Home > Magazine >  「オレ、終わってないぞ」下半身不随のライダーの新たなスタート
  「オレ、終わってないぞ」下半身不随のライダーの新たなスタート

「オレ、終わってないぞ」下半身不随のライダーの新たなスタート

<前回までの記事> 1998年、レーシングライダーとして活躍が期待されていた青木拓磨さんはマシンのテスト走行中に事故に遭い、下半身不随となる。 下半身が使えなくなったため体全体を使う必要があるバイクに乗ることは絶望的となった。しかし、彼は決してあきらめなかった。「クルマのレースがあるじゃないか」と気持ちを切り替え、4輪レースという新たな挑戦をはじめたのだった。時には障がい者だからという偏見・差別に苦しむこともあったが、周りの人々に支えられ乗り越えていった。 その一方で、彼の原点であるバイクには「クルマならひとりで乗れるけど、バイクは無理だからね。乗りたい気持ちはもちろんあったけど、むずかしいだろうなって思ってた」と、決して挑戦しようとはしなかった。 ここまでのエピソードを詳しく知りたい方は前回の記事をCheck!↓ https://psm.j-n.co.jp/?p=2045&preview=true 写真左から兄・宣篤さん、弟・治親さん、拓磨さん。マシンはHONDA CBR1000RR SP そんなストッパーを外してくれたのが、兄弟の存在だった。拓磨さんには、兄の宣篤さん、そして弟の治親さんがいる。全員が世界グランプリで戦い、「青木三兄弟」としてその名を馳せた。 現在はオートレーサーとして活躍している弟の治親さんが、2年前、動画配信サイトで障がい者によるバイクレースを観たことが転機となった。「これならタクちゃんもバイクに乗れる!」 兄の宣篤さんを巻き込み、すぐに動き出した。治親さんの思いはひたすらに純粋だった。「もう1回タクちゃんがバイクに乗るカッコいい姿を見たい」。それだけだった。下半身不随でもバイクに乗れるシステムを海外から取り寄せ、宣篤さんと一緒にバイクに組み付けた。   左)シフトチェンジは左ハンドルに装着したスイッチでおこなう 右)バイクのステップとブーツには自転車用のビンディングを使用した 毎年7月末に行われる鈴鹿8時間耐久ロードレースは、日本最大のバイクレースイベントだ。その決勝前、多数の観客が固唾を飲んで見守っていたのは、レーシングスーツを着込み、ヘルメットをかぶり、最新鋭のスーパースポーツバイクCBR1000RR SP2にまたがる青木拓磨さんの姿だった。 温かく、大きな拍手に包まれてバイクに腰を下ろすその姿に、兄・宣篤さんと弟・治親さんは感涙ですっかりぐしょぐしょになっていた。そんなふたりをよそに拓磨さんはあっさりと走り出し、力強く鈴鹿サーキットを周回した。 「転んだらどうしよう」なんて、まったく考えていなかった。バイクは拓磨さんにとって「乗って当然のもの」だった。 そして、それ以上に「こんなにたくさんの人たちが見てくれてるんだし、ある程度のペースで走らないとカッコつかないよな……」と思っていた。「まわりの支えがあれば、そしてその支えを自分が受け入れる勇気があれば、誰だって何でもできるってことを伝えたかった」と拓磨さん。走行を終えピットに戻った拓磨さんのバイクを、兄と弟がしっかり支えた。支える人の勇気、そして支えられる人の勇気が合わさった瞬間だった。 それは確実にサーキット中の誰にも届いた。実際、下半身不随でバイクをあきらめていた人から、「僕も挑戦します」という声もかけられた。 しかし、拓磨さんは、「バイクのレースは、まだ考えてないなぁ」と言う。「クルマのレースなら、オレだって健常者の人と勝負できる。でもバイクはなぁ……。まだ勝負にならないからなぁ……」世界の頂点をもぎ取ろうとした男の、決して捨てることのない健全なプライドが覗く。
青木拓磨(あおき・たくま) 1974年、群馬県生まれ。幼少期よりバイクレースで頭角を現す。1995~1996年、2年連続で全日本ロードレース・スーパーバイククラス王者に。1997年には世界GP最高峰クラスに参戦。1998年開幕前の事故で下半身不随となった。現在は4輪レースに参戦しながら、イベント主催などに積極的に取り組む。     文/高橋剛 写真/真弓悟史、大谷 耕一 協力/ RIDERS CLUB 編集部


pr block

page top