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  パラアスリートの軌跡⑨ パラスノーボード 成田緑夢

パラアスリートの軌跡⑨ パラスノーボード 成田緑夢

「パラアスリートの軌跡」連載第九回目は、パラスノーボード 成田緑夢選手のインタビューをプレイバック!(2018年4月発売号掲載。※現在とは異なる内容などありますがご了承ください) 「成田緑夢、パラスノーボードを引退します!」 2018年3月末。衝撃的な宣言がテレビから飛び出した。平昌冬季パラリンピックで活躍した他のメダリストとともに収録が行なわれた際の、最後のサプライズだった。 「僕の夢、目標はこれからも続きます。その道を進んで行きます!」 成田はとびっきりの笑顔で、そうカメラに向かって叫んでいた。 トランポリンの事故で左足ヒザ下に障がいが残った 〝夢〞という字をもつ名前に見覚えがある人も多いだろう。兄・童夢、姉の今井メロは、ともに2006年のトリノオリンピックで、スノーボードハーフパイプに出場した元選手だ。末っ子の緑夢は熱血コーチの父のもと、兄や姉と一緒に1歳でスノーボードを履いていたという。中学に進学すると、トランポリンとスキーのハーフパイプで夏冬のオリンピック出場を目指していた。 しかし、2013年の春、トランポリンの練習中、着地に失敗。 左足のヒザが逆に折れ曲がるという大事故に見舞われた。腓骨神経麻痺。筋肉や神経が断裂した左足は、ただの棒のような感覚。足首に力を入れることはできないという。 事故の後、軽い気持ちで出場したウェイクボードの大会で優勝。その様子をSNSでアップすると、意外な反応があった。 「障がい者のひとりとして、勇気をもらった」と。 「スポーツには、自分だけでなく知らない人にも勇気や夢を与えられる素晴らしい力がある。そのことに気づいて、改めて競技に取り組もうと思うようになりました」 そうして、パラスポーツを始めた。パラスポーツについてリサーチし、スノーボードクロスがパラリンピック種目になっていることがわかると、倉庫から古いスノーボードを引っ張り出して国内の大会に出場。圧倒的な勝利を収めて強化指定選手となった。 「目の前の一歩を大切に」「日々、挑戦」 パラスポーツを始めた時から、成田が大切にしているキーワードだ。 1本目より2本目、3本目 挑戦した結果の金メダル パラスノーボードは4年前、ソチパラリンピックでアルペンスキーの1種目として正式採用された。 今回、平昌では独立した競技としてスノーボードクロス、バンクドスラロームの2種目を実施。成田は、パラリンピック初出場で、スノーボードクロスで銅メダル、バンクドスラロームでは金メダルを獲得したのだった。 バンクドスラロームはひとり3本をすべりベストタイムで競われる。1本目、成田はトップに立った。 続く2本目、再びトップに。この時、成田は出走前にボードのバインディング位置をビスひとつ分後ろにずらした。 「この日は気温が下がって朝からバーンがカチカチに凍っていたんです。1本目はしっかりターンができるように小回りの利くクルマをイメージしたセッティングにしました。でも、案外思った以上にターンができることがわかって、2本目は、もっと大型エンジンでブォーンと加速するクルマのようなセッティングに変えたんです」 これが、成田の〝挑戦〞だ。そして、それは3本目にも続いた。コース第5バンクで、それまでの2本よりもさらに上から下へ落とす攻めるラインどりですべった。 レギュラースタンスの成田は、障がいのある左足が前になる。足首に力を入れられないため、カカト荷重になるヒールターンが課題だった。それを解消したのが、左足にアルペン用のハードブーツ、右足にソフトブーツという左右非対称のブーツを履くこと。ハードブーツでしっかりとサポートされた左足が、ヒールサイドのシャープなエッジングを可能にしたのだった。 第5バンクはヒールサイドターン。狙い通りのラインで果敢に加速、2本目からさらに1秒ものタイム短縮を実現させトップでゴールした。ライバルたちも2本目、3本目にタイムを更新させている。成田が慢心していたら、あっという間に順位は入れ替わっていただろう。成田は1本目より2本目、そして3本目と、自分で作ったテーマに挑戦し、他を寄せ付ける隙を与えなかった。まさに、完全優勝だったのだ。 「優勝するとかメダルを取ることにフォーカスしていたのではなく、とにかく今すべる1本に挑戦しようと思っていました。守るのって、ワクワクしないじゃないですか。 挑戦してうまくいけば勝てる。ダメでも自分のなかにその結果が蓄積される。もともと何ももってない。守る必要なんか、ない。見ている人にも、ドキドキ、ワクワクを見せられたかな、と思います」 僅差を争っていた2本目、3本目もむしろ成田は楽しんでいた。 「トップで競っていたライバルたちのレベルは半端ないです。そういう世界で優勝できたことは最高にうれしいです!」 要素分解してデータ化 それが夢への近道に 成田が事故後、再びスポーツで目標をもち始めた時の夢、目標は「パラリンピック、オリンピックで活躍し、誰かに勇気や夢、希望を与えること」である。 平昌パラリンピックで金メダルと銅メダルを獲得するという大活躍を見せた成田は、帰国後にさらなる前進のために決断した。 引退は、終わりではない。次のステージへの大きなステップだ。 「事故にあって、実家を離れて自分ひとりでスノーボードを始めた時から、すべてを自分で考えて行動するようになりました」 迷ったり、疑問が出てきたら、スマートフォンのアプリにテーマを入力し、それを要素分解するという。 「この要素は何か、そのまた要素は何かと、階層を追って掘っていくんですよ。分解すると、それはデータ化される。さらにわからないことが出てきたら、別のテーマとして違う方向からアプローチして要素分解する。自分にとって正解が得られたら、そこから逆算すればいい」 こうした緻密な作業が、日々の挑戦につながり、その結果がまたデータとして蓄積されていく。 成田は日頃からユーチューブを活用して、自分のストーリーをタイミングよく発信している。その率直な映像や語り口に共感する人の輪は、どんどん増え続けている。 「すべては、僕の夢につながっています。夢を効率よく達成するために」 2018年、平昌パラリンピック。成田は確かな足跡を残して、新たな一歩を踏み出したのだった。
成田緑夢/なりた・ぐりむ 1994年2月1日、大阪府生まれ。近畿医療専門学校所属。2013年3月にフリースタイルスキーのハーフパイプ世界ジュニア選手権で優勝。2016年からパラ陸上の走高跳、パラスノーボードを開始。スノーボードは2017年に国際デビューしW-CUPで表彰台に上がる。2018 年W-CUPカナダ大会で2冠を達成。現在、陸上走り高跳びに挑戦し、東京パラリンピック出場を目指す。  
  文/宮崎恵理 写真/石橋謙太郎(スタジオM)


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