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Interview

パラメダリストを支えるオリメダリスト。星奈津美さんが木村敬一選手と目指すもの

パラメダリストを支えるオリメダリスト。星奈津美さんが木村敬一選手と目指すもの

パリ2024パラリンピックの水泳代表に内定した木村敬一選手を支えるオリンピアンがいる。バタフライでオリンピック2大会連続銅メダルを獲得した星奈津美さんだ。昨年から木村選手のフォーム指導アドバイザーを務めている星さんに話を伺った。 木村敬一選手からの思いがけないオファー ――星さんは、オリンピックで2大会続けてメダルを獲得した2016年のリオデジャネイロ大会の後、現役引退しました。この時、引退後にやりたいことや計画などはあったのでしょうか。 星奈津美(以下、星) 良くも悪くもというか、引退したら絶対やりたい明確なものはなくて、計画も特にあったわけではなかったんです。ですが、何でもチャレンジしようと思っていて、その中で何か見えてくるといいなっていう想いがありました。ありがたいことにイベントや公演に呼んでいただいたり、メディアに出る機会もたくさんいただき、基本的には全部お引き受けさせていただいてきました。 ――世の中を知るような時間だったのですかね。 星 そうですね、はい。自分がやれることはというか、お声がけいただいたら全部やってみようっていう感じで。 ――今は幅広く活躍されていますが、もともと選手を指導することは考えていたのですか? 星 いや、それについては本当にまったくゼロで。水泳教室のゲスト講師などはオファーをいただきましたが、そういう場は本当に一度きり、参加してくださったお子さんとかマスターズの大人の方とかを相手に、教えると言ってもその日限りのことなので。ある程度長いスパンで選手の成長を見ていくのが指導というかコーチングだとしたら、そうしたオファーはまったくいただかなかったんです。そういうことには多分自分には一番縁がないのかなと思っていました。2016年に引退してから3、4年はこんな感じでやっていました。 ――そんなところに木村選手からオファーが。 星 ちょうど1年前くらいに連絡をもらいました。 ――もともとお知り合いだったと聞きました。 星 はい。同い年で、ロンドンがお互い最初にメダルを獲った大会という共通点もありました。オリとパラって選手の交流はあまりないんですけど、たまたま一緒に出るトークショーのイベントがあって、その時に一緒に写真を撮ったり、連絡先を交換したりしたんです。2012年ぐらいだったと思います。 ――木村選手から「教えてほしい」と言われた時はどんな気持ちでしたか? 星 最初はちょっと相談があるみたいな感じでした。その時、木村選手にはコーチがいなくて探していたそうなんですけど、まさか自分だとは思わなくて、誰かコーチを紹介してくれないかっていうことだと思って話を聞いていたんですよ。私が教わっていたスイミングスクールのコーチとかいいんじゃない? とか話をしたんですが、私に見てもらいたいんだよねって言われて。 ――ご指名だったわけですね。 星 意外でした。結構びっくりして。そもそも私はコーチをやってきている人間ではなかったですし、引退後にコーチになられる方はほかにたくさんいらっしゃるのに、なぜ私? と思いましたね。それにパラの選手を私がコーチできるのかっていうこともありました。 ――あまり現実的ではなかった。 星 はい。でも、本格的にトレーニングメニューを作って毎日練習を見るというわけではなく、最初は月に1、2回泳ぎを見てほしいという話で。バタフライの泳ぎを変えたいのでフォーム改善のアドバイスだけしてもらえればと言うので、それならできるかなと思いましたが、決してふたつ返事ではなかったです。 ――自分でも大丈夫かな? と。 星 そうですね。でも試しに泳ぎの水中映像があれば送ってほしいとリクエストしました。それを見て、どこがどうできるかなと考えたうえで決めた感じです。 星さんは月に1~2回のペースで木村選手のバタフライのフォーム改善についてアドバイスをしている 改善点があるだけに、まだまだ伸びしろがある ――指導を始めて、木村選手の泳ぎには直すところはたくさんありましたか? 星 気になるところは結構ありましたが、それだけに伸びしろもたくさん感じました。でもそれ以上に、この泳ぎを目が見えない状態で習得したのかと思うと、やっぱりすごいなと驚きましたね。しっかり泳げているし、タイムも出ている。見よう見まねってことをしていないのにすごいなと。 ――木村選手の泳ぎはパワフルで粗削りな印象で、それが木村選手らしさだと思いますが、星さんから見てどうだったのでしょうか。 星 私の印象も本当に同じで、100メートルを最初から最後までもうパワーで引っ張っていってるというか、すごくパワフルな泳ぎだなって感じました。だから、同時に硬さもあるかな、という印象でしたね。 ――アドバイスはどのようなことから始めたのでしょうか。 星 まず、硬さというか、力の強弱、緩急みたいなものについてです。力の入れどころと抜きどころ、みたいな。私自身の泳ぎでも、ここは力を入れて、ここは抜いてって意識してやっているわけではないんですけど、泳ぎを覚えていく中で自然にできるようになっていくその部分が、木村選手の場合気になりました。 ――子供の頃からやってると自然に身につく部分ですかね。 星 はい。それで、どこで力入れてるのかなと改めて考えてみて、自分でも泳いで確認したりしました。木村選手の場合は力を入れたら入れっぱなしだし、抜いてもらうとそのまま抜けちゃうし、極端に言うと0か100かみたいなところがあったんです。まずはそれを陸上で練習しました。 ――どちらかというと力の抜き方ですか? 星 そうですかね。でも、力を入れるべきところが入っていなかったりっていう部分もあったんですよ。一番は体幹。腹筋の入れ方がちょっと違ってるのかなと。腹筋をまったく使っていないわけではないんですけど、正しく力を入れられていないところがあって。専門用語でドローインっていう表現があるんですが、腹圧を入れる時ちょっと下っ腹の方をへこますようにするんです。この動きは水中でいきなりできないのでまずは陸上で練習して、お腹の動きができるようになったら、次に手を動かしながらそれをやって。それから水中でやるという順番で練習します。木村選手は力の入れ方がちょっと 違っていたというか、彼の感覚と違っていたみたいで、それによってお腹がちょっと突き出て、背中が反るみたいな姿勢になっていました。 ――泳いでる時ですか? 星 泳いでる時の姿勢もそうですし、普段立ってる時もそんな感じの時が多いんですよ。水泳では、胸は張らなきゃいけないけど腰は反っちゃいけないみたいな矛盾するような動きが必要です。胸を張ろうとすると普通腰は反るんですけど、そこでちゃんと体幹が入っていれば腰を反らずに胸を張れるんです。その動きを結構イチからやりました。