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  日本初!知的障がい者女子ソフトボールチーム

日本初!知的障がい者女子ソフトボールチーム

日本で初めて誕生した知的障がい者による女子ソフトボールチーム「武蔵野プリティープリンセス」(以下、武蔵野プリプリ)の代表・ヘッドコーチ、工藤陽介さんは、「パラリンピックでの公式種目になり、そして金メダルを獲ること」と壮大な夢を語る。 チームの発足は2015年。現在は愛知県や栃木県などでも知的障がい者の女子ソフトボールの活動が芽吹いてきた。パラリンピック公式種目に採用されるほどポピュラーなスポーツにしたいという夢が、少しずつ広がり始めている。   工藤さんはオーストラリア体育大学へ留学していたとき、障がい者スポーツを専攻した。2000年のシドニーオリンピックでは、ソフトボール日本代表チームに通訳として参加。そのときパラリンピックと出会った。 2002年に帰国してからしばらくは、スペシャルオリンピックス日本のスタッフとして障がい者のスポーツ活動や全国大会や世界大会などにも関わった。現在はグループホームやデイサービスを運営している法人職員として、利用者や地域の方たちを対象としたスポーツによる社会参加を仕掛けている。 「ひとつの種目に絞り込んで活動したほうが、スポーツの魅力が伝わると考えて、女子ソフトボールに取り組んでいます」   武蔵野プリプリは選手が18名以上のチームになったが、発足当初は選手集めに苦労したという。工藤さんは特別支援学校や、障がい者の働いている特例子会社、福祉施設の相談員、そして行政などを回って、「ソフトボールをしてみませんか」と勧誘を続けた。 そうしてようやく「選手3名から練習を始めた」という。日本初の女子チームということで、いくつもの取材を受けた。その報道を見た家族から問い合わせが入り、やがて現在のような規模になった。   元々、知的障がいの男子では、ソフトボールは盛んな種目。全国大会も開催されている。全国障がい者スポーツ大会にもソフトボール競技がある。けれども女子チームはどこにもなかった。   「女子チームには対戦相手がいないので、中学生の部活チームとの大会を年2回、主催しています」   試合ができるようになるまでの練習もむずかしい。知的障がいがあると複雑なルールや連係プレーを理解することも参加のハードルになるからだ。   「三振をしたらもう打てないということも、理解するには時間がかかった」 繰り返しプレーを確認しながら、覚えていった。しかしここがチーム種目のいいところで、まだプレーを十分に理解できていなくても、ほかの先輩選手がカバーしてくれるから試合に出場することができる。   「しだいに選手間のコミュニケーションがとれるようになりました。家族からは、ソフトボールをするようになって、学校や職場で我慢ができるようなったとの話を聞きます。後輩の面倒をみるような選手もいます」 そして、スポーツは社会へのゲートウェイともなっている。 障がいを持つ子どもの子育てでは、競い合う機会やチャレンジする意欲の少なさが心配されている。周囲の大人たちは、子どもたちのことをついつい守りがちだからだ。 そこでスポーツの力が、子どもたちの背中を押してくれる。高校生選手などは、仕事をしている先輩の背中を追いかけるようになった。   「ソフトボールのことはチームに任せてほしいと、保護者には伝えている。高校生になったら保護者の引率はいらない。なるべく子離れしてもらう」 と工藤さんもそのことを意識する。   選手たちは、練習は厳しいという。そしてプレーの失敗が悔しくて涙を流す。本気で競い合うからこそわき出てくる感情だ。そのなかで、バットにボールを当てられたりと、小さな「できた」を積み重ねていく。その自信が知的障がいのある子どもたちを育てていくのだ。 取材・文・写真/安藤啓一


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