世界が認めた車いす(1/2)
2018年8月、世界車いすバスケットボール選手権大会が行なわれたドイツで、MPのブランドで知られている車いすメーカーの松永製作所が、イギリス代表チームとオフィシャルサプライヤー契約の調印式を行なったという発表があった。契約は4年。つまり東京パラリンピックでは、イギリス代表チームは松永製作所の車いすを使用するということだ。
日本製の車いすを、海外の代表チームがオフィシャルサプライヤーにするのは異例のこと。しかもイギリス代表チームは、松永製作所と海外の2メーカーで、スピードを計測するなどのテストを行ない、その結果、松永製作所の車いすを選択。日本メーカーの車いすが、いちばん優れていたということだ。
世界に認められた松永製作所とは、どういった会社なのだろうか。
松永製作所は1974年に車いすメーカーとして創業した。現在は車いすの他に、歩行器、杖、ストレッチャー、入浴補助用具などを製造している。
「今でこそ障がい者に対する差別はなくなってきましたが、創業当時は普通に差別があった時代。創業者の父、松永茂之は、自分の力で何とか助けたいという思いで、車いすを作り始めました。しかし、車いすのことを詳しく知らなかったので、いろいろな所に聞きに行ったり見に行ったりしたらしいです。実はスポーツ用車いすも創業当時から作っていました。父は野球をやっていたこともあり、車いすバスケの人たちと知り合って、体が不自由になって本来なら落ち込んでしまうところを、力強く生きていることに感銘を受けたそうです」
そう話してくれたのが、現社長、2代目の松永紀之さん。車いすメーカーとして創業した松永製作所だが、最初から順風満帆というわけではなかった。子どもの頃はかなり貧乏だったという。
「私はまだ3、4歳だったので記憶にありませんが、親戚が一家心中しないかと心配だったそうです。最初はオーダーメイドでやっていましたが、だんだんと病院でも玄関に車いすを置く時代になってきたので、カタログを作って量産を始めるようになりました。1980年代になって、お年寄りも自立をするために、衰えた身体機能を道具で補うことが大切だという考え方が浸透して、徐々に車いすを使う方が増え、私どもの会社も成長することができました。しかしながら、根っこの部分は、父が創業した頃と変わっていません。自宅と工場が一緒だったものですから、私が子どもの頃は車いすの人たちに可愛がってもらっていました。しかし残念なことに、車いすの人が差別的なことをいわれるのを聞いたこともありました。差別をしてはいけないし、区別もなくしたい。障がいをもっているから活躍できないのは社会がおかしい。その人の個性に合った適切な環境を用意できれば世の中に貢献できる。そんな世の中を作るお手伝いができれば、という思いで今までやってきました」
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