木村選手もまったくやっていなかったわけではなかったみたいでしたが、それがきちんとできていなかったために水中での姿勢がうまくいかない感じでした。壁を蹴った後、まっすぐではなくちょっと反った感じのままドルフィンキックを蹴っていて、それだけでも結構抵抗になったりしますし、腹筋が使えていない蹴り方だったのでそこから直していった感じです。 ――体幹、強そうですけどね。 星 そうなんですよ。筋肉はあるし、しっかりしているんです。でもやっぱり使い方なんですね。 ――そこから始めて約1年、どのように変わってきましたか? 星 姿勢の部分は結構すぐにできましたね。そこから次は手のかき方とかキックを打つタイミングとかをやりました。かき方については、木村選手は手が水に入った後、真下に押しているような感じだったんですよ。その時に肘も下げてしまっていて。前に進むためには後ろにかかないと体が前に行かないんですが、下にかいてしまうことで上体が立ち上がるような、上半身が水面の上に出てしまう泳ぎになっていました。手をちょっと外に開いてそこから内側にかき込んできて、それから後ろに押していくっていうストロークが理想なんですけど、それをやってもらったら、上半身の上がり方が少し抑えられてきたっていうところがひとつ。あとはキックを打つタイミングで、バタフライって最初手が水に入る瞬間に打つ1回目のファーストキックと、そこから手をかいてきて、かき切る時に入る2回目のセカンドキックっていうふたつのキックがあるんですけど、木村選手はどちらのキックもタイミングが早かったんですよね。それも体が起き上がってしまう原因でした。 ――今日、木村選手の泳ぎを拝見したんですけど、以前より動きがだいぶスムーズになった感じがしました。 星 硬さがあった部分に少しずつ滑らかさが出てきているような感じは私もしています。 ――豪速球で押していたのが、コントロールも良くなったというか。 星 そうですね、コントロールですよね。ずっと力が入っていることもなくなって、入れなくてもいいところが抜けてきたというか、少しずつできている気がします。 この日は腕で水をかききってから空中で前に戻す部分の動きを重点的に練習した。右はコーチの古賀大樹さん パリ大会で結果よりも重視すること ――さて、パリパラリンピックが間近に迫ってきましたが、そこへ向けてのプランなどはあるのでしょうか。 星 木村選手からこのお話をもらった時、私が躊躇しながらも何かお手伝いができたるかなって思えたのは、彼が東京で金メダルを獲ったことで、自分の目標をひとつクリアできたっていうところがありました。だから、次は新しいことにチャレンジしたいっていうことで、フォームを変えることに踏み切ったと。 ――なるほど。 星 金メダルを獲った選手のフォームを変えるなんて、すごく責任がありますし、ものすごくプレッシャーでした。もし速くならなかったらどうしようって。でも、別にそれはそれでいいと。まずはフォームの改善がどこまでできるかが大切で、金メダルをまた獲ることより、そっちにチャレンジしたいと言われたので。視覚障がい者の自分が可能性を示したいということも言っていて、それに携われるならという気持ちで私もお手伝いをしています。なので、パリでどれくらい期待できますかって聞かれたら、正直現状、記録はそこまで期待できないと思うんですよ。泳ぎを変えることは、やっぱり健常の選手でも相当難しいですし。泳ぎ自体はだいぶ良くなってきていますが、あと半年くらいでどこまで改善できるのか、高い泳速でどのくらいできるのかはわかりません。まずは泳ぎを変えたいっていう本来の彼の目的を、本番までに確立することが最優先かなと思っていますし、彼も同じことを言っているので。高い泳速で100パーセントできるようになったら、自ずとタイムも速くなってくると絶対に言えますが、今はタイムより泳ぎをしっかり定着させることに尽きるかなと思っています。 オリンピアンとパラリンピアンの新たな関係 ――コーチする相手が視覚障がい者ということについてはどうですか? 星 特別意識をしているつもりはないんですけど、一緒に過ごす時間が増えてわかったのは、木村選手はこちらに気を使わせないようにするんですよね。自分が気を使わなきゃいけないって思っていたんですけど。ちょっとしたことですごく失礼なことしちゃったなと思うことも多いですが、木村選手が私に気にさせないようにしてくれているのかもしれなくて、ありがたいなって思うことはすごく多いです。それもあって、遠慮しすぎたりとか、気を使いすぎたりするのはそんなにしなくてもいいのかなっていうのは感じています。 ――そうなんですね。 星 タッピング(※ターン時などに選手をスティックで叩いて壁までの距離を知らせる)も、最初は練習でもすごく緊張して、今でもちょっとタイミング早かったかなとか、近かったかな、遠すぎたかなとかすごく思うんですけど、木村選手は、全然気にしてないよ、わかればいいよみたいな感じで言ってくれるので、そういうところもすごく助かっていますね。 ――タッピングは見ていても難しそうです。 星 本当に。最初は私がやるとは思っていなくて。慣れている人がやらないと危ないじゃないですか。でも、基本的に一人の選手に対してタッパーは両サイドに一人ずつ、二人必要で、最初は連盟のスタッフの方が手伝ってくれていて私はやっていなかったんですけど、見ていると私も入ったほうがいいのかなと思って聞いてみたら、ぜひそうしてもらえると助かると言われて。最初はゆっくりのスピードの時にやるようになって、今では試合でもやっています。 ――バタフライ以外の種目も? 星 はい。でも、バタフライが一番怖いんですよ。両手を回すのでタッピングを失敗してしまうと選手が顔面から壁にぶつかってしまう危険性があるので。 タッピングは特にバタフライでは神経を使うという星さん ――木村選手とのコミュニケーションについてはどうですか? 星 うまく言葉にできなかったかなとか、伝えられなかったかなっていうのは日々ありますね。最初は一緒にプールに入って、手を持ってこの動きがこうでとか実際に体に触れてやることも必要でしたが、泳ぎを教えるうえでも何かを伝えるうえでも、基本的に全部言語化する必要があるので、そこに関しては本当にいまだにうまくできていないです。 ――難しいですよね。 星 自分でやってそれを見せることができないので、全部言葉にしないと。肘を下げないでとか、手のひらが先行でとか言っても、100パーセント伝わっているかはすごく不安です。でもそれは、私の勉強というか学びでもあるので。今はオリンピックに出ている男子選手の泳ぎに近づけるのは無理ではなくて、本当シンプルにやろうと思えばできるかもしれないと思ってやっています。 ――オリンピアンがパラリンピアンに指導するケースは今までないと思いますが、ご自身はどう思っていますか? 星 最初はあまり意識していなかったんですけど、メディアの方とかに言われる機会が多くて、今までない、と言われると、確かになって思います。