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車いすテニスのドリームマッチ開催! 国枝・小田組 VS 三木・眞田組

車いすテニスのドリームマッチ開催! 国枝・小田組 VS 三木・眞田組

10月12日、有明コロシアムで車いすテニスのエキシビションマッチが行われた。今年9月、車いすテニスでグランドスラム4大会タイトルとパラリンピックの金メダルを制覇し、生涯ゴールデンスラムを達成した小田凱人(東海理化)が登場。男子車いすテニス界きってのレジェンド・国枝慎吾氏とペアを組み、世界ランキング10位の三木拓也(トヨタ自動車)、同45位の眞田卓(TOPPAN)組と対戦した。これは、第100回全日本テニス選手権2025の記念事業。大会最終日に、1日限りのドリームマッチが実施されたのである。エキシビションマッチに登場した左から三木拓也、眞田卓、小田凱人、国枝慎吾氏小田のサービスで試合が始まる。序盤から切れ味の鋭いサーブを繰り出し、三木/眞田組を圧倒。が、三木/眞田組もすぐに息を合わせ、2、3ゲームを連取して主導権を握り返した。レジェンド国枝氏も現役時代を彷彿とさせる力強いサーブを放ち、巧みに小田を生かす展開で応戦する。エキシビションらしく、コートチェンジの合間に会場MCによる短いインタビューが入る。ゲーム中、眞田が意表をつくアンダーハンドサーブを繰り出すなど、普段の公式戦とは異なる場面も見られた。また、返球されたボールが国枝の車いすに当たり、「ボールタッチ」で失点するという、現役時代には見られなかった珍しいシーンで、観客を沸かせた。三木/眞田組が4−2でリードした時点で、40分間のエキシビションが終了した。小田(上)と国枝氏(下)という生涯ゴールデンスラマーがペアを組んだ「100回記念の全日本テニス選手権という歴史ある大会の中で、車いすテニスの試合をさせていただいたのは光栄です。このようなエキシビションをしたのは、2004年アテネパラリンピックで金メダルを獲得した後、当時ダブルスを組んでいた齋田悟司選手と一緒に参加した時以来。当時は、車いすテニスを知っている人はほとんどいませんでした。20年を経て、今日はこの競技をよく知る観客の前でプレーすることができた。時代の変化を感じましたね」(国枝)「国枝さんはもちろん、対戦した三木さんも眞田さんも、僕が初めて車いすテニスを知ったロンドンパラリンピックやリオパラリンピックで大活躍していた選手。この3人と一緒に試合ができたのは、とても感慨深いです。いつもの試合とは違う高揚感がありました」(小田)「実は、この4人は2022年ポルトガルで開催されたワールドチームカップに出場したメンバー。当時、国枝さんが世界ランキング1位で、小田選手が10代で初めてメンバーになって、とても初々しかったことを思い出していました。今日も、白熱した試合を見せることができたのかなと思います」(眞田)「わずかな時間でしたが、レベルの高いプレーが見せられたのではないかと思っています。これを見た子どもたちが何かを感じとってくれたら嬉しいですね」(三木)三木(右)・眞田(左)組も奮闘し、ゲームは白熱3年前のワールドチームカップではニューカマーとして出場した小田が、憧れのレジェンドと国内でペアを組んでプレーを見せるのは初めてのことだ。「小田選手の武器であるパワーを、隣でプレーしながら“うわ、すごいな”と純粋に感動する場面もあった」と、国枝氏も称賛を惜しまなかった。エキシビションマッチとはいえ、両ペアとも真剣そのものだった。「試合前は、それぞれマイクを装着して喋りながらプレーするスタイルを考えたりもしていたようですが、おそらく観客が見たいのはそういうことじゃない」(国枝)。「車いすテニスの“本気“をお見せしたかった」(三木)4人の思いは、スタンドに届いたはずだ。一方で、「いや、万一マイクをつけたら、笑いを取らなくちゃいけないじゃないですか。そっちの方がハードルが高い。プレッシャーに耐えられない(笑)」と、国枝氏が笑いを誘った。現役を退いてからは久しぶりの実戦。国枝氏は、このエキシビションマッチのため「1週間特訓した」と明かす。「第100回の記念大会に恥ずかしいプレーはできませんから(笑)」9月には同じ有明テニスの森公園で男子プロツアーの公式戦である木下グループジャパンオープンが開催され、車いすテニス部門も行われている。車いすテニスが、テニスの魅力あるカテゴリーとして確かな地位を築きつつある。それを改めて実感させるイベントだった。文・写真/宮崎恵理

