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  スポーツをしたいと思えるきっかけ作り 野島弘(その1)

スポーツをしたいと思えるきっかけ作り 野島弘(その1)

野島は、1998年の長野冬季パラリンピック、そして、2006年のトリノ冬季パラリンピックにおいて、アルペンスキー日本代表の経歴をもつ。栄光のパラリンピアンである野島のチェアスキーのスタートが、実はザウス(千葉県船橋市の湾岸エリアに建設された、当時世界最大にして史上最大の屋内ゲレンデ施設。2002年に閉館)だったことは、あまり知られていない。そしてそのスタートは、とてつもなくアグレッシブだった。 「義理の兄と弟が無類のスキー好き。とくにコブが大好きで、ずっとスキーに行こうと誘われていました。ただ、自分はそれほど興味がなくて、4年間断り続けていたんです。そしたら、弟が日本チェアスキー協会から借りてきたチェアスキーを、目の前に〝ドン〞と出されたものだから行かないわけにはいかない。それで、初めてすべりに行ったのがザウスだったわけです」 17歳で事故にあい、脊椎を損傷して車いす生活となったが、さまざまなスポーツを楽しんできた野島。それなりに運動神経に自信はあったが、スキーだけはそうはいかなかった。 「ゲレンデデビューで最初から、乗ったことのないリフトに乗って、兄と一緒にコブをすべろうとしたからもう大変。バンバンコブをすべる兄を真似しては何度もコブに弾き飛ばされました。コブはそれなりにスキーをしてる人でも難しいロケーションじゃないですか。健常者の時にスキーの経験はなかったのですが、スポーツは何でもこなしてきたほうだったから、根拠はなかったけどすべれる自信はありました。だから、『初スキーだからコブをすべれなくても当然』と、言われても納得いかず、悔しい思いでいっぱいでした(笑)」 これを機に、スキーに真剣に取り組むようになる。そして、弟がチェアスキーの大会の情報を見つけてきて、野島のアグレッシブな魂に火を付けた。


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