でも、それだから始めたことではないですし、木村選手とこういう関係になったことによって、普段練習してるNTC(※ナショナルトレーニングセンター)ではオリの選手も一緒になるので、みんな声をかけてくれたりするんですよね。木村選手も話しかけてもらうとすごく喜んでいますし、オリとパラの関係性みたいなものが、ちょっと変わっていくきっかけになったらいいなと思ったりします。 ――そういう繋がりは、これから増えていってほしいと思います。 星 はい。たとえば、健常選手と障がい選手が同時に大会をやるのは、ハードルが高くて難しいことだとはわかるんですけど、一緒にできるところはあると思いますし、私も今のような関わり方をするようになってすごく感じるので、ぜひそういう機会が作れて、増えていってほしいと思います。 ――一緒にやることでわかることってありますものね。 星 そうなんですよね、本当に。そんな大きいことは言えないですけど、何かきっかけになればいいなと思います。 ――ぜひがんばってください。 星 はい。まずは木村選手と一緒にがんばります。 ――期待しています。本日はありがとうございました。 星 奈津美(ほし・なつみ)/1990年、埼玉県生まれ。1歳半で水泳を始め、バタフライ選手として活躍。高校時代は1、2年時にインターハイ優勝、3年時は日本選手権で高校新記録を出し北京オリンピック日本代表に選ばれた。16歳で患ったバセドウ病と闘いながらもオリンピックに3大会連続出場し、2012年ロンドン、2016年リオでは200mバタフライで2大会連続の銅メダルを獲得。世界水泳では2015年に日本人女子選手として初の金メダルに輝いた。2016年に現役引退後は水泳教室、企業や学校での講演活動やバセドウ病への理解促進など多方面で活動。2023年から木村敬一のフォーム指導アドバイザーを務める。 木村敬一(きむら・けいいち)/1990年、滋賀県生まれ。増殖性硝子体網膜症により2歳で視力を失う。小学4年で水泳を始め、筑波大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚支援学校)に進学し、水泳部に所属。2008年、高校3年で北京パラリンピックに初出場、12年ロンドン大会では100m平泳で銀、100mバタフライで銅メダル。16年リオ大会では、50m自由形、100mバタフライで銀、100m平泳、100m自由形で銅メダルを獲得。東京大会では、100mバタフライで金、100m平泳で銀メダルを獲得した。著書に『闇を泳ぐ』(ミライカナイ)がある。 取材・文・写真/編集部 協力/東京ガス株式会社、株式会社RIGHTS.、ルネサンス赤羽
自分の水泳を追求する。パリ2024パラリンピックに挑む木村敬一(水泳)

自分の水泳を追求する。パリ2024パラリンピックに挑む木村敬一(水泳)

3月9、10日行われたパラ水泳春季チャレンジレースでパリ2024パラリンピック日本代表推薦選手に選ばれ、代表に内定した木村敬一。東京2020大会で悲願の金メダルを獲得後、昨年から五輪メダリストの星奈津美さんをバタフライのフォーム指導アドバイザーに迎えてさらなる進化を目指している。練習を訪ね、近況とパリ大会への想いなどを聞いた。 パラ水泳春季チャレンジレースでの木村敬一のバタフライの泳ぎ。代表内定を獲得した 東京で目標を達成。次に見つめるものとは ――木村選手は、東京パラリンピックでご自身が「人生最大の目標」と位置付けていた金メダルを獲得しました。大会直後、金メダル獲得を上回る目標が見つからないとおっしゃっていましたが、パリ大会へ向け、どのように気持ちを切り替えていったのですか。 木村敬一(以下、木村) 目標として、もしかしたら上回ってはいないかもしれないですけど、水泳を続けていく中で、まだやれていないことがいろいろあるなって思っていました。せっかくここまで水泳をしてきたので、やれることがある以上はやってみたいなっていう。 ――「やれること」とは具体的に何ですか。 木村 泳ぎの技術的な進歩ですね。今までは本当にどうにか自分のできる限りの体力練習の中で、フィジカルを強くして、強くなっていこうってことをやっていましたけど。それ以外にも泳ぎの技術のところで変えられるところがまだまだあって、それが伸びしろだっていろいろな人から言ってもらえたので。自分でも、それはまだできていないところかなと。 ――パラリンピックのメダル云々ではなく、自分の水泳に対してということですかね。そんな中で、長年タッグを組んできた寺西真人さんと離れることになりました。木村選手とって大きな出来事だったのではないかなと思うんですけど。 木村 でもまあ、なんていうか、歳ですからね(笑)。そこにそんなに大きな決断をしたつもりは僕にはなくて。大学生になった時やアメリカに拠点を移すことになった時も一緒に練習していたわけではなかったですし。たまたま東京パラリンピックの時は一緒に練習してましたけれども。コロナがなかったら東京の前に日本で練習することはなかったと思いますし。 ――なるほど。「寺西さんロス」のようなことはなかった。 木村 そうですね。そこまで大きな出来事じゃなかったかなと思います。もちろん、子供の頃から見てもらっていた先生と、大会前に一緒に練習ができ、金メダルを獲る瞬間も一緒にいられたというのは、忘れられない思い出になりましたし、自分にとってはすごく良かったです。 東京大会では100mバタフライ(S11)で金メダル。子供のころから指導を受け、この日はタッパーを務めた寺西真人さんと抱き合い嗚咽した 五輪メダリストとタッグを組んで目指すパリでの泳ぎ ――現在、五輪メダリストの星奈津美さんにバタフライのフォーム指導を受けていますが、どのような経緯だったのでしょうか。技術的な進歩を狙って、ということかと思うんですけど。 木村 流れとしては、最初は深く関わってもらうという感じじゃなくて、たまたま星さんと食事した時に、まだ何か技術的にやれることがあるらしいんだっていうことを話したら、水中での泳ぎ見てみないとよくわからない、って言われたんです。じゃあ試しに見てもらおうというところから始まって、徐々に練習の回数を重ねていく中で、もうちょっとやれることがあるような気がすると言われました。いろいろ見るのであれば、普段の体力面の練習からどういうことやっているのか知っておきたいと言ってくれたので、それで今の形になっていった感じですね。 ――いつ頃から始めたんですか。 木村 ちょうど1年前です。 ――実際指導を受けてみて、どんな変化を感じていますか? 木村 指導というよりは、一緒に泳ぎっていうものを考えて、最適なものにしていく作業を手伝ってくれてる感じなんです。星さんは本当に速く泳いでいた人なので、何か感覚的なところで学べることがあればいいなと思いながらやっています。指導をしてもらってるというよりは、一緒に泳ぎを作っていく関係ですかね。 ――以前からお知り合いだったんですよね。 木村 そうですね。