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【ニューデリー2025世界パラ陸上: 番外編】義足のレジェンド、マルクス・レームが8度目のタイトル防衛! そして、新天地でさらなる高みへ

【ニューデリー2025世界パラ陸上: 番外編】義足のレジェンド、マルクス・レームが8度目のタイトル防衛! そして、新天地でさらなる高みへ

2回目にシーズンベストの8m43を跳び、ドイツのマルクス・レームは8度目の世界チャンピオンに輝いた“パラスポーツ界の顔”ともいえるスター、マルクス・レーム(ドイツ)が10月3日、「ニューデリー2025世界パラ陸上競技選手権大会」のT64(下肢障害)男子走り幅跳び決勝を制し、自身8度目の世界選手権優勝を果たした。パラリンピックでは4連覇中で、世界記録(8m72)ももつ37歳の絶対王者はこの日、2回目の試技でマークした8m43で金メダルをつかんだ。アメリカ勢の2人がレームにつづいた。デレク・ロキデントが8m21で銀、ジャリッド・ウォレスが7m65で銅を獲得した。レームはこれまで、数々の金メダルを手にしてきたが、「8連覇できて、本当に嬉しい! 今日は勝つことがとても重要だったのです」インドの地でつかんだ金メダルは、これまでより特別な、意味のある一つであり、さまざまなドラマもあった。絶対王者と、追いかける後継者1988年生まれのレームはスポーツ好きの活発な少年だったが、14歳のとき、ウエイクボードの練習中の事故で右足の膝から下を失う。「自分のアイデンティティがなくなった…」と落ち込んだが、スポーツ義足と出合ってパラ陸上競技を始めると、とくに走り幅跳びでの才能が開花した。パラリンピックでは初出場となった2012年ロンドン大会で当時の世界新記録(7m35)で優勝して以来、負け知らず。レームがもつ現世界記録は2023年に樹立した8m72で、健常者の世界記録(8m95)にも迫りつつあることでも注目されている。そんな百戦錬磨のレームをもってしても、ニューデリー2025大会は特別だった。試合日程は元々、前日の夜に予定されていたが、夕方、突然の激しい雷雨によって大会は1時間あまり中断。レームは試合開始を待たされた挙句、結局、翌日に延期となった。丸1日後に行われた試合を終え、レームはこう振り返った。「昨日は延期が決まってから、ホテルに戻って気持ちを切り替えるように努めた。今日は一転、素晴らしい天候に恵まれて、試合のあらゆる瞬間を心から楽しめた。その上で、世界タイトルを守れたことをとても嬉しく思います」決して簡単な試合ではなかった。2位に入ったロキデントは急成長中で、レームの後継者筆頭と目される新星だ。1998年生まれのロキデントは大学でアメリカンフットボールの選手として活躍していた2018年、列車事故に遭う。左足の膝下を失ったが、数カ月後に義足をつけてアメフト復帰を果たす。大学卒業後はパラ陸上競技に転向し、2023年にレームとの初顔合わせとなった世界選手権パリ大会で、いきなり2位となって世界を驚かせた。この時の二人の記録差は110cm。だが、2024年神戸大会では61cm、同パリパラリンピックでは34cmと徐々に縮まっている。さらに、今大会の資料によれば、大会前までの今季最高記録はレーム8m29に対して、ロキデントは8m22と迫っていた。タイトル防衛を実現した、“シンプル”な戦略進境著しいアメリカの新星ロキデントに勝つため「1回目のジャンプを完璧に決める」ことがレームの作戦だった。その1回目に8m36の好ジャンプ。ロキデントは結局最後までこの記録を超えることができなかった丸1日遅れで始まった試合には7人がエントリーしており、レームが最初の試技者だった。1回目から求めた観客の拍手に乗って、スピード感ある助走から空中に飛び出したレームの跳躍は8m36で、シーズンベストを記録した。