【パリパラリンピック現地レポート】唐澤剣也(陸上)ー”過去イチ”速かったラスト1周の秘密ー
いよいよ開幕したパリパラリンピック。大会3日目となる8月30日、陸上競技がスタートした。この日、朝一番に行われた視覚障害T11男子5000mに出場した唐澤剣也が、自身が持つアジア記録を更新し、14分53秒97の世界記録を上回る14分51秒48のタイムで銀メダルを獲得した。
優勝したのは、ブラジルのジュリオ・セザール・アグリピーノ・ドス・サントス。今年5月に行われた神戸での世界選手権で同じブラジルのエリツィン・ジャッキスが世界記録を樹立したが、それを大幅に更新する14分48秒85を叩き出したのだった。今大会でジャッキスは3位、タイムは14分52秒61。つまり、表彰台の3選手全員がそれぞれ世界記録を更新するというハイレベルな戦いだったのである。
号砲とともに飛び出したのは、アグリピーノ・ドス・サントス。5000mのレースでは、途中でガイドを交代することができる。唐澤のガイドは、スタートからは清水琢馬。唐澤のペースをコントロールしながら、先頭が見据えられる絶好のポジションをキープしていた。2番手で先頭を追いかけていた唐澤は、3000mを超えた時点で小林光二にテザー(手をつなぐ紐)が渡される(ガイドが交代)と、そこから一気にラストスパートモードに入る。最後尾から虎視眈々とラストスパートに備えてきたジャッキスが、残り2周で一気に追いかけてくる。前を走る選手たちを次々と抜き去り、唐澤を射程に捉えていた。ラスト1周の鐘が鳴り響く中、唐澤がアグリピーノ・ドス・サントスに迫り、その後ろからジャッキスが唐澤を猛追する。アグリピーノ・ドス・サントスの速度は衰えを見せないまま、フィニッシュし、ジャッキスに追い上げられながらも、唐澤が2位でゴール。驚異的な記録が次々と飛び出した高速レースに、スタッド・ド・フランスに詰め掛けた大観衆が沸きに沸いたのだった。
ラスト1周で迫った時には、ガイドの小林からは「追いついたぞ、前とは5m、3mの差だ!」と発破をかけられていた。「ラスト2周からずっと、小林ガイドには“抜ける、いける”と声をかけ続けてもらっていたのですが、最後、足が残っていませんでした」
悔しさをにじませる。
「スタートから前半は、1番手〜3番手のいい位置をキープしながら2000mから3000mの中盤でチャンスがあれば先頭に出ようという作戦でした。外側のレーンから狙って行きましたが、前に出させてもらえませんでした。無理をすれば、後半のスパートで後ろから迫ってくるジャッキスやNPA(ロシア)の選手のラスト勝負で負けてしまうリスクがあります。なので、無理してペースを上げずにそのまま追いかけることにしました」と、唐澤が振り返る。
「悔しいという思いと同時に、全力を出し切った悔いのないレースができたことは良かった、と思っています」
群馬県出身で現在30歳の唐澤は、10歳の時に網膜剥離で視力を失った。2016年のリオパラリンピックで同じ視覚障害の陸上選手である和田伸也の活躍を知り、本格的に陸上競技を始めた。ガイドの小林とともに東京パラリンピックに初出場し、5000mで銀メダルを獲得してデビューを飾った。この時はブラジルのジャッキスが唐澤をラスト1周で大きく引き離して優勝。東京大会以降、ラストスパートで競り負けない体力とスピードを手に入れるために、小林のいるスバル陸上競技部に所属を変え、小林の指導のもと強化に取り組んできた。この3年間が、唐澤を大きく成長させた。
「それこそ、住まいも隣で、性格も走りの特徴も全部把握しながら練習を積み重ねてきました。今年5月の世界選手権で世界記録を出したジャッキスに、ラストスパートでやられている。そこからの3カ月間、さらにラストを2段階、3段階上げる取り組みを繰り返してきました。その成果が、今大会のタイムに表れた。それは、ガイドである私にとっても、嬉しい結果でした」と小林は語る。
「ラスト1周で、唐澤さんのピッチが、過去イチ早くなった。これまでは苦しい状況でピッチが早くなると、反対に推進力が落ちてしまうことが多かったのですが、今日は、推進力が落ちないまま、むしろピッチで推進力を補う形で走り切ることができた。そこに、唐澤さんの成長、強さを感じることができました」
トップ3人が世界記録を更新する超高速レース。
「世界記録を更新する走りでなければメダルはかなわないと、東京大会以降の3年間練習に取り組み、目標にしてきました。その意味では、目標は達成できたんです。でも、優勝したドス・サントスはスタートから一度も先頭を譲らずに押し切って、金メダル。正直、ああ、強いなと感じました」
悔しさと嬉しさの入り混じった感情の波の中でも、唐澤は前を向く。
「ブラジルの2人のレベルは高いですが、互角に戦えたことは自信になりました」
世界のライバルと切磋琢磨しながら、陸上競技に取り組めている充足感は、この3人だけが持ちうる、特別な宝物だろう。
「4年後は、さらにスピードのレベルが上がるだろうと、想像しています」
ロサンゼルスパラリンピックに向けても、世界記録更新レベルでの戦いが続いていく。唐澤は、その一角を担っていくのだ。
取材・文/宮崎恵理 写真/吉村もと