たまたま年齢が同じで。何度かオリパラ合同のイベントなどでご一緒する機会がありました。 ――星さんと一緒に泳ぎを作っていく中で、これまでためになったり、取り入れたりしたポイントはありますか? 木村 いろいろあるのでひとつ挙げるのはなかなか難しいんですけど、最初は本当に姿勢作りのところとか、腕の軌道のこと、手と足のタイミングのこととか。泳ぎにはいろいろな要素があるので、本当にさまざまですね。 ――今日は腕のタイミンを練習していたようですが。 木村 腕の、特に水をかききってから空中で戻すところの作業を重点的に練習しました。手を空中で戻している瞬間っていうのは推進力にならないので、そこで余計な力を使わないように。この部分はないに越したことない時間なんで。だからできるだけ力を抜いて処理したい。それをするためには、どのタイミングで空中に上がれば余計な力を使わずに腕を前方へ戻せるか。その練習ですね。 ――実際、そうやって泳ぎを作っているのはバタフライだけなんですか? 木村 星さんにはバタフライだけ見てもらっています。自由形の練習もしているんですけど、バタフライと共通するところはあるので、バタフライの練習の取り組みが自由形に生かせているというか、応用できることはたくさんありますね。ここ(※ルネサンス赤羽)のプールは結構あたたかくて底に足も着くので、本当にこうゆっくり泳ぐ練習に適していて、今日のようにしっかりとゆっくり喋りながら時間をかけて技術的な練習ができます。 ――これまで自己流というか、自分の感覚を頼りに泳ぎを作ってきた、と以前お聞きしたことがありますが、星さんの指導を受けて変わってきた感覚はありますか? 泳ぎを拝見していると、良い意味で粗削りだったフォームにスムーズな感じが加わってきたように見えましたが。 木村 今日に関して言うと、そういうところはあるのかもしれないですけど、ただ、何か新しいことを習得するというよりは、余計なところを削っていってるような作業なのかもしれないです。 ――さて、木村選手にとっては5回目のパラリンピックとなるパリ大会が迫ってきました。目標を教えてください。 木村 やっぱり出る限りは少しでも速く泳ぎたいし、ひとつでも高い順位でいい色のメダルを獲りたいと思います。ただそのためには、バタフライに関して言うと、どうしても大きな変化を出さないとそれができないんだろうなって一方で思うんです。今まで通りの泳ぎをしたところで、おそらく自己ベストを大幅に更新していくっていうのはちょっと難しそうだと思うし、最近のライバルの情勢とかを考えても、普通にやって勝てるわけじゃなさそうっていうのもあるので。バタフライではものすごい大きな変化というか、イノベーションに近いものが起きないとダメだと思っています。その大きな変化を出した泳ぎをしっかりとパリの舞台で発揮できるような準備をしていきたいなって思っています。 ――東京では自由形でもメダルを獲りましたが、パリではバタフライを一番重視していると。 木村 はい、そうですね。 ――私たちも木村選手の泳ぎに注目し、活躍を期待しています!  木村 ありがとうございます。がんばります! 東京大会で金メダルを獲得したときの泳ぎは粗削りながら力強さが印象的だった 五輪メダリストの星奈津美さん(左)にバタフライのフォーム指導を受け、自分の泳ぎを追求している。右はコーチの古賀大樹さん パラとオリのギブ・アンド・テイクを目指して ――一昨年、レガシーハーフマラソンを走りましたよね。 木村 はい。マラソンは初めてだったので、すごくきつかったです! ――見事に完走しました。 木村 どうにか(笑) ――マラソンを走ることでパラスポーツを広めていくという考えもあったのではないかと思いますが、そのあたりはいかがですか。 木村 そうですね。東京でパラリンピックが行われたことで、たくさんの方がパラスポーツに関心を持ってくれるようになったとは思うんですけど、 やっぱり自国で開催するっていうのは最後の切り札というか、これ以上広げる方法はないと思うんです。だからここから先は放っておいたら盛り下がる一方なんですけど、これはある意味しょうがないんですよね。だから私たちとしては、いろいろな話題を作り続けるというか、何かおもしろいことをやり続けないとダメだなっていうふうには思っていて。マラソンがそれに当たるかどうかはわからないんですけど、でもやっぱり東京が最ピークだったって終わるのはあまりにも寂しいことなので、しっかりとこの先もひとつのおもしろいスポーツとしてあり続けるためには、 何かしらの工夫を続けていかないといけないんだろうなと思っています。 ――パラスポーツをもっと普及してくために、考えていることはありますか? 木村 ちょっと思っているのは、今自分はこうやって普通に水泳をしているだけですけど、星さんのようなオリンピック選手が加わってくれるっていうのは、ひとつの競技スポーツとして時間が進んでいる現れだと思うんです。だから、そういう人の力を借りるのもひとつの方法なんだろうなと思ってます。 ――オリとパラの融合。 木村 融合まではまだまだ。今は、協力ですかね。パラからオリに対しても何かしらのメリットを出せれば融合になるんでしょうけど、今のところ圧倒的にパラが恩恵受け受けまくっていますね。ギブ・アンド・テイクになってないない感じです。もうちょっとパラの方もオリンピック選手たちに対して、少しでも有益なものを提供できないとダメですね。 ――そういう役割を木村選手が果たしてくれると、パラスポーツがもっと発展していくと思いますので期待しています。本日はありがとうございました。 木村敬一(きむら・けいいち):右/1990年、滋賀県生まれ。増殖性硝子体網膜症により2歳で視力を失う。小学4年で水泳を始め、筑波大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚支援学校)に進学し、水泳部に所属。2008年、高校3年で北京パラリンピックに初出場、12年ロンドン大会では100m平泳で銀、100mバタフライで銅メダル。16年リオ大会では、50m自由形、100mバタフライで銀、100m平泳、100m自由形で銅メダルを獲得。東京大会では、100mバタフライで金、100m平泳で銀メダルを獲得した。著書に『闇を泳ぐ』(ミライカナイ)がある。 星 奈津美(ほし・なつみ):左/1990年、埼玉県生まれ。1歳半で水泳を始め、バタフライ選手として活躍。高校時代は1、2年時にインターハイ優勝、3年時は日本選手権で高校新記録を出し北京オリンピック日本代表に選ばれた。16歳で患ったバセドウ病と闘いながらもオリンピックに3大会連続出場し、2012年ロンドン、2016年リオでは200mバタフライで2大会連続の銅メダルを獲得。世界水泳では2015年に日本人女子選手として初の金メダルに輝いた。2016年に現役引退後は水泳教室、企業や学校での講演活動やバセドウ病への理解促進など多方面で活動。2023年から木村敬一のフォーム指導アドバイザーを務める。 取材・文/編集部 写真/堀切功(東京パラリンピック)、吉村もと、編集部 協力/東京ガス株式会社、ルネサンス赤羽
