届けし、価値を創造します」というミッションを元に、社員一人ひとりの多様性を尊重することで、性別、年齢、障がいの有無、国籍、性的指向等の属性によらず、すべての社員が能力を最大限に発揮できる組織づくりを目指すという企業文化を持つ。今回の高居の参加をきっかけに、社員にとってより多様な活躍機会の提供を目指すとともに、多様な人材が力を合わせ、さまざまな変革を起こすことで、豊かな生活に貢献していきたいとのことだ。「Fashion Values Society -DE&Iを知る、感じる、繋がる3日間」で開催されたトークセッション『D&Iを進めたら、見えたこと。 -事例から紐解く本当のメリットデメリット - 』に登壇したコカ・コーラ ボトラーズジャパン社執行役員の東由紀氏「Fashion Values Society -DE&Iを知る、感じる、繋がる3日間」の会場には、バンクーバーファッションウィークでお披露目されたSOLIT!のアパレルも展示された髙居 千紘(たかい かずひろ)/1997年6月7日生まれ、滋賀県出身。先天性感音性難聴をもつ。高校1年から陸上競技を始め、走り高跳び、十種競技で活躍。いずれも走り高跳びで、全国聾学校陸上大会3連覇、第15回日本デフ陸上優勝、2019年ジャパンパラ陸上優勝など輝かしい実績を持ち、東京2025年デフリンピックへの出場、メダル獲得を目指している。日本体育大学を経て、2020年4月にコカ・コーラ ボトラーズジャパン株式会社に入社し、現在は同社所属デフアスリートとして活動している。取材・文・写真/編集部 写真・資料協力/コカ・コーラ ボトラーズジャパン株式会社
新星、参上。小田凱人(車いすテニス)

新星、参上。小田凱人(車いすテニス)

車いすテニス界に新星が現れた。小田凱人(おだ・ときと)、16歳。王者・国枝慎吾が「ショットのパワーもコントロールも超一級」と認める若き才能を、練習拠点の岐阜に訪ねた。※この記事は『パラスポーツマガジンvol.12』(2022年11月28日発刊)から転載したものです。表記などは取材時のものですのでご了承ください。基本が身についてくると狙ったところに同じクオリティで打てるようになってきた2022年10月6日〜9日、東京・有明テニスの森で開催されたテニスの楽天ジャパンオープン車いす部門の決勝戦は、センターコートである有明コロシアムで行われた。コートに入場したのは、日本が世界に誇る国枝慎吾、そして、16歳の小田凱人である。決勝戦は、ファイナルセット・タイブレークにもつれ込んだ。2時間27分もの死闘を制したのは、レジェンド・国枝。しかし、国枝を追い詰めた若武者・小田の戦いぶりに、集まった観衆はスタンディングオベーションでいつまでも讃えていた。2021年、小田は15歳を目前にジュニアの世界ランキング1位となり、そのままの勢いでシニアのランキングも9位まで押し上げた。今年4月、高校進学を機にプロ転向を表明。6月には全仏オープンでグランドスラムデビューを果たす。国際テニス連盟(ITF)によれば、16歳でのグランドスラム出場は史上最年少である。11月7日現在、男子シングルス世界ランキング4位。日本に、車いすテニス界の新たなスーパーヒーローが出現した。競技用車いすがかっこよくてテニスをはじめた小田は3歳でサッカーを始め、夢中になってピッチを駆け回る元気いっぱいの子ども時代を過ごしていた。小学2年の冬に左脚に痛みを感じるようになり、小学3年の6月に病院で受診すると左股関節骨肉腫であることが判明。抗がん剤治療でがん細胞を小さくした後人工関節を装着し、腹直筋を切除して大腿部に移植する大手術を受けた。現在、左股関節は60度以上屈曲することができない。クラッチを使って歩行することで脚力を維持しているが、車いすを利用する方が、移動そのものは楽なのだという。入院中に主治医に「退院したらパラスポーツをやってみてはどうか」と勧められ、動画でさまざまなパラスポーツを検索すると、車いすテニスに目が留まった。「競技用の車いすがめちゃくちゃかっこよくて。