パリで金メダルと世界新記録を目指す期待の新星―福永凌太(陸上競技:視覚障害T13クラス)
東京2020パラリンピック以降、新たな選手が続々とデビューを果たしている。その中には、すでに今夏開催されるパリパラリンピック出場を決めた選手もいる。東京パラリンピックをテレビで見て、憧れてこの世界に飛び込んだという選手もいれば、一般のスポーツで活躍していたが、障がいがあることからパラスポーツの存在を知って新たな世界にシフトした、という選手もいる。いずれにしても、東京パラは、広くパラスポーツを広め多くの挑戦者がその扉を開いたのだ。それこそが、東京大会のレガシーである。
高校時代は棒高跳び、大学時代は十種競技で活躍
パラ陸上競技の視覚障がい選手である福永凌太も、東京大会以降にこの世界に飛び込んだ一人だ。中学、高校時代には棒高跳び、中京大学に進学してからは十種競技の選手として活躍していた。大学卒業を目前に控えた4年前、パラ陸上の存在を知り、転向した。昨年パリで開催された世界選手権に初出場し、T13クラス400mでアジア新記録となる47秒79で金メダルを、走り幅跳びで銀メダルを獲得。4位以内に与えられるパリパラリンピックの出場枠を掴んだ。今年8月のパリパラリンピックでメダル獲得が期待される、大型新人なのである。
1998年に滋賀県で生まれた福永には、幼少期から中心視野が見えづらいという視覚障がいがあった。徐々に視力は減衰し、中京大学に進学してから錐体ジストロフィーという診断名を告げられた。
子どもの頃は、友人とサッカーや野球をしたいと思っていたが、ボールが見えづらいと思うようなプレーができない。サッカーの体験教室などで、うまくいかない姿をジロジロと見られるのがどうにも耐えられず、球技はあきらめた。一方で、小学5年から地元のクラブで陸上競技を始めた。見えづらさのハンディキャップを感じないですむこと、仲良しの友だちが一緒に陸上を始めたことがきっかけだったという。
進学した中学の陸上競技部の顧問が熱心で、すでに棒高跳びに取り組む先輩もいたことから、福永も棒高跳びを始めた。高校では、2年、3年と続けてインターハイにも出場。大学でもそのまま棒高跳びを継続する選択肢もあったが、混成種目である十種競技に取り組んだ。十種競技でも西日本インカレに出場するなど活躍していたが、大学4年時にはコロナ禍で大会そのものがなくなった。
「このまま就職すれば、陸上競技の第一線から離れてしまうかもしれない。あきらめざるを得ない状況でした」
「メダルを狙える」。大学卒業を前にパラ陸上へ転向
そんな時、家族からパラ陸上の存在を聞かされる。
「パラ陸上でのさまざまな種目の世界記録やパラリンピック記録などを調べてみると、自分の持っている記録であれば、世界の舞台で決勝進出は夢じゃないということがわかった。メダルを狙える位置にいる。これまで取り組んできた一般の陸上競技とは場所は異なるが、パラ陸上に人生をかけたい、と強く思うようになりました」
小学生の頃から、トレーニングをコツコツ積み重ねることでレベルアップする過程に何よりも充実感があったという。始めた頃の熱量は、パラ陸上に転向しても変わることはない。十種競技には棒高跳びのほか、短距離から1500mまでのトラック種目や、走り幅跳び、投てき種目などがある。福永は、2020年にパラ陸上にデビューすると、100mと円盤投げで当時の日本記録を更新。鮮烈なデビューを果たした。
大学卒業後は、中京大職員として勤務しながらパラ陸上に取り組んでいたが、さらなるレベルアップを求めて、今年4月に日体大大学院に進学。慣れ親しんだ環境を飛び出して単身上京し、研究と陸上競技を両立させている。
シンプルにリスペクトできる好敵手の存在
「今、この瞬間ということでは、悔しさしかない」
今年5月に、神戸で開催された世界選手権に、福永は昨年の覇者として臨んだ。その400m決勝で、アルジェリアのスカンデルジャミル・アスマニが46秒44の世界記録をマークして優勝。福永は47秒86で2位に。その直後のコメントだった。
