
【ニューデリー2025世界パラ陸上: 9日目】日本が最終日に、3色のメダル。有言実行の金、狙い通りの銀、有終の美の銅!
ニューデリー2025世界パラ陸上競技選手権大会は10月5日、大会最終日を迎え、日本の3選手がそれぞれ、金、銀、銅のメダルを獲得した。これで日本選手団の獲得メダルは金4個、銀8個、銅2個の合計14個となり、国別ランキングでは10位で大会を終えた。
車いす1500mで、佐藤が圧巻V、上与那原も2位を死守

午前中に行われたT52(車いす)男子1500m決勝では、佐藤友祈(モリサワ)が金メダルを獲得した。マークした3分30秒19は自身の大会記録を自ら6年ぶりに9秒80も更新する快走だった。上与那原寛和(SMBC日興証券)が3分57秒75で2位に入り、日本は金、銀を積み上げた。
佐藤の圧勝だった。スタート直後から先頭に立つと、力強い漕ぎでレーサー(競技用車いす)を走らせ、200mのラップで2位以下に約5秒差をつけた。その後もグイグイと後続を引き離し、トラック半周以上の大差で先着した。
「大会記録を塗り替えられて、そこは良かった。でも、レース中にトラブルがあって、集中しきることが難しかったです」と吐露。「300m付近で急にカシャカシャ音が鳴りだしました。最初は車輪が外れたと思って心配になり、レースを途中で止めようかとも思いました」という。
音の原因はコース上に落ちていたと思われる、選手用のレーン番号シールのかけらが、佐藤のレーサーの車輪に張り付いてしまったためと分かったが、高めていた集中力は途切れてしまった。「準備万端で臨んでも、ちょっとしたことで気持ちが切れてしまうのは、新たな課題だと思いました」
佐藤は今大会、100mでもスタートやり直しに少し影響を受けていた。どんなトラブルにも動じないメンタルへと強化し、「3年後のロサンゼルスパラリンピックに備えたいです」と話した。

これで、佐藤は金2個(400m、1500m)、銀(100m)のメダル3個を獲得。大会新まで0.02秒だった400mなど、「惜しかった部分もありますが、今大会ではメダル獲得が大事だったので、最低ラインの目標は達成できました」とうなずいた。

佐藤には約28秒遅れたが、上与那原は2位グループの先頭を引き続け、3位に1.1秒差をつけて2位に入り、400mにつづき自身2個目の銀メダルをつかんだ。
「いい感じで走れました。スタートして2番手グループのトップに出たら、少し減速して自分のペースで行こうと考えていました。(中盤で)後方からフィリピンの選手が追いついてきましたが、自分も切り替えてペースを上げ、とにかく2着を狙いました。それが見事にはまりましたね」。プラン通りのレースに笑顔を見せた。
途中で並ばれたときも、「最後にペースを上げれば、逃げ切れると思っていました」と頼もしく、ベテランならでは状況判断と実行力で、2位を守った。
上与那原にとって、400mと合わせて自身2個目の銀メダル。「結果はいい感じでつながりましたが、タイムが今一つ。帰国後、少し休んでから、また調整して次のレースにつないでいきたいです」。瞳の奥で、静かな闘志が揺れていた。

日本男子はメダル獲得数で4位に!
最終日の二つのメダルで、日本男子は金4、銀8、銅1の全13個のメダルを獲得し、男子だけの国別ランキングでは4位に入る健闘だった。メダルは惜しくも逃したが、石山大輝(トヨタ自動車)は今季、ケガの影響で調整不足のなか、T12(視覚障害)男子走り幅跳びで4位だった。「次はもっと、『楽しい!』と思える試合ができるように調整して戻ってきたいです」。T36(脳原性まひ)の松本武尊(AC・KITA)は男子400mで予選、決勝でシーズンベストを更新して5位。「メダルが欲しかったですが、自分の走りとしては満足です」。F46(上肢障害)男子やり投げでは高橋峻也(トヨタ自動車)が6位、山崎晃裕(順天堂大学)が7位。互いに競り合いながらともにシーズンベストで入賞し、「いつか二人でメダル争い」を誓った。また、群雄割拠のT54(車いす)男子1500mで岸澤宏樹(日立ソリューションズ)が着順で予選を突破、決勝では9位だった。「前回(神戸大会)と同じ9位ですが、レース対応力やラストの粘りには成長を感じられました」と前を向いた。
佐々木真菜、女子唯一のメダリストに。自身初の銅メダル!