悲願の世界一! デフフットサルW杯を制した日本女子代表チーム山本典城監督インタビュー(全3回/第3回)

悲願の世界一! デフフットサルW杯を制した日本女子代表チーム山本典城監督インタビュー(全3回/第3回)

11月9日~18日、ブラジルで開催された第5回ろう者フットサル世界選手権大会(デフフットサルワールドカップ2023)。世界一を決めるこの大会で、日本女子チームが見事に優勝を果たした。代表チームの山本典城監督のインタビューをお届けする。(全3回/第3回) 取材・文/編集部 写真協力/一般社団法人日本ろう者サッカー協会 取材協力/ケイアイスター不動産株式会社 ――予選最終戦のブラジル戦。この時点でブラジルはすでに決勝進出が決まっていたのに対し、日本が決勝へ進むためには引き分け以上が必要でした。そして結果は7対1で日本の圧勝。予想外の大差だったのではないでしょうか。 山本典城監督(以下同) アイルランド戦後のチームの意思統一がうまくいったので、そこで一気に本当に優勝を掴むための流れが始まったかなっていうふうに今は思います。結果論かもしれませんが。ブラジル戦は選手たちはすごく一つにまとまって、いい話し合いができました。すべてがうまく行きすぎと言ったら変ですけど。ブラジルにとっては消化ゲームとも言えましたが、そもそもホームですし国民気質として負けは許されない国なので、当然勝ちに来て試合に入ったと思うんですけど、正直そういったレベルを日本が超越したというか。ブラジル相手に試合開始と同時に、この試合に勝つのは自分たちだっていうプレーを全員が見せたし、ベンチも含めてブラジルは正直その日本の勢いに飲まれたという感じだったと思います。 前半で4対1となった時点では、ブラジルもそれほど選手層が厚いわけではないので、ある程度選手の使い方とかを見ていると、このゲームは諦めたというか、このまま終わらせるんだろうなっていうことは感じました。日本はもうイケイケで得点を積み重ねて、結果7対1で終わりましたけど。 ――ブラジルの地元でブラジルを飲む感じ、雰囲気っていうのは、すごいことですね。 そうですね。でも自分たちにはそんなに余裕もなくて、ただ本当に目の前の試合に勝つ、それがたまたまブラジルだったっていう、それぐらいの感覚だったかもしれないです。それで勝ったことでメダルが確定した。日本のデフフットサルの歴史で言うと史上初ですし、本当にもう全員が優勝したかのように喜ぶような状況ではありました。でも振り返ると、勝って安心はしましたけど、意外とみんなが、まだ次があるっていう感じではあったので、そこはチームの成長なのかなと思っています。 ――監督から見て、その前のアイルランド戦とどこが違ったのですか。 アイルランド戦は選手がまとまっていませんでした。誰かのミスに対して他の誰かがカバーするとか、そんな空気もなかったんです。だけどブラジル戦に関しては、とにかくもう全員でサポートし合って、勝つために1人1人がやれることをやる。そこで本当にチームがまとまっていたなと思います。スタッフも含めて。本当に私も含め、選手たちのゴール1点1点に全員が飛び跳ねて喜びましたし、ピッチにいるいないは関係なく、全員が一緒に戦えたゲームだったと思いますね。 ――そして、いよいよ決勝は中一日で再びブラジル戦。延長戦までもつれこむタフな試合になりました。 まず、予選リーグでやったブラジルとはまったく別チームになるというのは、試合前から選手たちにも言っていました。とはいえ自分たちがやることは変わらないし、やってきたことを出せたからこそ予選で7対1という結果につながったのであって、それを一つでも出せなければ勝つチャンスはどんどん減っていくっていう部分では、難しい試合になることは想定していました。それでも、やるべきことは決まってるよねっていうところで全員が同じ方向を向いていて、気がゆるむようなこともまったくなかったですね。 正直、私も含めてワールドカップの決勝戦は初めてでしたし、世界一を決める舞台だと考えれば考えるほど、普通の精神状態ではいられないというか。自分もどこかでなにか落ち着いた振る舞いを意図的にやらなきゃいけないのかと考えながら試合までの時間を過ごしたほどで、決して普通の精神状態ではなかったですね。ただ、自分たちはもう失うものはなかったし、本当に試合前に選手たちにも言ったんですけど、決勝に進めた時点で、正直、応援してくださる方々は自分たちのことをもう十分に称えてくれるだろうと。ここに来ただけでも、新しい場所に来ているので、勝たなきゃいけないとプレッシャーに感じるのではなくて、最後はもう自分たちがここで勝つためにやってきたこと、それだけに集中してこの舞台を楽しむことだけを考えてやろうっていうふうに試合に入りました。思ったよりもみんな気負いもなく、しっかりゲームに入れたんじゃないかなと思います。同時に、絶対勝つぞという雰囲気もありました。 ――前半が1対0、後半が2対3。3対3で延長戦になって、延長前半が0対0、後半が1対1で、4対4の同点で試合が終わりました。振り返ってみて、どこがポイントでしたか。 試合全体を通してここがポイントだったというところはなかったと思います。先制点が取れたのは上出来でしたし、ただそれで終わるとは思っていなかったです。案の定、後半が始まって自分たちのちょっとしたエラーもあって失点して、ホームのブラジルは同点に追いついたことで勢いが増して、会場の雰囲気も変わった。やっぱりあの時間帯は飲まれて、それで逆転されましたが、ゲームの流れとしては想定内でしたね。起こるべくして起こっている状況ではあったので、自分の中でもそんなに焦りもなくて、結構ずっと冷静ではいられました。 そして逆転されてからですね。選手たち自身が本当にこの試合に懸ける思いみたいなものをピッチ上で体現し始めたんです。相当きつかったと思うんですよ、ゲームの展開的には。だけどいい形で同点に追いついて、そこからまた勝ち越されても、またいい形で追いついて、自分たちが積み上げてきたものをしっかりと 出していた。延長に入ってからは、もうここまできたら気持ちの問題だし、勝ちたいって思った方に結果は転ぶと思っていたので、戦術より気持ちの部分を出して行こうと。延長後半で第2PKを決められた時は、残り時間も含めてうーんってなりましたけど、でも誰1人として諦めてはいませんでした。それで最後、普段なら入らないだろうなっていうゴールが決まって同点に追いつくことができました。 ――そして、PK戦は3対1で日本が見事に勝ち、世界一に! PK戦は運だという人もいますけど、このチームはPKの練習をたくさんしてきたんですよ。8年前のタイのワールドカップの準々決勝で、イタリアにPKで負けたんですけど、それが常に私の頭の中にあって、この4年間に関しても練習試合の時にゲームが終わった後に相手チームに頼んでPK戦までやってもらっていました。