注目のロキデントは6番目に登場、1回目は8m16だ。7人全員が跳び終え、レームが1位、ロキデントが2位につける。8m越えは二人だけだった。2回目で、レームは8m43と記録を伸ばした。ロキデントも8m21と少し伸ばしたが、順位は変わらず。その後も緊張感あふれる試技が続いたが、互いに距離は伸ばせない。記録によって試技順が変わる4回目以降はレームより先にロキデントが跳ぶようになり、6回目にロキデントがファウルとなったため、ここでレームの優勝が決定した。試合後、レームは試合プランについてこう明かした。「デレク(・ロキデント)が好調なことは分かっていたので、僕の目標は明確でした。とにかく、『1回目のジャンプを完璧に決めることだ』と」伸び盛りの若手の勢いを削ぐには「先手必勝」だと考え、そのプランをレームは確実に実行したのだ。「2本目にもいいジャンプができて、確信しました。これで彼(ロキデント)には厳しい展開になるだろうとね。でも、走幅跳は特殊な種目です。完璧なジャンプを決めれば、20、30cmくらい簡単に距離を伸ばせる可能性があります。デレクは手強い。だから、最後のジャンプまで集中しなければならなりませんでした。優勝が決まったときは、本当にホッとしました」一方のロキデントは、「3回目以降はいくつかミスがあって伸ばせませんでした。でも、準備もしっかりできたし、自信をもって試合に臨んだので、今日の記録には満足しています」と、試合を振り返った。また、レームの存在について聞かれ、「特別だし、敬意を抱いています。僕の成長は、彼のおかげ」と感謝を述べた。「初めて対戦した2023年のパリ大会で、マルクス(・レーム)は大会記録を更新する大きなジャンプを見せてくれて、すごくワクワクしました。僕も銀メダルを獲れたし、彼に追いつきたい気持ちが練習のモチベーションになっています。追い求めるべき目標を与えてくれるし、時にはアドバイスもしてくれます。だから、彼には長く活躍し続けてほしい。でも、いつか彼に追いつけることを願って僕も努力しています」世界トップを争う二人の競り合いによるハイレベルなパフォーマンスに期待がかかるが、その格好の舞台が3年後に迫る。ロキデントの母国で開かれるロサンゼルスパラリンピックだ。ロキデントは、「ホームグラウンドでの大会は僕にとって大きな意味がある。そこで、チャンピオンの称号を手にすることが最大の目標です。完璧なジャンプができるように、とにかく、トレーニング、トレーニング、トレーニング! それが成功の秘訣です」と意気込む。レームは後継者の登場を歓迎しながらも、負けるつもりはない。「ロキデントは正々堂々と挑んでくれる、素晴らしいライバル。これからも競い合えることが楽しみです」思い出の地、インドで示したコーチへの感謝と惜別「Thank you Steffi」のはちまきを巻いて最後の跳躍に挑んだレーム。この日でレームのコーチを引退するシュテフィ・ネリウスへの感謝の想いをこめた跳躍だった「今日は勝つことが重要でした。この勝利で最も伝えたかったのは、『コーチへの感謝』でした」レームは優勝決定後の最終6回目の跳躍にもしっかり挑み、観客の拍手に乗ってスピーディーな助走から大きなジャンプを披露したが、つま先がわずかに踏切板を越えファウル判定となった。レームは一呼吸おいてから手を挙げ、スタンドに笑顔を向けた。ただ、5回目までと少しだけ違っていたのは、助走のスタート地点に向かうレームのおでこに見慣れないはちまきが巻かれていたことだ。よく見ると、「Thank you Steffi(ありがとう シュテフィ)」と書かれている。“シュテフィ”とは、16年間にわたってレームのコーチを務めたシュテフィ・ネリウスのことで、この日を最後にコーチから引退することになっていた。1972年生まれのネリウスは元やり投げの名選手で、2004年アテネオリンピックで銀メダルを獲得し、2008年には68m34の自己ベストを出している。所属する陸上クラブで義足のレームと出会い、コーチになった。はちまきは現役時代のネリウスのトレードマークだった。各大会の主催者やファンへの感謝を表そうと、いつもはちまきを着けて競技していたという。