「去年、パリ大会で優勝した時には、やっと目指したところに来られた、という思いがありました。パラ陸上を始めてからは3年ですが、自分としてはようやく辿り着いた、という印象でした」
福永が優勝した昨年の400mに、アスマニは出場していない。招集時間に遅れたことで、欠場を余儀なくされたのだった。そのアスマニとの決戦が、今年の神戸大会に持ち越された。アスマニは、400mより先に行われた100mのレースでも大会記録を更新して優勝している。
「100mのレースを見た時に、これほど仕上がっているアスマニ選手に対して、47秒台では勝負にならない、46秒台の世界記録を狙うくらいでなければ勝てないと感じていました。実際には、まだ自分はそこまで完成されていない。去年のパリ大会の時には、ベストが出る自信があって臨んだけれども、神戸ではその段階に至っていない。スタートラインに立った段階で、負けを確信していたんです」
福永は、普段から400mを45秒台で走るような一般の陸上競技選手らをトレーニングパートナーとして練習している。だからアスマニのスピードが突出して感じられたわけではなかったという。
「それでも、彼がスタートラインに立った時、どれほどの練習をしてきたか、一目瞭然でした。実際、速かった。シンプルに尊敬できる選手だと感じました」
アスマニは、レースプランとして昨年の金メダリストである福永を意識したという。
「リョウタが追いかけてくるぞ、追いつこうとしているぞ、自分に言い聞かせ、逃げ切ることがレースのテーマだった。そうして走ったことで、世界記録と金メダルを実現できた。リョウタが導いてくれたんだよ」
そう語る、アスマニはゴール後、福永を迎えてハグで互いの健闘を讃え合った。
「昨年のパリ大会でも、神戸でも、パラ陸上はシンプルにスポーツとして自分に感動を与えてくれました。アスマニ選手のような素晴らしい選手がいる。僕をライバルとして意識して戦っていたこと、それを言葉にしてくれたことで、彼の人間性の高さをも感じることができました」
陸上競技が本当に大好き。見えない境目を壊していく選手でもありたい
神戸での世界選手権直前には、福永は関東インカレ3部(大学院生が出場するカテゴリー)の400mで優勝している。
「なかなか思うような走りができないジレンマがある中で、1週間前に行われたレースで感じた課題を修正して臨んで、優勝できた。関東インカレは、パラ陸上とは別の、もう一つの憧れの舞台でもあったので、そこで優勝できたことは素直に嬉しい」
インターハイやインカレといった一般の競技大会に挑戦するパラアスリートは少なくない。福永の優勝は、後に続く者たちに大いなる勇気や希望を与えたはずだ。
「もともと、陸上競技が本当に大好きなんです。健常者の陸上、パラ陸上という違いがあるのではなく、ただ、陸上競技が存在する。見えない境目を壊していく選手でもありたい」
初めての出場となるパリパラリンピックが、まもなく開幕する。
「理想とする走りのイメージにどれだけ近づけていけるか。体の動きの質を高めていって、パリパラリンピックのレースを迎えたい。尊敬するアスマニ選手と、今度こそ本当の勝負をして、アスマニ選手が叩き出した世界記録を塗り替えて金メダルを狙います」
世界選手権からパラリンピックへ。福永は、舞台を移して、さらなる高みに挑む。
福永凌大(ふくなが・りょうた)/幼少期から中心視野が見えづらい視覚障がいがあり、中京大学進後、錐体ジストロフィーと診断された。高校時代には棒高跳び、大学では十種競技の選手として活躍。大学卒業を前にパラ陸上に転向すると、2023年世界パラ陸上のT13・400mでアジア新記録で金メダル、走り幅跳びで銀メダルを獲得した。今年の神戸世界パラ陸上では400mで銀メダル。1998年生まれ、滋賀県野洲市出身。日本体育大学大学院所属。
取材・文/宮崎恵理 写真/吉村もと