そういう積み重ねが最後の場面で出たと思っています。キッカーは思いっきり蹴ることができたし、キーパーも落ち着いて好セーブすることに繋がったのかなと思います。 最後に勝利を決めたキッカーは岩渕だったんですけど、実は8年前のワールドカップのイタリア戦で、最後に外したのは岩渕なんですよ。ですので、そこから世界一を目指すストーリーみたいなものが始まっていたというか、イタリア戦で外した岩渕が最後に決めて世界一になって終わるという、こんなドラマみたいなことがあるんだなと思いながら試合を終えました。 ――世界一になって、山本監督にとって、あるいは日本のチームにとって、どんな大会になったと考えていますか。 もちろん、結果としては、本当に目指していた世界ナンバーワンをとれて、自分たちがやってきたことが正しかったっていう証明ができたと思っています。本当に大会中を含めて応援してくださる方々の声というか、SNSとかも含めて、すごくチームには伝わってきていました。そういう部分では障がいのあるなしに関係なく、自分たちもアスリートとしてたくさんの方々に応援していただいて、なおかつ、いろいろな方に感動とか勇気を与えることができるんだっていうのを、結果で証明できたんじゃないかなと思っています。この結果が今後、障がい者スポーツの捉え方だったり認知を含めて、少しずつ変わっていく一つのきっかけになってほしいというのは強く思ってますし、デフフットサルを含めて障がい者スポーツの認知度を上げるためには、やはり結果がすべてだと思います。まずは結果を出さないと始まらないだろうとずっと結果にこだわってきたので、そういう意味では世界一が取れて最高の結果は得られたと思っています。 でも、帰国して数日経って考えたことは、ここからがスタートなんだなっていうことです。世界一を取ったけど、騒いでくれてるのは周りの身内というか、盛り上がってる感は出てますけど、本当はもっともっと多くのメディアの方々にこの結果が届いて、興味を持ってもらって発信してもらうことを願っていた分、まだまだかという気持ちも正直あります。まあ1回、世界一になっただけではあるので、これをきっかけにここからどう進んでいくかっていう部分では、これが始まりなのかなと思っています。実際、10年前に私が監督をやり始めたころに比べると、デフフットサルの見られ方も認知度も変わってきているのは間違いないので、本当にここからまたスタートだろうなと今思っています。 ――間髪入れずにデフリンピック冬季大会が来年3月にトルコで開催されます。この大会からデフフットサルが冬季正式競技として採用され、日本は世界チャンピオンとして出場することになります。 正直、ここから3カ月の間に新しいことはなかなかできないと思うので、今回優勝した勢いをそのままデフリンピックへ持っていくっていうのが一つですね。予定では12カ国が参加することになっていますが、今回のワールドカップに不参加だったスペインやポーランドが出てきますし、イングランドやドイツ、もちろんブラジルも出ます。開催国のトルコもそれなりに運動能力ある選手たちがたくさんいるので、今回のワールドカップよりも全体的にレベルも高くなる大会になるんじゃないかなと思っています。 それと、デフスポーツの中でのデフリンピックの存在はやっぱり大きいんだなっていうのは、改めて感じています。そこに対するモチベーションの高さはどの国にもありますね。日本はワールドカップの優勝国として見られますが、デフリンピックであるがゆえにさらに簡単な大会にはならないと思っています。大会まで時間があまりなく気持ちの疲労もあると思いますが、デフリンピックもやってやるぞ! という感じで、もう1回行けるのかなとは思っています。 ――われわれからすると、勝手なことを言いますけど、デフリンピックでもぜひ金メダルを取ってもらって、2025年の東京デフリンピックへ向けてデフスポーツの勢いを加速させてほしいという期待があります。 2025年の東京デリンピックを盛り上げるためには、そこまでにすべての競技で、試合はもちろん、それ以外の部分でもみんなで頑張らないといけないことがたくさんあると思います。とにもかくにもまずは競技で結果を出して世の中の方に知ってもらうことが一番大事だと思うので、ここからの2年間はデフスポーツにとっては頑張り時というか、このチャンスを少しでも掴んでいきたいですね。そういう意味では、まずわれわれが来年3月に結果を出すことは重要だと思っています。ここまで来たら、初代デフリンピック・チャンピオンを取りに行きたいですし、それが決して夢物語ではない立ち位置に自分たちはいると思うので、しっかりそこを見据えてやりたいと思います。 ――ありがとうございました。デフリンピックでの優勝、期待しています! 山本典城(やまもと・よしき) 大学までサッカーをプレーした後、フットサルに転向。2013年からデフフットサル日本女子代表チームの監督を務める。今回のワールドカップでチームを優勝へと導き、最優秀監督賞を受賞した。1975年生まれ、奈良県出身。
悲願の世界一! デフフットサルW杯を制した日本女子代表チーム山本典城監督インタビュー(全3回/第2回)

悲願の世界一! デフフットサルW杯を制した日本女子代表チーム山本典城監督インタビュー(全3回/第2回)

11月9日~18日、ブラジルで開催された第5回ろう者フットサル世界選手権大会(デフフットサルワールドカップ2023)。世界一を決めるこの大会で、日本女子チームが見事に優勝を果たした。代表チームの山本典城監督のインタビューをお届けする。(全3回/第2回) 取材・文/編集部 写真協力/一般社団法人日本ろう者サッカー協会 取材協力/ケイアイスター不動産株式会社 ――予選2試合を1勝1分けで、3戦目の相手がアルゼンチン。この試合から体調不良で前の2試合に出られなかった酒井藍莉選手が戻ってきて、岩渕亜依選手、阿部菜摘選手、中井香那選手と、ゴールキーパーの芹澤育代選手がスタメンでした。 山本典城監督(以下同) 自分の考え方として、スタメンにあまりこだわりはないんですけど、ゲームに入って行く流れの中で、一番バランスが取れるフィールドプレーヤー4人だったと言えると思います。中井はディフェンスでしっかり相手にプレッシャーをかけられる選手だし、酒井は後ろでバランスを取れる。その両サイドに経験のある岩渕と阿部を置いて、あまり波が出にくい4人ではあるので。そこはこの4年間積み重ねてきた中でスタートしていくっていうのが一つの流れとして積み上がってはいたので、酒井が試合に戻った時点でそこに戻しました。キーパーに関してはここまで出場のなかった芹澤を起用しましたが、GKコーチの松原とも話をする中で、今後の試合のことも考えてこのタイミングで一度起用する形を選びました。キーパーに関しては國島、芹澤ともに高いパフォーマンスを維持できていたのでとくに心配はありませんでした。 ――アルゼンチンはどのようなチームだったのでしょうか。 