パラリンピックがくれた情熱と商機(2/2)
ロンドンで受けた情熱(パッション)を胸に、帰国後の竹内さんは一層熱心に業務に取り組んだ。まずは同社会長・八代英太氏のセミナーを開催し、企業の採用担当者などを集める営業を開始した。しかし、反響はいまひとつ。障がい者アスリートの雇用が本当に知名度やイメージの向上に役立つのか? 採用担当者の疑問符を振り払うことが難しかったのだ。
そんな時、「カミカゼ」が吹いた。2013年9月、2020年のオリンピック・パラリンピック開催地が東京に決定。これにより企業のパラスポーツに対する価値観が一気に変わった。問い合わせは以前の4〜5倍に増えた。一方で、障がい者アスリートのモチベーションも高まり、登録者数も急増した。
とはいえ「カミカゼ」はひとつのきっかけに過ぎない。まだ障がい者アスリートの採用に企業が熱心でなかった頃から、苦心して築いてきた土台があったからこそ「カミカゼ」の恩恵を十分受けることができたのだ。
ようやく事業は軌道に乗った。2018年のリオ大会には、就職支援した障がい者アスリートが多数出場。銅メダルを獲得したウィルチェアーラグビーの選手の半数以上は、同社が就職支援した人たちだった。
現地で毎日応援した竹内さん。「(3位決定戦は)感動しました。スポーツの試合を観て感動して涙を流したのは、あれが初めてだったかもしれない」
そんな竹内さんに事業を進めるうえでの悩みを聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
「企業のオフィスが賃貸物件だと、トイレなどが改修できない場合があるんですよ」
就労を望むアスリートがいて、歓迎する企業があるのに、オフィスで車椅子などの利用ができずに採用をあきらめざるを得ない場合があるというのだ。しかし、その場合でも、別の障がい者を当該企業に、車椅子アスリートには他の就労可能なオフィスの企業を紹介する。業界パイオニアの懐は深いのだ。
竹内さんに今後の夢や目標を聞くと「東京パラリンピックに、就職支援したアスリートが50名以上参加することですね」との力強い言葉が返ってきた。また、その中から金メダリストが出てほしいし、いろいろな競技を支援したいという気持ちから、パラリンピック種目の8割に自社が支援したアスリートを出場させたい、ともいう。目標達成の「自信は、ある」そうだ。
竹内さんの目は、その先も見据えていた。東京大会で燃え上がった機運をさらに発展させ、障がい者アスリートにとってよりよい環境をつくり、障がい者雇用への関心を高めたい。そんな希望を胸に抱いている。
竹内さんは「一生、パラスポーツと関わっていきたい」とも語る。趣味の車いすソフトボールも一生、続けたいと話す。関東車椅子ソフトボール協会の代表だから、というよりも、純粋に「楽しい」からだという。
最後に竹内さんは、「障がい者アスリートの多くが練習場所に困っているから、老後は『つなひろワールドアリーナ』とかいうパラスポーツ専門の体育館の管理人でもして過ごそうかな」と、いたずらっぽく微笑んだ。
障がい者アスリートの雇用支援という新たな地平を切り拓いた竹内さん。今後も爽やかな笑みを浮かべながら信じる道を進んでいくだろう。大好きなパラスポーツの発展のために。
取材・文/福田 智弘
写真/つなひろワールド・編集部
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