そこで、レームも彼女にならい、彼女への感謝をはちまきに記したのだ。「シュテフィは僕の最初のコーチで、16年間も指導し続け、僕の人生を変えてくれました。彼女はコーチとして、友人として、人生の師として支えてくれて、僕をアスリートとして、人間として成長させてくれました。この間、数えきれない金メダルを手にしたけれど、シュテフィなしでは成しえなかった。ともに歩んだこの旅路を心から感謝しています」ネリウスとともに戦う最後の試合だったから、勝って感謝の思いを表すことが、この試合では最大の目標だった。「でも、まだまだ恩返ししきれません。彼女がどれほどの高みへ僕を導いてくれたか、分かりますよね。僕たちは『チーム』として世界記録を何度も更新しました。幅跳びピットには僕一人が立ちますが、僕の背後には支えてくれる『チーム』がいて、その中心がシュテフィでした」実はレームが初めてネリウスコーチと「チーム」を組んで出場した国際大会は2009年、インドのバンガロールで行われた大会だった。レームはそこで初優勝したことを皮切りに連勝街道を走りつづけ、「チーム」での最終戦を同じインドのニューデリーで迎え、優勝で締めくくったのだ。ネリウスも感慨深く語った。「マルクスを誇りに思います。16年間無敗という信じられないくらい素晴らしいアスリートですから。それに、私たちはこれまで、『試合中は集中力を保ち、最後までベストを尽くすこと』を目指してきました。だから、彼が今日、シーズンベストをマークしたことは素晴らしいですし、このタイトルとともに引退できることを私は大変嬉しく思います。完璧な結末です」とうなずき、目を細めた。さらにネリウスは、少し離れたところで記者に囲まれるレームのほうをやわらかな表情で見やりながら、こう付け加えた。「実は今日、10月3日は、35年前(1990年)に東西ドイツが統一された日です。私は東ドイツ出身なので、10月3日(の東西統一)があったからこそ、西ドイツ出身のマルクスと出会えたのです。特別な日に試合ができたことも思い出ですね」前日に雷雨がなければ、試合は10月2日だった。二人の絆の強さがドラマティックな舞台を引き寄せたのか……。インドで始まった二人の“旅”は16年の時を経てインドで完結した。左がコーチのシュテフィ。16年前、インドで始まった二人の師弟関係は、この日奇しくも同じインドの地で終わることとなった新天地で、新たな目標恩師への感謝を8連覇という形で示したレームだが、もちろん、ここで終わるつもりはない。さらなる勝利を目指して、彼は新たな挑戦を考えている。これまで通り、所属チームであるドイツのレバークーゼンを拠点にしたまま、今後はオランダの陸上チームの練習にも参加するつもりだという。チームには今大会のT64女子走り幅跳びで優勝したフルール・ヨングなど多くのトップアスリートが所属している。現在の計画では週に一度、車で数時間のオランダ・アムステルダムへ通って練習に加わるほか、時にはオランダチームをドイツの拠点に招いて合宿を行うことも考えている。優秀な選手たちとの切磋琢磨や情報交換によってレームは新たな視野を広げることになるだろうし、レーム自身の経験や知見もチームに還元できる。義足での跳躍競技のさらなる発展にもつながるはずだ。「経験豊富な選手が揃ったチームだから、きっと新たな刺激や学びがあるはず。優れたアスリートが大勢、集まれば集まるほど、よりハイレベルな成果も得られるでしょう。だから今は新しいチャレンジにとても期待しています」世界記録は2年前に樹立した8m72で止まっているが、レーム自身は、「記録はまだ伸ばせる」と力強い。今季は調子が上がらず、この日は踏切を合わせるために助走距離を短くして跳んだという。それでも、今季のベストが出た。「スピードとリズムを全てまとめるのは難しい」とレーム。だからこそ、すべてがかみあったとき、まだまだ遠くへ跳べると信じている。「その時が、本当に楽しみなんです」16年の旅を終え、また新たな旅を始めるレーム。その道のりの先にいったいどんな記録が、どんな結末が、待っているのだろうか。取材・文/星野恭子 写真/吉村もと
【ニューデリー2025世界パラ陸上: 9日目】日本が最終日に、3色のメダル。有言実行の金、狙い通りの銀、有終の美の銅!