それまではサッカーしかやってこなかったけど、個人競技であるテニスに挑戦してみたいと思ったんです」食い入るように見ていたのは、リオパラリンピック前に有明テニスの森で開催された世界国別選手権(ワールドチームカップ)での国枝のプレーだった。誰よりも素早く競技用車いすを操作してウイナーを決める姿に魅了された。「初めて競技用車いすに乗せてもらったのは、病院内にある体育館で、体験用の車いすでした。入院してからずっと感じていなかった〝風〞を感じられた。純粋に楽しかったことを、鮮明に覚えています」退院してすぐに、車いすテニスプレーヤーが在籍するクラブの門をたたき、本格的に車いすテニスを始めた。クラブには、クアードクラスでロンドンから東京までパラリンピック3大会連続出場した諸石光照が所属。諸石は、小学生の小田にていねいにテニスを指南した。「始めたばかりの頃は、ボールを打つのも、車いすを操作するのも、ただ楽しくて」夢中でボールを追いかけた。テニスを始めてすぐに国内の大会に出場する。「ずっと動画で世界のトップクラスの試合を見ていたから、現実のプレーとの落差にがっかり。でも、だからこそ、自分がレベルアップして、これを超えていきたいという思いが強くなりましたね」ジュニアの大会だけでなく、シニアの大会にも出場するようになる。初めて対戦したのは、パラリンピアンの齋田悟司だ。国枝とペアを組んで出場した04年のアテネパラリンピックのダブルスで金メダルを獲得した選手である。「小学生相手に、手加減せず戦ってくれた。ボロ負けでしたけれど、そこで火がつきました」動画やテレビでしか見たことのないレジェンド国枝に直接対面したのは、小学5年。ジュニアのための車いすテニスキャンプ「ドリームカップ」でのことだ。「本物の国枝選手を見て、もう、心臓バクバクでした」この時すでに小田の視線は世界に向いていたが、国枝をはじめとするパラリンピアンとの出会いによって、その思いはいっそう高まったのだった。2018年、ジュニアのシングルスランキングは56位、男子シングルスでは408位。中学に進学すると、海外のツアーに参戦するようになった。ここから小田の躍進がスタートする。コロナ禍で自分を見つめ直し基礎練習に取り組むところが、実際には2020年からコロナによる感染拡大で、世界中の誰もが練習も試合もできない状況に陥ってしまう。小田は、このコロナ禍こそ、大きく成長した期間だったと振り返る。「コロナ前に海外遠征に出るようになり、何歳の時にはこのくらいのランキングにして、この大会に出場して、10代で世界一になるぞ、と心に決めていた。それが、コロナで全部、吹っ飛んでしまったわけです」いつ終わるとも知れないコロナ禍で、小田が、立ち止まった。「テニスが楽しくて、その先に世界があった。当時は、練習でも自分のやりたいこと、好きな練習だけをやっていて、それで世界に通用すると思っていたんです。でも、自分を見つめ直したら、今のままでは、絶対に世界一になんかなれないと、気づきました」楽しい気持ちは、小田少年を成長させるエネルギーにはなっている。しかし、世界で勝つには、それだけでは足りない。「コロナ前までは、いわゆる球出しトレーニング、基礎的な反復練習が嫌いだったんですよ」コート練習が再開すると、嫌いだった基礎練習に取り組み、ショットに磨きをかけていった。現在練習拠点にしている岐阜インターナショナルテニスクラブで、2020年からパーソナルに小田を指導し、プロ転向後海外遠征にも帯同する熊田浩也コーチが語る。「車いすということは考えない。シンプルにテニスプレーヤーとして必要な技術を身に付けさせることに注力してきました」熊田コーチは小田と同様に左利き。そのメリットを生かしたサーブからの展開、ストロークの精度を磨いて対戦相手の戦意を消失させる。そのための徹底的な基礎練習を積み重ねてきた。左がコーチであり練習パートナーの熊田浩也さん。小田の急成長を支えた重要人物のひとりだ「基本が身についてくると、毎回、自分が狙ったところに、同じクオリティで打つことができるようになってきました」(小田)2021年にツアーが再開すると、小田は海外へ飛び出す。久しぶりの試合で感じたのは、基礎練習によってショットミスが減少したという手応えだった。トルコで開催されたシニアの大会で連戦連勝。