アルゼンチンについては、正直、事前の情報がなくて、どれくらいできるんだろうというのは未知数だったんです。でも、開幕戦のブラジル対アルゼンチンを見て、組織的な部分の構築は全然できていないなと感じました。とはいえ1人1人を見ると、技術を持っている選手が何人かいましたね。それと南米特有の負けず嫌いの気質というか、やはり気持ちの部分はうまい下手に関係なくピッチで出せる選手がたくさんいるチームではあったので、簡単な試合にはならないとは思っていました。それでも、自分たちがやるべきことをしっかりとやれば勝ち点を取れる試合だと考えていました。 ――4対0と完勝でした。 ドイツ戦で少し流れを止めてしまった部分を、アルゼンチン戦でしっかり勝って取り戻すというところも結構意識してはいました。ですので、ディフェンスに関しても、しっかり前から行きました。ドイツ戦とは打って変わって、この試合は確実に勝ち点3を取りに行くっていうことを明確に選手にも伝えて試合に入ったので、それが実際に結果としても出たのかなと思います。とはいえ、もっと点は取れましたけどね、チャンスはたくさんあったので。 ――アルゼンチンにいい形で勝った後、続くアイルランド戦は1対1の引き分けでした。 この試合は大会の中でも日本のターニングポイントでした。アイルランドは日本とやるまでは全敗していたんです。普通にやるべきことをやれれば、問題なく勝ち点が取れるだろうと思っていました。それに、この試合に勝てば日本の決勝進出、つまりデフフットサル史上初のメダルが確定するという状況の中での試合でもありました。それが引き分けに終わってしまい、おごりみたいなものはチームの中には決してなかったはずだったんですが、蓋を開けてみると全然走れてなくて。走れていないと、チャンスをたくさん作っても決められない。試合全体として、選手たちの気持ちが空回りしていたというか、気持ちがあまり伝わってこない状態でしたね。 ――想定外の悪い出来で引き分けてしまったと。 たしかに暑さもあったんですけど、なんでだろうっていうところは、試合中でも常に自分で考えながらやっていましたね。ただ、実力差はあったので、先制点を決めてからずっと日本が支配していた中で、最悪このまま1対0で終わるだろうなという思いもありました。でも、そこが隙でもあったと思うんですよね。1対0から追加点を奪えなくて、結局、最後残り30秒ぐらいで相手に取られてしまったんです。この状況でこのシュートはないだろう、っていう点の取られ方でしたけど。 この試合が引き分けに終わって、それですべてが終わったわけではなかったんですけど、本来であればアイルランドに勝って決勝進出を決めて、次の予選最後のブラジル戦は決勝戦を想定した上でいろいろな戦い方ができるなっていうことは考えていました。ブラジル戦の勝敗に関係なく決勝へ上がれる状況を作れていたはずなのに、それを取りこぼしてしまったわけです。それはもう全員がわかっていましたし、試合後は一気に天国から地獄に落ちるような状況に陥ってしまった雰囲気がありました。当然、切り替えてやるしかないとチームには伝えたんですけど。 ホテルに戻って何が良くなかったのかということをいろいろ振り返りました。それで、アルゼンチン戦でももっと点が取れたはずだというのもあったんですけど、アイルランド戦の引き分けの要因として、チームが一つになれていなかったというのを感じたんです。そして、選手同士の中でも、お互いを信じあえていない、結果一つにまとまっていなかったという話が試合後に出てきました。チームがバラバラの状態で簡単に勝てるような舞台ではないので、まとまりが大切だということはこれまで散々積み重ねてきたはずなのに、本番でそれが崩れるようなことが起きてしまうんだって思って。かなりしんどい状況でしたね。 次のブラジル戦までは中一日あったので、まずはとにかく選手だけで腹を割って話すように指示しました。全員、1人1人が思っていることをぶつけるように。デフフットサルの女子の未来を考えた時に、世界の中でしっかりと結果を出していくチームに成長するためには、仲よしこよしでは到底勝てないレベルにきていますし、日本代表という日の丸を背負っている場所で、たくさん応援していただいている中で、責任の部分も含めて厳しさは自分たち自身でも作って、そういうチームにならないとこれ以上の成長は見込めないと思っていましたので。このタイミングでこれを選手に求めることで、逆にチームが崩壊してしまうかもしれないというリスクも考えましたけど、ここをみんなで乗り越えることができなければ、ブラジルに勝つ可能性は低くなると思いました。 ――監督としても判断が難しい状況だったのですね。 本当に賭けじゃないですけど、選手たちがこれまで積み重ねてきた思いとか、この大会にかける思いの方が勝ると思ったんです。そこでやっぱりみんなもう1回、一つにまとまれる。選手たちを信じてやらせました。それが良い方向に出て、次は選手にスタッフも交えてブラジル戦のスカウティングのミーティングの前にみんなで腹を割って話して、全員でもう1回本当に一つになろうと言ってブラジル戦に臨んだんです。 アイルランド戦の引き分けは、今大会のターニングポイントだったことは間違いないです。この引き分けにも意味があるんだなっていう。結果論なんですけど。アイルランドに簡単に勝って決勝へ行っていたら、多分負けていたと思うんですよね。それぐらい大きな出来事ではありました。(第3回へ続く) 山本典城(やまもと・よしき) 大学までサッカーをプレーした後、フットサルに転向。2013年からデフフットサル日本女子代表チームの監督を務める。今回のワールドカップでチームを優勝へと導き、最優秀監督賞を受賞した。1975年生まれ、奈良県出身。
悲願の世界一! デフフットサルW杯を制した日本女子代表チーム山本典城監督インタビュー(全3回/第1回)

悲願の世界一! デフフットサルW杯を制した日本女子代表チーム山本典城監督インタビュー(全3回/第1回)

