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  道下里美(視覚障がいマラソン) 仲間がいるから強くなれる――逆境でつかんだ「わたしの形」(後編)

道下里美(視覚障がいマラソン) 仲間がいるから強くなれる――逆境でつかんだ「わたしの形」(後編)

東京2020パラリンピックのマラソン競技、視覚障がいクラス女子の金メダル候補、道下里美選手の独占インタビュー。後編をお届けします!

※この記事は『パラスポーツマガジンVol.8』(2020年12月7日発売)からの転載です。

 

コロナ禍でも強くなれた理由

 新型コロナウイルスの影響による東京2020パラリンピックの1年延期は、道下美里にとっては衝撃だった。競技生活を続けられるのかと悩んでいた時、温かい声をかけてくれたのは仲間たちだった。

 「チーム道下」の仲間たちも「みっちゃんのやりたいように、支えるから」といってくれた。「東京での金メダル」は「チーム」共通の目標でもある。だから、練習を休むという選択肢は誰にもなく、むしろ、どうすれば安全に練習が続けられるか皆が考えてくれた。

 接触する人を減らすため携わる伴走者を数名に絞った。緊急事態宣言下では所属企業と相談し、「屋外での練習は週4回」に減らしたが、その中でより中身の濃いトレーニングをしたいと、早朝から伴走者に車で送迎してもらい、日の出とともにひと気のない山道をひたすら走った。

 「社会全体が大変だった時期に、みんなが一緒に乗り越えてくれました。感謝でいっぱいです」

 もちろん、一人でもできる自宅での体づくりにも一心にはげんだ。筋力トレーニングはコロナ前には週2回、1時間ほどで追い込んでやっていたが、自粛期間中は1日最低1000回のノルマを自分に課した。また、練習最優先で外食に頼りがちだった食生活も見直した。体重管理や体質改善を考え、1日30品目摂取を意識した自炊を再開させた。

 伴走者なしでもできる脚力や体力維持の方法として、1日3時間のウォーキングにも取り組んだ。ただし、白杖での単独歩行は危険もあるので、夫との試し歩きをして安全性が確認できた道で繰り返した。ひとり黙々と歩きながら思い出したのは、「目が見えなくなって、ひとりでは外出できない。走れない」と落ち込んだ頃のこと。どうしたらできるのかと考え工夫を凝らした当時の経験は、コロナ禍でこれまでの練習がむずかしい現状と似ていて、「走ることを楽しむ。そんな初心に帰れました」

 こうして練習量もそれほど落ちることなく、むしろ起伏のある山道走は脚づくりに役立った。筋トレや食生活の改善で体つきが変り、軽快なピッチはそのままにストライドが広がってフォームも安定した。今年7月には非公認ながら5000メートルの自己記録が30秒以上も縮まった。「コロナ禍でも、いい練習が積めている」。確かな手ごたえを感じた。

確信した「マラソンはチーム戦」

 「苦しいときこそ、笑顔に」がモットーの道下は、いつも笑顔でポジティブの印象が強い。だが、「実は超ネガティブシンキング」という。昨年2月から3月にも、ドンと落ち込んだ。ちょうどロンドンでの世界選手権の直前で、できるだけ悪いイメージを持たないように日常生活や練習からマイナス要素を消そうと心掛けた。すると、かえってできないことが目についた。遅刻や忘れ物が多く「なぜこんな基本的なことができないの」と自分を責めた。

 失敗できないレースを前に自分では気づかない重圧や気負いもあったのだろう。知らぬ間に涙がジワジワにじむ日が1週間も続いた。何もかも空回りし、練習もうまくこなせず、ロンドン前の最後のポイント練習も途中でリタイアしてしまった。

 負のスパイラルから救い出してくれたのは、ロンドンで伴走を務める予定の二人だった。思い切って苦しい胸の内を吐き出すと、青山由佳さんは、「できないことはわたしたちがやるから大丈夫」と声をかけ、志田淳さんはライバル選手を研究したうえで、「練習のつもりで走っても金メダルだよ。あとはまかせて」と胸を叩いた。

 「今思えば、『ひとりで乗り越える強いアスリート像』を勝手に背負い、自分のキャパ以上のことをやろうとしていたのだと思います。ふたりの言葉で、気持ちが楽になりました」

 弱い自分と素直に向き合って、できることに全力を尽くせば、必ず手を差し伸べてくれる仲間がいる。そうしてプラス思考のスイッチが入れば、一歩前に踏み出せる。コロナ禍で、より一層強く実感したという。

 「わたし自身はそんなに強くないけれど、一緒に戦ってくれる仲間たちがいるから強くなれる。そういう『自分の形』が確立できました。東京パラリンピックでは、アスリートとして成熟した走りを披露したいです」

 今はまだ、苦しんでいる人も多いと思われる社会情勢のなか、自分にできることは走ること。「きずな」でつながる仲間たちと二人三脚、「最後まであきらめずに走る姿で元気や勇気を伝えたいです」。その先にはきっと、金メダルが待っている。

PROFILE

みちした・みさと/1977年1月19日、山口県生まれ。福岡県在住。三井住友海上所属。視覚障がいT12クラス。角膜の機能が低下する難病を発症し、中2で右目を失明。左目にも発症し、視力は0.01以下に。26歳から伴走者と走る陸上を始め、31歳でマラソンに転向。2014年、当時の世界記録を樹立し、16年、リオパラリンピックの視覚障害女子マラソンで銀メダルを獲得。19年、世界選手権優勝で東京パラリンピックの代表に内定。20年に世界記録(2時間54分22秒)を更新。

 

取材・文/星野恭子 写真/吉村もと



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