グランドスラム常連のヨアキム・ジェラール(ベルギー)、トム・エフベリンク(オランダ)の2人には敗北を喫する試合もあったが、それ以外の大会はすべて優勝し、この年に一気に男子シングルスのランキングを一桁台にのせた。コロナ禍で決めた覚悟を、パフォーマンスで爆発させたのだった。夢の場所、夢の舞台、そして夢の対戦相手……あこがれの国枝と実際にネットを挟んでプレーしたのは、数えるほどしかない。初の対戦は2019年。初めて車いす部門が新設された楽天オープンだった。中学1年の小田はダブルスで、国枝/ステファン・オルソン(スウェーデン)組と対戦し、1ゲームも取れずに完敗。記憶にさえ残らない試合だった。小田が国枝というプレーヤーを強く意識させられた打ち合いは、2021年東京パラリンピックを目前に控えた代表合宿でのことだという。「パラリンピック直前ということもあって、国枝選手のショットの完成度の高さに驚きました。どこへ打ち込んでも、どんな球でも、国枝選手は同じ場所に同じクオリティのショットを打ち返してくるんです」この完成度を超えなければ、国枝を倒すことも、世界一になることもできない。ネットを挟んで、国枝の凄みを感じ取っていた。実際に試合で対戦したのは、今年に入ってから。1月、オーストラリア・メルボルンオープンの準決勝。6-7(2)、6-7(1)と、いずれのセットもタイブレークとなる接戦を演じたが、敗退。2度目は、グランドスラムデビューとなった全仏の準決勝。この大会では2-6、1-6。3度目は全仏直後に行われたリビエラオープン準々決勝で、3-6、5-7で敗退している。車いすテニスの素晴らしさをより多くの人に広めたい。そのためにも結果を残したい(小田)そして、迎えた3年ぶりの楽天オープン決勝の舞台が、国枝との直接対決4戦目となった。小田の長い腕から繰り出すサーブに国枝がミスを連発し、1ゲーム目を小田がキープする。しかし、国枝もサービスキープし3-3と拮抗する展開に。第7ゲームで小田のサービスを国枝が鋭いリターンで攻め返しブレークに成功すると、勢いのまま6-3で国枝が先取した。第2セットで小田の反撃が始まる。第2ゲームまでは国枝にリードを許すが、第3ゲームでは小田のリターンが冴え渡った。その後もフォア、バックハンドともにウイナーを放つ。国枝の追撃を寄せ付けずに第2セットを6-2で奪取した。小田にとっては、国枝から初めてもぎ取った、記念すべきセットである。ファイナルセットは、国枝のキレが戻り1-5でリードを許す。第7ゲーム、国枝のバックハンドが小田のコートの左隅に決まりマッチポイントを握られると、勝負があったかに見えた。しかし、ここから小田は「一気にゾーンに入った」という。1-5から巻き返した小田は、6-5まで駆け抜ける。「自分は細かく戦術を立てるスタイルではありません。自分の武器であるサーブやショットを、相手に合わせて思うがまま、自由にプレーする。駆け引きをすると、(国枝のような選手に)読まれてしまうというリスクが生じます。どうしてもわずかに一瞬、体が動いてしまうからなんです。だから反射的に自分の感覚に従ってプレーしていました」考えるな。ひたすら打ち込んでいけ。そのことだけを考えていた。自分の感覚だけを信じて勝利に向かってまっしぐらに進んでいたが、6-5で先に王手をかけたことで、わずかに弱い自分が顔をのぞかせてしまったという。「強い自分と、弱い自分が2人いた。そんな自分を初めて見つけました」タイブレーク、国枝のダブルフォルトで小田が先制点を挙げる。しかし、その後、波に乗れず3-7で勝利を逃した。「先制点を挙げた後、自分には2本のサービスチャンスがあった。それを活かしきれませんでした。調子は悪くない、すごくよかった。だけどタイブレークで勝ちきれない。それが勝負を分けるということだと痛感しました」2時間27分の激闘を終えた後、小田は最後まで観戦したスタンドの観客に向かって、「まずは国枝選手、本当にありがとうございました」と感謝を語り、こらえていた涙で声を詰まらせた。「夢の場所、夢の舞台、そして夢の対戦相手……」コートインタビューで語った言葉は、小田の心そのままである。「トキトが今年グランドスラムデビューも果たし、いつかやられる日がくるかもしれないと思っていた。