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  パラアスリートであること そのプライドを語る(2/3)

パラアスリートであること そのプライドを語る(2/3)

̶パラリンピックの金メダルの意義とは、なんでしょうか。   伊藤 自分を支えてくれた人への恩返しができたことです。でも、私は金メダルを取るまでより、獲得後こそパラアスリートとして果たすべき責任が生まれるのではないかと思っています。勝つための努力よりも、負けるまで全力を尽くし続ける努力が重要で、自分の競技人生であれほど辛いものはなかった。   レーム ロンドンでの銀メダルは、その責任が果たせたということになるのですか。   伊藤 はい。全力で走って負けましたから。   レーム 最初にロンドンで金メダルを取った時のことはとてもよく覚えています。表彰台の一番高いところに上がって、国旗が掲揚され国歌が流れる。私の人生で、あれほど感動したことはありませんでした。でも、これは私一人で成し遂げられたものではない。家族をはじめいろんな人に連れてきてもらったようなものです。その後は非常に大きなプレッシャーがありましたね。まわりから勝てて当たり前だと言われてきました。 リオパラリンピックでは、前半3回の試技で失敗し、その時点で順位は3位以下でした。うまく跳ばなくてはいけない、うまく見せなくてはいけないと思いながら跳んでいたんです。後半が始まる前のインターバルでそれではいけないと考えを変えて、後半の跳躍に臨んだら、やっとうまくいきました。   伊藤 2度目の金メダルを獲得した姿を、僕は解説者としてスタンドから見ていました。   レーム 自分のモチベーションは、時とともに変化しています。10歳の義足の男の子がリオパラリンピックの時に「ブラジルには行けないけど、テレビの前で応援しています」と言ってくれました。彼のお母さんは、私が彼の前向きに生きるモチベーションになっていると言っているけれど、実は反対で、彼こそが私にとって大きなモチベーションになっているんですよ。   伊藤 その少年は、マルクス選手が義肢装具士として担当されているお子さんですか。   レーム そうです。彼は7歳の時にトラックに轢かれて両足を切断しました。当時、もう歩くことは難しいと言われていましたが、今は学校に義足で通学し、レバクーゼンで水泳の選手として競技に取り組んでいます。ドイツにはカーニバルがあってハロウィーンのように衣装を身につけるんですが、彼は海賊になりたいと言うので、私は彼に木の義足を作ってあげて、それでパレードに参加しました。   伊藤 キャプテンクックみたいですね。   レーム そうです。彼はカーニバルでは主役級の人気者でした。   伊藤 それは素晴らしい! マルクス選手の優しさが伝わってきますね。   レーム 人は自分にないものばかりに目がいってしまうものです。自分にあるものへの感謝を伝えていきたいですね。   伊藤 日々、ベストを尽くす姿を見てもらうことで、子どもたちに何かを感じてもらいたいね。


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