最終日夜、日本勢31名の最終出場者となった佐々木真菜(東邦銀行)は、T13(視覚障害)女子400m決勝で59秒39のタイムで3位に食い込み、銅メダルを手にした。日本女子としては今大会初メダル。佐々木自身にとっても世界選手権5大会目にして初のメダル獲得となった。
エントリー6選手中、佐々木は今季タイムでは3位だったが、トップタイムのブラジル選手が棄権したことをレース直前に知る。「これはもう狙っていくしかない。自分の力を存分に発揮するだけ」と、7レーンのスタートラインに立ったという。今季2位のタイムを出していたポルトガル選手が8レーンにいたが、「惑わされずに自分のレースを展開しようと思っていました。そこはクリアできたかな」
400mの最後の直線はいつも無我夢中で脚が動かなくなる。とくに約2週間前の国内大会ではラスト40mからパタパタした走りになってしまったという。その反省を胸に、この日は、「ラスト40mから地面をしっかり踏んで粘れました。身体全部を使って進んでいくという課題を、今日はできたかなと思います」と、うなずいた。
1997年福島県生まれの佐々木は、福島県立盲学校中等部で陸上競技を始め、中長距離選手として活躍。2014年にパラリンピック種目である400mに転向した。高校卒業後の2016年、地元の名門、東邦銀行に入行し、故・川本和久監督の指導によりさらに走りが磨かれた。初出場した東京2020パラリンピック、パリ2024大会ではいずれも7位入賞を果たした。
東邦銀行チームメートの松本奈菜子と井戸アビゲイル風果が今大会直前に東京で開催された「世界陸上」で活躍したこともよい刺激になった。「私もつづいていこう!」
世界選手権では初出場の2017年ロンドン大会は6位、2019年大会の4位を最高に、その後は2大会連続で5位だった。種目転向から10年の節目で初のメダルと貴重な成功体験を得た佐々木。地道な努力で長く上位に位置しつづけ、積み重ねた経験も糧にして今ようやく、形ある成果をつかみ取った。「本当に、うれしいです」
決意新たに、「次こそ、メダル!」
佐々木以外に、女子のメダリストは出なかったが、T34(脳原性まひ)の小野寺萌恵(北海道・東北パラ)は100mで4位、800mで5位入賞、「スタートとピッチを上げる練習をしてきました。練習よりいいタイムが出せました」。T20(知的障害)女子1500mで岡野華子(あいおいニッセイ同和損保)は最終周で一人抜いて5位に入賞する粘りを見せた。前回神戸大会でも5位だったが、「比べられないほど世界のレベルが上がっていました。次は4位でなく、メダルを獲りたいです」。2019年大会金のベテラン、中西麻耶(鶴学園クラブ)はT64(下肢障害)女子走り幅跳びで6本中4本がファウルだったが、3本目に今季最高の4m97を跳び、7位。「悔しいけれど、跳躍自体は悪くありませんでした。(ファウルをしないように)安パイな、逃げる跳躍をせずに最後まで戦えました」と胸を張った。
新星、小松沙季が、覚悟の初陣

F54(座位)女子やり投げで世界選手権初代表となった小松沙季(電通デジタル)は、今大会で初めて国際クラス分けを受検したところ、F54でなく障がいの程度が軽いF55と判定された。クラス分け再受験の申請も可能だったが、クラス未確定のまま落ち着かないよりも、「腹をくくって、F55でやっていこう」と覚悟を決めて出場したF55/56(座位)女子やり投げ決勝では入賞まであと1歩の9位だった。ちなみに、マークした15m75は、F54であれば銅メダル(15m48)を越えていたが、小松はもう前だけを見ている。F55/56の金メダル記録は26m18で、5位以上の選手は皆、20m以上というハイレベルな投てきを目の当たりにし、「自分もそれぐらいいけるなと感じられましたし、ロスでメダルを取る姿も想像できました。ここからがスタートです」と力強い。
1994年高知県生まれの小松は元々、バレーボールのVリーグで活躍。引退して指導者となっていた約6年前、突然の病により車いす生活になった。すぐに選手発掘プロジェクト(J-Star)で見いだされ、パラカヌー競技で東京、パリとパラリンピック代表に選出。今季から、「新しいことに挑戦したい」とやり投げを始めると、6月の国内大会で16m99を投げ、F54女子の日本記録を樹立した。投てきフォームや投てき台の仕様など、まだ試行錯誤中だが、バレーボールで培った肩や手首の強さなど、「自分の強みを生かして、頑張りたいです」と、意気込んだ。
日本代表31名、それぞれが得たインドでの貴重な経験を、さらなる飛躍の糧にする。
取材・文/星野恭子 写真/吉村もと