今日がその日なのかと、何度もそのことが頭をよぎりました」。国枝はこう言った。2004年のアテネパラリンピック・ダブルスで金メダルを獲得し、その後06年にアテネでダブルスのパートナーを組んだ齋田に敗北を喫して以来16年間、国枝に土をつけた日本人選手はいない。06年に産声を上げた小田が、圧倒的な王者・国枝に「今日がその日か」と言わしめるほど追い詰めた。10代で世界一になる。今年グランドスラムデビューを果たし、マスターズにも出場した。その先に初めてのパラリンピックとなるパリ大会出場、金メダルという目標もある。しかし、小田が目指しているのは、大舞台の結果にとどまらない。「現役中は、つねに1つの大会で結果を求めていくことの繰り返しです。そこはぶれずに続けていきます。でも、その勝利はなんのためのものなのか」長年トップを走り続けている国枝の凄さを改めて感じたからこそ、それを超えていくという思いが新たに湧き起こった。「国枝選手にあこがれて車いすテニスを始めた。この車いすテニスの素晴らしさを、より多くの人に広めたいです」そのためにも結果を残す。自ら発信もする。将来は子どもたちにテニスを指導してみたい。いずれも、国枝が日本の障がい者スポーツの荒野に作ってきた道だ。その王道を、国枝の背中を見て育ってきた小田が、たどる。車いすテニスの新たな地平が、小田の出現によって開かれていくのだ。サウスポーのメリットを生かし、サービスとその次のショットで相手を圧倒するのが小田のスタイル小田凱人(おだ・ときと)/2006年5月8日、愛知県生まれ。東海理化所属。小学3年で左股関節の骨肉腫を発症し、左脚の自由を失う。10歳で国枝慎吾に憧れて車いすテニスを始めた。小学4年で国内大会のジュニア部門に初出場、小学5年でシニアの大会にも出場。中学に進学すると海外遠征を開始、2021年にはジュニアの世界ランキング1位、さらにシニアの世界ランキング9位に。2022年4月、N高等学校進学を機にプロ転向を表明。6月全仏オープンからグランドスラムに出場し、ウインブルドン、全米の3大会を戦う。年間王者を決める11月のNECマスターズを史上最年少で制し、世界ランキングはシングルス4位、ダブルス9位(2022年11月7日現在)。取材・文/宮崎恵理  写真/吉村もと 協力/岐阜インターナショナルテニスクラブ
いざパリへ!世界最終予選を勝ち抜いた車いすバスケ女子日本代表

いざパリへ!世界最終予選を勝ち抜いた車いすバスケ女子日本代表

オーストラリアとの出場決定戦に50対26で勝利!16年前のパラリンピック自力出場を経験している網本麻里(中央)は若手選手を引っ張った「やっと、やっ…」やっと、なのか、やった、なのか。言葉にならない言葉が耳元に漂いながら、あとは嗚咽に変わっていった。選手が引けた後のミックスゾーンに残った網本麻里に、「よかったね、おめでとう」と声をかけた直後のことだった。おもむろにバスケ車から立ち上がり、抱きついて、こうささやいた。どれほどの重圧があったのだろう。ただ、抱きしめて、小さな子どもをあやすように、「よかった、よかったよ」とささやき返すだけだった。2024年4月17日(水)〜20日(土)、パリパラリンピックの出場権をかけた車いすバスケットボール女子最終予選が、大阪市にあるAsueアリーナで開催された。この大会には、日本を含む全8チームが出場、グループA(オーストラリア、アルジェリア、ドイツ、タイ)、グループB(カナダ、フランス、スペイン、日本)分かれて予選リーグを行い、その順位に基づきクロスオーバー戦が実施された。このクロスオーバー戦に勝利した4チームにパリ大会の切符が与えられる。グループBの日本は、17日にカナダ、18日にフランス、19日にスペインと戦い、1勝2敗の3位に。グループA2位のオーストラリアとのクロスオーバー戦で日本は50対26でオーストラリアを下し、パリパラリンピックの出場権を獲得した。車いすバスケの女子日本代表は、3年前の東京2020パラリンピックに出場した。12年のロンドン大会、16年のリオ大会には出場が果たせず、2008年の北京以来3大会ぶりの出場だった。