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  [特別対談 村岡桃佳×野島弘]東京から北京へ「村岡桃佳の二刀流は北京で完結する」後編

[特別対談 村岡桃佳×野島弘]東京から北京へ「村岡桃佳の二刀流は北京で完結する」後編

2022北京パラリンピックで日本チームの主将を務めるアルペンスキーの村岡桃佳。前回の平昌大会では5つのメダルを獲得し、昨年の東京大会では陸上短距離に挑戦。“二刀流”にかける想いを、村岡のスキーの師匠でもある野島弘が聞きました。後編では、東京から北京へつなげる想いみなどを話していただきました。(パラスポーツマガジンVol.10掲載記事)

決勝で力を発揮できたので、ゴール後は清々しい気持ちだった

野島 東京でのレース当日のことを聞かせてください。

村岡 予選は2組目。1組目のレースを見てレベルの高さを目の当たりにして「決勝に進めないかもしれない」と思ってしまいました。気持ちの整理がつかないまま時間はすぐにきて、なんとか奮い立たせてスタートラインに立ったら、スタートが一回やり直しになって、その瞬間スイッチが切れちゃって。立て直さなきゃと思ううちにピストルがパン! と鳴って、「やばい、どうしよう!」と思いながら無我夢中で、ゴールするまでよく覚えてないんです。ただ途中でふっと顔を上げた時に、「まだこれしか進んでない! 100mまであんなにある!」と、思った瞬間だけ覚えています。

野島 スキーは自分でスタートできるけど、陸上は他人の合図でのスタート。どう違いますか?

村岡 スキーの怖さは、先に待ち受けているものを知っていながら自分でスタートしなきゃいけないこと。でも逆にいえば、自分のタイミングで決めて出られます。ところが陸上は、フライングもダメだし、出遅れてもダメ。そこが怖いです。

野島 スタートの時、どんなところを研ぎ澄ませている?

村岡 音ですかね。でも、雑音はすごく入ってきますし、わりといろんなことを考えています。たとえば息を吸い切ったタイミングだったら吐きながらスタートできるけど、吸っている途中に鳴ったらどうしようとか。私の持ち味はスタートなので、逃したくなくて……。あとは、自分の指のどこにハンドリムが当たっていて、どう動かそうとか。指先とか感覚的なところはずっと集中しているかもしれません。

野島 スキーだとここまでは何がなんでも最速で滑るとか考えると思うけど、陸上だとどうでしょう。

村岡 そういうのはないですね。100m全体の構成を考えています。

野島 いいスタートするには、イチかバチかフライングも覚悟、みたいな感じですか?

村岡 スターターによってタイミングも違ってくるので、感覚では行けないんです。フライングは失格ですから。

野島 なるほど。でも決勝に進めたわけで。

村岡 予選を走った時点で、「私の東京は終わった」と思いました。自分の走りがまったくできなかったし、タイムももっと行けるはずなのに出ていなかった。決勝はないと感じた時に頭が真っ白になって……。でも掲示板を見ていたら、決勝のメンバーに自分の名前がギリギリあった。だったら決勝では絶対に納得いく走りをしよう、最下位だけは脱却しようと思いました。一旦選手村に戻って食事をして、コーチに電話して改良点などを話し合い、決勝に向けてのアップの仕方も相談して、天候も不安定だったのでギリギリまで悩みながら調整しました。結果的には、予選での反省を改善できたし、自分の持てるところは発揮できたレースだったので満足しています。ゴールした後は清々しかったです。

野島 挑戦した甲斐がありましたね。

村岡 あっという間でしたが、東京が終わったんだなって。約17秒に集約された2年半が一瞬で終わりました。でも挑戦したことへの後悔は一切ありません。陸上とスキー、どっちもやり切ったと思えればいい。

野島 さて、次は北京パラリンピックですが、気持ちの切り替えはできてますか?

村岡 東京の競技が終わって、一週間くらいは余韻に浸っていて、さらに閉幕して一週間くらいはもぬけの殻みたいになっていましたね。やり切った感と、北京に向けて動かなきゃと思いつつも動けない感じ(笑)。でも北京への準備をしないといけない時期が来て、少しずつ少しずつ切り替えました。

野島 練習は始めている?

村岡 はい。個人で。もう少ししたらチーム合宿があります。

野島 今の目標は?

村岡 シーズンが始まってすぐは、誰でもやるべきことがたくさんあるし、そのうえ私にはブランクもありますので。少しでも早く戻したいけれど、何をやってもあと半年しかない。間に合うだろうかという不安はやっぱりありますね。

野島 メンタル的にはどうでしょうか。

村岡 期待に応えなきゃという気持ちにもなり、プレッシャーも感じます。

野島 北京はどんな大会にしたい?

村岡 すごくあいまいですが、笑って終われたらいいなと思います。

野島 具体的には?

村岡 自分の納得いく滑りですね。ベストをつくしたい。私自身の二刀流への挑戦としては、北京がゴールだと思っているので。東京でスタートが切れたので、ゴールは北京。もちろんメダルが獲れなかったらショックを受けると思うし、いい滑りができたらそれで満足できるかもしれない。残りの半年間と北京での滑りが終わらないと、何を思うかわからないけれど、終わった時に陸上とスキー、どっちもあきらめなくてよかったな、やり切ったな、楽しかったなと思えればいいなと思います。

野島 陸上、続けますか?

村岡 わからないです。陸上を楽しいと思ったし、パラリンピックに出られて決勝まで行けるレベルまで上げることができたのに、やめるのはもったいないなという気持ちもある。スキーとの兼ね合いもありますし。ただ、何よりもキツかった! あれをまたやるとなると悩みます(笑)

野島 スキーもやるとなると2年サイクルですもんね。

村岡 北京の結果を踏まえて自分がどう思うか次第だと思います。

野島 別の種目への挑戦は? 球技とか水泳とかありますよね。

村岡 団体スポーツは向かない、球技もダメ、水泳はもっとダメ。あり得ません!

野島 そうですか(笑)。北京での笑顔、期待しています!

村岡桃佳(むらおか・ももか 右)1997年埼玉県生まれ。トヨタ自動車所属。4歳の時に横断性脊髄炎にかかり車いす生活に。小学生からアルペンスキーを始め、高校2年時のソチ大会でパラリンピックデビュー(大回転5位)。4年後の平昌大会では金1を含む5個のメダルを獲得し一躍注目を浴びた。その後、陸上を本格的に練習し東京大会に出場。女子100メートル(車いすT54)で6位入賞を果たした。2022年の北京大会も出場とメダルを目指す。

野島弘(のじま・ひろし 左)/1962年東京都生まれ。一般社団法人ZEN代表理事。17歳の時、交通事故で脊髄を損傷。その後アルペンスキーを始め、長野、トリノのパラリンピック2大会に出場。引退後、車いすの子どもを対象にしたスキー教室を開催し、村岡は小学2年生から参加。スキーのほか、さまざまなスポーツやアクティビティのイベントを主催し、子どもたちに活動の場を提供している。パラスポーツマガジン副編集長。

写真/堀切功



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