【ニューデリー2025世界パラ陸上: 9日目】日本が最終日に、3色のメダル。有言実行の金、狙い通りの銀、有終の美の銅!

ニューデリー2025世界パラ陸上競技選手権大会は10月5日、大会最終日を迎え、日本の3選手がそれぞれ、金、銀、銅のメダルを獲得した。これで日本選手団の獲得メダルは金4個、銀8個、銅2個の合計14個となり、国別ランキングでは10位で大会を終えた。車いす1500mで、佐藤が圧巻V、上与那原も2位を死守トラック半周以上の大差をつけて圧勝した佐藤午前中に行われたT52(車いす)男子1500m決勝では、佐藤友祈(モリサワ)が金メダルを獲得した。マークした3分30秒19は自身の大会記録を自ら6年ぶりに9秒80も更新する快走だった。上与那原寛和(SMBC日興証券)が3分57秒75で2位に入り、日本は金、銀を積み上げた。佐藤の圧勝だった。スタート直後から先頭に立つと、力強い漕ぎでレーサー(競技用車いす)を走らせ、200mのラップで2位以下に約5秒差をつけた。その後もグイグイと後続を引き離し、トラック半周以上の大差で先着した。「大会記録を塗り替えられて、そこは良かった。でも、レース中にトラブルがあって、集中しきることが難しかったです」と吐露。「300m付近で急にカシャカシャ音が鳴りだしました。最初は車輪が外れたと思って心配になり、レースを途中で止めようかとも思いました」という。音の原因はコース上に落ちていたと思われる、選手用のレーン番号シールのかけらが、佐藤のレーサーの車輪に張り付いてしまったためと分かったが、高めていた集中力は途切れてしまった。「準備万端で臨んでも、ちょっとしたことで気持ちが切れてしまうのは、新たな課題だと思いました」佐藤は今大会、100mでもスタートやり直しに少し影響を受けていた。どんなトラブルにも動じないメンタルへと強化し、「3年後のロサンゼルスパラリンピックに備えたいです」と話した。佐藤は金2個、銀1個と、出場した全種目でメダルを獲得したこれで、佐藤は金2個(400m、1500m)、銀(100m)のメダル3個を獲得。大会新まで0.02秒だった400mなど、「惜しかった部分もありますが、今大会ではメダル獲得が大事だったので、最低ラインの目標は達成できました」とうなずいた。400mに続き1500mでも銀メダルを獲得した上与那原(中央)佐藤には約28秒遅れたが、上与那原は2位グループの先頭を引き続け、3位に1.1秒差をつけて2位に入り、400mにつづき自身2個目の銀メダルをつかんだ。「いい感じで走れました。スタートして2番手グループのトップに出たら、少し減速して自分のペースで行こうと考えていました。(中盤で)後方からフィリピンの選手が追いついてきましたが、自分も切り替えてペースを上げ、とにかく2着を狙いました。それが見事にはまりましたね」。プラン通りのレースに笑顔を見せた。途中で並ばれたときも、「最後にペースを上げれば、逃げ切れると思っていました」と頼もしく、ベテランならでは状況判断と実行力で、2位を守った。上与那原にとって、400mと合わせて自身2個目の銀メダル。「結果はいい感じでつながりましたが、タイムが今一つ。帰国後、少し休んでから、また調整して次のレースにつないでいきたいです」。瞳の奥で、静かな闘志が揺れていた。日本男子はメダル獲得数で4位に!最終日の二つのメダルで、日本男子は金4、銀8、銅1の全13個のメダルを獲得し、男子だけの国別ランキングでは4位に入る健闘だった。メダルは惜しくも逃したが、石山大輝(トヨタ自動車)は今季、ケガの影響で調整不足のなか、T12(視覚障害)男子走り幅跳びで4位だった。「次はもっと、『楽しい!』と思える試合ができるように調整して戻ってきたいです」。T36(脳原性まひ)の松本武尊(AC・KITA)は男子400mで予選、決勝でシーズンベストを更新して5位。