とはいえ、東京大会は、開催国枠による出場である。今夏パリで開催されるパラリンピックへの出場条件に開催国枠はなく、ゾーン選手権を勝ち抜いた国のほか、この最終予選で権利を得た4カ国の計8カ国がパリパラリンピックに出場する。だから、今大会には開催国であるフランスも遠く日本の地にやってきていたのだった。北米、ヨーロッパは車いすバスケの激戦区である。カナダ、ドイツは、今大会でもダントツの強さを誇っていた。一方、スペインには、2022年の世界選手権で日本が勝利している。グループBの予選リーグでは、カナダには敗北を喫しても、フランスとスペインからは勝ち星を得てリーグ2位で最終日のクロスオーバー戦に臨むことを日本は目指していた。初戦のカナダ戦では46対81、フランスとの対戦では55対38。想定通りの結果である。ところが予選リーグ3戦目となるスペイン戦では45対64でまさかの敗北。グループ3位となり、最終日にグループAの2位通過であるオーストラリアと対戦することとなったのだ。決定率の低さに苦しんだグループ戦今大会、グループリーグでの日本代表の決定率の悪さに目を疑った。初戦のカナダ戦では、3ポイントを含むフィールドゴール成功率ではカナダが58.1%をマークしたが、日本は36.8%。フリースローでは、カナダが72.7%に対し日本はなんと15.4%にとどまった。網本は8本のフリースローの機会があったが、そのうち1本しか決められていない。萩野真世、柳本あまねはともに2本のフリースローを外した。勝利したフランス戦でもフィールドゴール成功率は37.9%、フリースロー成功率も37.5%。負けたフランスのフリースローは、12本中8本を決めて66.7%を記録している。3戦目のスペイン戦では、主将の北田千尋とベテラン土田真由美がフリースロー成功率100%をマークしチームとして85.7%にまで押し上げたものの、フィールドゴール成功率は33.9%でスペインの43.5%の成功率の前に勝敗を分けた形となったのだ。「萩野は、大会直前の合宿ではシュート成功率がめちゃくちゃよかったんですよ。だから、なぜ、ここまで悪い数字になるのか。初日に力んで距離感に狂いが生じたのではないかと思っています」と、岩野博ヘッドコーチは語った。12人全員で掴んだパリ行きの切符グループ3位で最終日のオーストラリア戦に臨む日本には、当然後がない。負ければ、東京大会前に戻ってしまうのだ。アジア・オセアニアの強豪チームとして、オーストラリアとはこれまでも何度も対戦してきた。世代交代が進むオーストラリアだったが、今大会には12年ロンドン大会で銀メダルを獲得した時の主将だったブライディ・キーン、04年アテネ大会からローポインターながらチームの要であったカイリー・ガウチらベテランが出場していた。ゲーム序盤、両者とも得点が決まらない時間帯が続いたが、その後、網本、北田が躍動した。ディフェンスリバウンドから網本が放ったロングパスに北田がぴたりと反応して先制点をあげると、再び網本のアシストで4対0に。第1クォーター終盤には網本自身が3ポイントシュートを決め、13対4と大きくリードした。日本の守備は一貫して固く、メンバーチェンジをしても崩れることがない。また、ディフェンスでも、オフェンスでも、体格ではオーストラリアには敵わない日本が、リバウンドを取り続けて攻撃に繋げた。オーストラリアは、そんな日本の守備に翻弄され、8秒バイオレーションを繰り返すなど、明らかにオフェンスに迷いが生じていた。前半25対7で折り返した後半には、網本は4本のフリースローをすべて決めたほか、オーストラリアボールをスティールして、仲間の得点に繋げた。そうして、第4クォーター残り3秒の場面、網本は北田をアシストして3ポイントシュートを決めさせ、パリ行きの切符を掴み取ったのだった。今大会には、2022年のU25世界選手権で活躍した江口侑里のほか、高校生選手の小島瑠莉、西村葵も途中出場でチームに貢献した。U25の共同主将を務めた江口は、フランス戦の第2クォーターで途中出場すると、網本のアシストで3本、後半にも1本のゴールを決めて勝利を引き寄せた。「センターという役割を担っているので、交代したらとにかく1発目で決めることが仕事だと思っていました。