<仮面女子>猪狩ともかの新天地(1/2)
「これから楽しんで車いす活動をしていく姿や、パラスポーツの魅力を伝えて、たくさんの人に笑顔を届けられるように頑張っていきたい」
車いす生活になって約半年。猪狩は目標を見つけ、そこに向けての準備を進めていた。復帰が絶望的だった時期がありながら、車いす生活でも楽しめることがあると気付くことができたと言う。
猪狩はもともとアイドルグループ「仮面女子」に所属しながら、ライブ活動を続けていた。そんな彼女にとって、今回のような変化をすぐに受け入れることは簡単ではない。しかし彼女は下を向かず、自分が今できることを探し続けた。
突然の事故により大ケガを負った猪狩だが、彼女のまわりの人たちのショックも大きかった。
「家族は(脚が動かなくなることを)事前に知っていました。なので父は特に気持ちを落としていて」
家族間での話し合いは、両親の気遣う優しさと同時に、これから車いす生活が始まることを受け止めなければならなかった。
「メンバーは手術後に説明を受けたらしくて、しゃがみ込んで泣いてくれる子もいました。自分のことのように考えてくれていることが嬉しかったです。みんなの『待ってるからまた一緒にライブしようね』って言葉が支えになりました」
彼女の病室に誰もこない日はなかった。毎日の励ましの言葉がなかったら、こうしてインタビューに応えることもなかったと言葉を漏らす。
プロ野球の始球式や一日警察署長と、入院中も多忙な日々を過ごすも弱音は吐かず、5カ月半の入院期間を経て、9月26日に退院を果たす。
「家族が退院祝いをしてくれました。恥ずかしくて直接は言えなかったんですけど、ちゃんと家族のグループメールで『支えてくれてありがとうございました』と伝えました」
思い出して涙を流しながらも、当時の状況を懸命に伝えてくれた。家族の支えの大切さを改めて見直したという。
「SNSで復帰の報告をした際には、多くの人があたたかい言葉をかけてくれて…そのときもいっぱい泣きましたね」
彼女の人柄と、強い意志が見る人を惹きつける。
退院後は、設備が揃っていた病院では感じることがなかった不便を目の当たりにしたという。障がいを抱える人の目線から世の中の課題を発信していきたいとの意気込みも明かした。
車いすになって約半年が経つが、最初は寝た状態から体を起こすことすらできなかったという。徐々に身の回りのことはできるようになってきたが、まだまだ慣れないことも多い。
「たとえば、新幹線の席に移るとかは高低差があって難しいですね。ソファーとかも。まだ一人でやるのは厳しいので、誰かの力を借りて…抱えてもらって」
ケガをする前とのギャップは健常者が想像するよりもはるかに感じるはずだ。インタビュー中、自宅や移動中の動き一つひとつを細かく思い出しながら話してくれた。
「同じ立場じゃない人たちは、(私たちが)何に困っていて、何ができないのかがわからないと思います。それはしかたのないことだから、助けを求める私たちも『〜してほしい』と的確に伝える必要がありますね」
そう話す猪狩には、工夫をしながら生きていこうとする決意があった。人任せにしないところが彼女の強さだ。
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