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パラスポーツを生きる。

『パラスポーツマガジン』は、パラスポーツの姿をさまざまな角度から掘り下げる、国内唯一のパラスポーツ専門誌です。障がい者がよりスポーツに真摯に取り組めるような社会、スポーツを通じて豊かな暮らしを楽しめるような、真の意味でバリアフリーが成し遂げられるような社会を目指すための“きっかけ作り”が提示できる雑誌を目指し邁進します。また、障がい者のライフスタイルにも注目し、日常生活に役立つさまざまな情報を発信しています。
「障がい」という大小さまざまなハードルを真摯に受け止め、アスリートとして、ひとりの人間としてチャレンジし続ける彼らのひたむきな姿を追いかけます。その姿を、迫力のあるビジュアルと虚飾のない文章で切り出すことで、パラスポーツの普及とアスリートやそこに関わる人々の認知度アップを図ります。

パラスポーツマガジン創刊号(2017年8月27日発行)

パラスポーツ全力応援プロジェクト

『パラスポーツマガジン』は御協賛社のみなさまとともに、保有するメディアシステムをフル活用して、共生社会実現に向けて“チャレンジする人”を応援していきたいと考えております。
「パラスポーツ全力応援プロジェクト」は、共生に向かう意識と行動の日常的積み重ねが形成する小さな前進にチャレンジする個人、コミュニティ、協会・団体、企業などの活動を情報化し応援していくことをめざすプロジェクトです。

パラスポーツマガジンメディアアドバイザー 野島弘さん

<野島弘さんコメント>

私が障がい者デビューしたのは今から40年以上前。まだ17歳の時の交通事故が原因で車いすユーザーとなりました。2年間の入院後、社会復帰してからは仕事に明け暮れ、32歳でスキーに出会ってからは競技スキーに明け暮れ、36歳で長野パラリンピック日本代表になるもレース前の公式トレーニングで大転倒し頸椎骨折という大けがをしてしまい一時は手も麻痺で動かなくなりました。
それでも、必死にリハビリをし、10か月後にはゲレンデに立ち、次のソルトレイクパラを目指しましたが、僅かに及ばず落選。諦めかけるも仲間の応援でリベンジを誓い、次に行われたトリノパラで日本代表となりますが結果は完敗。それを最後に選手引退。その後は、ジュニア選手普及育成活動とおもに障がい者スポーツの活動を精力的にしています。
長い間車いす生活を十分楽しんできましたが、まだまだでっかい夢に向かって子供たちと一緒に全力疾走しています。

<プロフィール>野島弘/1962年6月27日生まれ、東京都出身。スキー、ゴルフのほかサイクリング、カヤック、ソフトボール、バトミントン、パラグライダーカート、ロッククライミング、サーフィン、カーリングなど幅広いスポーツを日々アクティブに楽しみ普及している。日本チェアスキー協会理事、ジュニア普及育成部長/日本障害者ゴルフ協会理事、東京首都圏支部事務局長/一般社団法人ZEN代表。★長野パラリンピック&トリノパラリンピック チェアスキー日本代表 、★第一回障害者ゴルフ世界選手権出場

題字について

『パラスポーツマガジン』の題字は、書家・金澤翔子さんにご揮毫いただきました。

<金澤翔子さんから創刊によせて>
『パラスポーツマガジン』の創刊おめでとうございます。パラスポーツシーンをリアルに表現する雑誌は、これまであまり拝見したことはありませんでした。「障がい」という大小さまざまなハードルを真摯に受け止め、それを乗り越えてスポーツに励む人々の姿に心打たれました。題字では、そんな人々の姿をイメージし、前向きな力強さを表現させていただきました。『パラスポーツマガジン』の読者のみなさま、制作に携わるすべてのみなさまのさらなるご発展を祈念しています。

<プロフィール>金澤翔子(雅号 小蘭)/1985年6月12日生まれ、東京都出身。5歳から母の師事で書を始める。2005年銀座書廊で個展。その後、建長寺、建仁寺、東大寺、薬師寺、中尊寺、延暦寺、熊野大社、厳島神社、三輪明神大社神社、太宰府天満宮、伊勢神宮、春日大社等で個展・奉納揮毫。福岡県立美術館、愛媛県立美術館等で個展。ニューヨーク、チェコ、シンガポール、ドバイ、ロシアなどで個展を開催。ニューヨーク国連本部でスピーチ。2012年NHK大河ドラマ「平清盛」揮毫。国体の開会式や天皇陛下の御製を揮毫。紺綬褒章受章。日本福祉大学客員准教授。文部科学省スペシャルサポート大使。東京2020公式アートポスター制作。著書/『悲しみを力に』(PHP研究所)、『愛の方程式』(東日本出版社)、『別冊太陽・金澤翔子の世界』(平凡社)、『小さき花』(小学館)など多数。

2024年1月吉日
実業之日本社『パラスポーツマガジン』編集部


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