考えすぎるとシュートが入らなくなるので、とにかくいつも通りに打つことだけに集中していました」ベンチスタートから効果的な得点を重ねた江口侑里また、小島もフランス戦でA代表初となる3ポイントシュートを決めた。この日は、自身16歳の誕生日でもあった。「誕生日に3ポイント決められて、試合後、チームの先輩たちからハッピーバースデーと言っていただけて、めちゃくちゃ嬉しかったです!」この日が16歳の誕生日だった高校生選手の小島瑠莉試合終了後、国際車いすバスケットボール連盟から正式にパリパラリンピック出場権のチケットを手渡された北田主将は、「今大会、高校生の若手選手からベテランまで12人全員がコートでプレーして切符を掴み取りました。そのことは、本当にすごく嬉しい。でも、今大会のような試合をしていたら、パリの本番では1勝もできない。自分たちの現実を見せつけられた大会でもあった。残り時間は少ないですが、できる準備をすべてやっていきたいと思っています」と、熱い気持ちを静かに語った。キャプテンの北田千尋はパリ出場を喜びながらも、本番を見据えて気を引き締めたさらなる高みを目指して自力でのパリパラリンピック出場権を獲得した女子日本代表。自力での出場は、2008年北京大会以来、16年ぶりである。網本は、この北京大会を経験している唯一の選手だ。「今回、初めてレペチャージ(最終予選)が行われた。開催国のフランスも含めて、どの国もすごく緊張して臨んだと思う。大事な一発勝負の場で結果を出すことができれば、パラリンピックや世界選手権という大きな夢の舞台に立てる。そのことを、若いメンバーにも伝えていきたい」最終日には、数多くの観客がAsueアリーナに詰めかけ、日本はその声援にも後押しされた。「会場には、車いすで応援してくれた小さな女の子もいました。その子たちが、こういう舞台に立ちたい、日本代表になりたいって思ってくれるように。それが続いていけるように、私はそのバトンを渡していきたいって思ってるんです」2008年北京パラリンピックで、日本は銅メダルをかけた試合でオーストラリアと対戦し、47対53で敗退した。北京大会に19歳で初出場した網本は、3位決定戦が終わった後のミックスゾーンでも同じように抱きついて、震えながら泣きじゃくっていた。あの日、初出場のプレッシャーと闘った網本が、今は、若手を引っ張りながら、勝利のプレッシャーと格闘している。本番は、これから。退けたオーストラリアの分まで、あるいは、パリパラリンピックに出場できない男子日本代表の分まで、さらなる高みを目指していく。取材・文/宮崎恵理 写真/吉村もと
車いすバスケ女子日本代表、パリ出場権獲得!

車いすバスケ女子日本代表、パリ出場権獲得!

パリ2024パラリンピックの出場権をかけた車いすバスケットボール女子の最終予選で、日本はオーストラリアに50対26で勝利し、パリ大会の出場権を獲得した。開催国枠で出場した前回の東京大会に続いて2大会連続、自力での出場は2008年北京大会以来16年ぶりの出場となる。最終予選は出場8カ国が2つのグループに分かれて総当たりで予選ラウンドを行い、その順位をもとに争うパリの出場権をかけて「クロスオーバー戦」を戦った。予選ラウンド、日本は初戦カナダに46対81で敗れたが、次のフランスに55対38で勝利。3戦目はスペインに45対64で敗れ、1勝2敗のグループ3位でクロスオーバー戦に臨むこととなった。対戦相手はもう一方のグループを2位で通過したオーストラリア。勝った方がパリの出場権を獲得できる。負け越しに終わった予選ラウンドでは重苦しい雰囲気があったものの、この試合はキャプテン北田千尋の「ダブルダブル」(18得点・18リバウンド)の活躍などで終始リードを奪い、50対26で快勝。岩野博ヘッドコーチが「一番いいバスケができた」という最高のパフォーマンスを発揮し、見事パリ行きの切符をゲットした。最終予選では、日本のほかカナダ、スペイン、ドイツが出場権を獲得。パリ2024パラリンピックは8月28日に開幕を迎える。写真/吉村もと
パリ2024オリンピック・パラリンピックのTEAM JAPANオフィシャルウェア発表!