「メダルが欲しかったですが、自分の走りとしては満足です」。F46(上肢障害)男子やり投げでは高橋峻也(トヨタ自動車)が6位、山崎晃裕(順天堂大学)が7位。互いに競り合いながらともにシーズンベストで入賞し、「いつか二人でメダル争い」を誓った。また、群雄割拠のT54(車いす)男子1500mで岸澤宏樹(日立ソリューションズ)が着順で予選を突破、決勝では9位だった。「前回(神戸大会)と同じ9位ですが、レース対応力やラストの粘りには成長を感じられました」と前を向いた。佐々木真菜、女子唯一のメダリストに。自身初の銅メダル!T13(視覚障害)女子400mで、女子選手では今大会唯一のメダルを獲得した佐々木の走り佐々木にとっては世界規模の大会で、400mでは初めてのメダル獲得となった最終日夜、日本勢31名の最終出場者となった佐々木真菜(東邦銀行)は、T13(視覚障害)女子400m決勝で59秒39のタイムで3位に食い込み、銅メダルを手にした。日本女子としては今大会初メダル。佐々木自身にとっても世界選手権5大会目にして初のメダル獲得となった。エントリー6選手中、佐々木は今季タイムでは3位だったが、トップタイムのブラジル選手が棄権したことをレース直前に知る。「これはもう狙っていくしかない。自分の力を存分に発揮するだけ」と、7レーンのスタートラインに立ったという。今季2位のタイムを出していたポルトガル選手が8レーンにいたが、「惑わされずに自分のレースを展開しようと思っていました。そこはクリアできたかな」400mの最後の直線はいつも無我夢中で脚が動かなくなる。とくに約2週間前の国内大会ではラスト40mからパタパタした走りになってしまったという。その反省を胸に、この日は、「ラスト40mから地面をしっかり踏んで粘れました。身体全部を使って進んでいくという課題を、今日はできたかなと思います」と、うなずいた。1997年福島県生まれの佐々木は、福島県立盲学校中等部で陸上競技を始め、中長距離選手として活躍。2014年にパラリンピック種目である400mに転向した。高校卒業後の2016年、地元の名門、東邦銀行に入行し、故・川本和久監督の指導によりさらに走りが磨かれた。初出場した東京2020パラリンピック、パリ2024大会ではいずれも7位入賞を果たした。東邦銀行チームメートの松本奈菜子と井戸アビゲイル風果が今大会直前に東京で開催された「世界陸上」で活躍したこともよい刺激になった。「私もつづいていこう!」世界選手権では初出場の2017年ロンドン大会は6位、2019年大会の4位を最高に、その後は2大会連続で5位だった。種目転向から10年の節目で初のメダルと貴重な成功体験を得た佐々木。地道な努力で長く上位に位置しつづけ、積み重ねた経験も糧にして今ようやく、形ある成果をつかみ取った。「本当に、うれしいです」決意新たに、「次こそ、メダル!」佐々木以外に、女子のメダリストは出なかったが、T34(脳原性まひ)の小野寺萌恵(北海道・東北パラ)は100mで4位、800mで5位入賞、「スタートとピッチを上げる練習をしてきました。練習よりいいタイムが出せました」。T20(知的障害)女子1500mで岡野華子(あいおいニッセイ同和損保)は最終周で一人抜いて5位に入賞する粘りを見せた。前回神戸大会でも5位だったが、「比べられないほど世界のレベルが上がっていました。次は4位でなく、メダルを獲りたいです」。2019年大会金のベテラン、中西麻耶(鶴学園クラブ)はT64(下肢障害)女子走り幅跳びで6本中4本がファウルだったが、3本目に今季最高の4m97を跳び、7位。「悔しいけれど、跳躍自体は悪くありませんでした。(ファウルをしないように)安パイな、逃げる跳躍をせずに最後まで戦えました」と胸を張った。新星、小松沙季が、覚悟の初陣パラカヌーで東京、パリと2大会連続してパラリンピックの代表になった小松。