11月9日~18日、ブラジルで開催された第5回ろう者フットサル世界選手権大会(デフフットサルワールドカップ2023)。世界一を決めるこの大会で、日本女子チームが見事に優勝を果たした。代表チームの山本典城監督のインタビューをお届けする。(全3回/第1回) 取材・文/編集部 写真協力/一般社団法人日本ろう者サッカー協会 取材協力/ケイアイスター不動産株式会社 ――ワールドカップ初優勝、本当におめでとうございます! 山本典城監督(以下同) ありがとうございます。 ――まず、今回の代表チームについて教えてください。 今回の代表選手選考については、デフフットサルの女子は競技人口が少ないこともあって、ある程度限られた選手の中から世界の舞台でも戦えるという基準みたいなものを自分の中で設定していました。もちろんそれは技術的な部分だけではなくて、チームの一員として、チームにポジティブな部分を与えられる選手、ピッチ外も含めて必要な役割があるので、それに達している選手を最終的に12名選びました。 やはり一番大きな問題として、女子の場合、デフサッカーと掛け持ちをしている選手が今まで多かったんです。それだと大会スケジュールの問題などがあって、両方に参加するのはなかなか難しいという私自身の考えがありました。コンディションの問題やケガのリスクも増えます。そういった点で、選手に常々言ってきたことは、フットサルで結果を出すには、やっぱりサッカーと掛け持ちでやっているようではなかなか難しいということです。結果を出すというところを考えれば、フットサル選手として成長するためには日常的にフットサルと向き合わないといけないですし、サッカー選手として成長するんだったらサッカーと向き合わないといけない。そこを両方やるっていうのは、やっぱり難しいと思うんです。今回の12名の選手に関しては、全員がフットサルで結果を出したい、そのために少なくとも前回のワールドカップから4年間、積み上げてきた選手たちです。 ――山本監督の中ではどのようなチーム、どうやって勝っていくチームにしようと思っていたのでしょうか。 今大会に関しては4年前の経験も踏まえて、日本の強み、それは自分の中では明確になっていたんですけど、攻守の切り替え、ディフェンスもオフェンスもしっかり組織として連動していけるという強みを生かしたいと考えていました。それと他国と比べると日本はチームとしての活動日数が多く、その差が生まれると思っていました。日本の選手たちは金銭的負担も覚悟して、勝つために、世界一を目指したいということで、明確に目標を設定して、じゃあそのために必要なことは何かっていうところで、活動頻度も含めてトレーニング環境を良くしたり、合宿も増やす努力をしました。世界一を取るために必要なことを、軸をぶらさずに選手にも理解してもらってやっている部分が大きいですね。組織的な部分の落とし込みということころでは、間違いなく他の国よりは積み重ねたものが大きかったですし、実際にそれが今回の結果を生んだ一番の要因だと思っています。 ――他のチームと比べて、練習量も多く、練習でやってきたことを本番で出そうという。 はい、そうですね。ワールドカップ期間中に新しいことをやるのではなく、積み重ねてきたものを試合でいかに出せるか。あとは相手との相性だったり、守り方や攻め方もいろいろな形がある中で、どれだけ自分たちがやってきたものをベースに、相手を考慮したうえで引き出しから何を選ぶかという、そこのチョイスを増やす積み重ねをやってきたのと、 選手それぞれがその瞬間瞬間、いい選択、判断ができるためのトレーニングを積み重ねてきました。 たとえば、ヨーロッパの選手は体格が大きくて、実際今大会も3チームと戦って1勝2分けと苦戦したんですけど、これまでは強引に体を使って来る相手に力負けしていた部分があったところを、フィジカルの部分も積み上げてきて、我慢しながらディフェンスをする中で、しっかりと自分たちの形でたくさんチャンスを作って、相手よりも多くゴールを奪う。そこがようやく形として出せた大会だったかなと思っています。 ――そのヨーロッパでチャンピオンとなった強豪、イングランドが初戦の相手でした。 今回、当初8チームが参加する予定で、予選リーグは2つのグループに4チームずつが分かれて戦うスケジュールでした。ところが直前でケニアとガーナのアフリカ勢2チームが不参加となり、予選は6チームの総当たりで行われることになったんです。初戦相手のイングランドは同じグループで、本来なら予選の3試合目にあたる予定でした。なのでその前の2試合で決勝トーナメントの進出を決めてからイングランドに臨むという青写真を描いていたんですけど。 ――難しい初戦で、しかも難敵のイングランドに3対0で見事勝利しました。 勝って一気に波に乗れたというか。8年前、タイのワールドカップでの最後、順位決定戦で日本はイングランドに負けて終わっているということも含めて、自分たちが積み上げてみきたものが、しっかりと世界で通用することがわかりました。そこの自信を持つには、もう十分すぎる結果と内容だったかなと思います。 もちろん、初戦の相手としては、ちょっと嫌でした。初戦の難しさというのももちろんありましたし、イングランドは格上だと思っていましたので。ヨーロッパ選手権とかの映像を見てスカウティングしている中でも、個々の技術の高さは日本より上だと思っていました。それと、日本にとってネガティブな部分は、国際大会での経験があまりにも少ないことです。ヨーロッパは毎年ヨーロッパ選手権をやっていて、そういう緊張感のある戦いをやっていますし、日本は体の大きい相手とやる経験が少ないがゆえに、やっぱり始まってみないと選手たちがどこまで相手からプレッシャーを感じるかというところが、あまり読めなかった部分がありました。そういうことも含めて、初戦にイングランドとやって失点もなく、いい形で結果を出せたっていうのは、本当に今大会の一つの大きなポイントだったと思います。 ――続く予選の2試合目はドイツと0対0の引き分け。 これはタラレバの話なんですけど、今考えると結果的に試合の入り方がよくありませんでした。イングランド戦に関しては、やっぱりガンガン自分たちで前からプレスをかけていくことができたのですが、ドイツ戦に関しては、相手が始まってすぐにかなり引いた状態でディフェンスをし始めたので、余裕を持ってボール保持ができてはいたものの、その状態からリスクをかけて何かを選択するっていうところをやらなかったんですね、私の選択として。その部分が、ディフェンスでもオフェンスにおいても、少し選手たちのプレーを消極的にしてしまったかなと思います。引いた相手に付き合ってしまったというか。試合の入り方、自分の伝え方がうまくいかなかったところは、反省の多い試合だったと思っています。 ドイツも日本のイングランド戦を見て、多分引いてきたと思うので、そういう部分では2試合目にして日本の見られ方っていうのが一気に変わった感触のある試合でもありました。とはいえ、やはりずっと引いていた相手に対してゴールを奪えなかったっていうところは、今後の課題として持ち帰って来てはいますね。 勝つためにはリスクを背負わないといけない部分もあるけれど、自分の中でドイツとは最低でも引き分けて勝ち点1を取れば全然悪くないっていうのが頭のどこかにあって。もちろん勝ちに行きましたけど、引いた相手に対してもっとどこかでリスクを背負ってチャレンジしないといけない部分があったのは確かでしたね。それを選手たちにはっきりと伝えることができませんでした。(第2回へ続く) 山本典城(やまもと・よしき) 大学までサッカーをプレーした後、フットサルに転向。2013年からデフフットサル日本女子代表チームの監督を務める。今回のワールドカップでチームを優勝へと導き、最優秀監督賞を受賞した。1975年生まれ、奈良県出身。

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