パリ2024オリンピック・パラリンピックのTEAM JAPANオフィシャルウェア発表!

パリは「TEAM JAPAN RED」×「サンライズレッド」パリ2024オリンピック・パラリンピック競技大会TEAM▲JAPANオフィシャルスポーツウェア発表記者会見が行われ、パリで日本チームが着用するウエア・アイテムがお披露目された。東京大会に続きサプライヤーはアシックス社。パリ大会用ウエアは「パフォーマンスとサステナビリティの両立」とコンセプトに、優れた機能性を持たせながら環境に配慮したアイテムを提供することで、スポーツを守り、継続させるにはどうすべきかをアスリートとともに考えたい、との想いを込めたという。東京大会では目が覚める鮮やかなレッドが印象的だったが、今回もキーカラーにTEAM JAPANを象徴する「TEAM JAPAN RED」を採用。さらに「サンライズレッド」のグラデーションをあしらった。これは「パリの日の出」をイメージしたカラーで、朝焼けに空が赤く染まる力強さと暖かさを表現しているという。内側に着るTシャツには、伝統的な日本の吉祥模様である「矢絣(やがすり)」を取り入れたデザインを施し、決断や強さを表現。また、開発コンセプトである「パフォーマンスとサステナビリティの両立」に沿って「Conditioning(コンディショニング)」「Sustainability(サステナビリティ)」「Diversity(ダイバーシティ)」の3つのテーマを設け、寒暖差が大きいパリの環境への対応、温室効果ガス排出量の削減、多様性と調和を重視したチームの中で選手個人が輝けるウエアを目指したという。©JOC/JPC/ASICSパラスポーツ界からは廣瀬選手(ボッチャ)、宇田選手(トライアスロン)らが登壇発表会ではオリパラ合わせて15名のアスリートが登壇。パラスポーツ界からは陸上の新保大和、竹村明結美、田巻佑真、水泳の木下あいら、西田杏、車いすラグビーの若山英史、ボッチャの廣瀬隆喜、トライアスロンの宇田秀生の各選手が登壇した。また今大会のパラリンピック選手団長を務める田口亜希氏の挨拶も行われた。車いす選手が着用する上着はタイヤにあたる袖の部分が強化され、パンツのポケットは座った状態で使いやすい位置と角度につけられており、廣瀬選手は「車いすの選手に向けてデザインが考えられていてすごくうれしい」とコメント。ウエアについては「フィット感があって動きやすい」(新保選手)、「(片手でも)ファスナーがびっくるするほどスムーズ」(宇田選手)などの感想が聞かれた。「車いす選手へ向けてのデザインがすごくうれしい」と廣瀬選手 ©JOC/JPC/ASICSパラリンピック日本代表選手団の田口亜希団長鳥海選手は応援する立場からの気づきや変化に期待車いすバスケの鳥海連志選手は応援パートナーとしてゲスト出演そして、応援パートナーとして、元卓球選手の石川佳純さん、車いすバスケの鳥海連志選手がゲスト出演。鳥海選手は着用した白いTシャツについて、「夏に応援にどれだけ力が入ってどれだけ熱が出ても放出してくれる着心地。どれだけでも応援できそうなウエアです」と感想を語った。男子車いすバスケチームは惜しくも出場権を逃したが、鳥海選手は「タイで行われた予選では準決勝で負けてしまったのですが、日本に帰ってくる前に気持ちは切り替えていました。パリに出られない分、その次のロスに対しての準備期間が長く設けられる僕たちの立場があるということを確認しましたし、そこに向けていい準備とパフォーマンスを持っていくということに切り替えました。その中で、応援パートナーとしてパリに関われるということは、普段応援してもらっている立場から応援する立場に変わることで、何かしら自分の中で気づきだったり変化が起こるんじゃないかということも含めて、前向きにトライしてみようという気持ちになれました」とコメントした。鳥海選手から田巻選手に応援メッセージとミサンガが手渡された ©JOC/JPC/ASICSパリ2024オリンピックは7月26日、パラリンピックは8月28日開幕を迎える。取材・文・写真/編集部

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