今季から挑戦するやり投げでも健闘を見せたF54(座位)女子やり投げで世界選手権初代表となった小松沙季(電通デジタル)は、今大会で初めて国際クラス分けを受検したところ、F54でなく障がいの程度が軽いF55と判定された。クラス分け再受験の申請も可能だったが、クラス未確定のまま落ち着かないよりも、「腹をくくって、F55でやっていこう」と覚悟を決めて出場したF55/56(座位)女子やり投げ決勝では入賞まであと1歩の9位だった。ちなみに、マークした15m75は、F54であれば銅メダル(15m48)を越えていたが、小松はもう前だけを見ている。F55/56の金メダル記録は26m18で、5位以上の選手は皆、20m以上というハイレベルな投てきを目の当たりにし、「自分もそれぐらいいけるなと感じられましたし、ロスでメダルを取る姿も想像できました。ここからがスタートです」と力強い。1994年高知県生まれの小松は元々、バレーボールのVリーグで活躍。引退して指導者となっていた約6年前、突然の病により車いす生活になった。すぐに選手発掘プロジェクト(J-Star)で見いだされ、パラカヌー競技で東京、パリとパラリンピック代表に選出。今季から、「新しいことに挑戦したい」とやり投げを始めると、6月の国内大会で16m99を投げ、F54女子の日本記録を樹立した。投てきフォームや投てき台の仕様など、まだ試行錯誤中だが、バレーボールで培った肩や手首の強さなど、「自分の強みを生かして、頑張りたいです」と、意気込んだ。日本代表31名、それぞれが得たインドでの貴重な経験を、さらなる飛躍の糧にする。取材・文/星野恭子 写真/吉村もと
【ニューデリー2025世界パラ陸上:8日目】戸田夏輝が1500mで、佐藤友祈が100mで、それぞれに意味ある銀メダル!

【ニューデリー2025世界パラ陸上:8日目】戸田夏輝が1500mで、佐藤友祈が100mで、それぞれに意味ある銀メダル!

ニューデリー2025世界パラ陸上競技選手権大会8日目となった10月4日、日本勢はさらに2つの銀メダルを積み上げた。中距離に新星登場!一つは戸田夏輝(NDソフト)がT20(知的障害)男子1500mで獲得。マークした3分52秒45は自己新記録であるともに、世界選手権デビュー戦でメダル獲得という快挙でもあった。「初出場でここまで走れるとは思わなかったので、本当にうれしい。粘って走れました!」スタート前には「元気玉」のポーズで気合を合入れた新星登場を強く印象づけるレースだった。スタート前の選手紹介時には両手を上げながら空を仰ぎ見て、「元気玉(*)で気合を入れていた」という戸田。号砲から飛び出すと、先頭を独走。1000m手前で、徐々に追い上げてきた前回覇者のミカエル・ブラニガン(アメリカ)に抜かれたが、諦めずに前を追う。最後は大会新で連覇したブラニガンに約2秒遅れの2位でフィニッシュした。(*:漫画『ドラゴンボール』に登場する必殺技のひとつ)最後まで粘り2位でフィニッシュした戸田負けず嫌いだという戸田は、スタートから積極的に前に出て自分の走りを粘り強く貫くスタイルが持ち味だ。前日の予選でもスタイル通りの力強い走りを披露し、組1位全体2位で決勝に進んでいた。「とても緊張しましたが、安定して走れてよかったです」と大舞台デビュー戦でも持ち味をしっかりと発揮した。世界選手権デビュー戦で、自己新記録を出して銀メダルという快挙。メダルセレモニーでは初々しい表情も見せた新星・戸田のこれからに期待大だ2004年山形県生まれの戸田は、小学生時代から走ることが好きで、中学入学後、本格的に陸上競技を始めた。養護学校卒業後、2023年に地元の実業団チーム、NDソフトアスリートクラブに加入。多くのレースで上位に入るなど注目され始める。今年2月、自身初の海外レース、ドバイでのワールドパラアスレティックグランプリに出場し、1500mを4分02秒39で優勝する。日本パラ陸上競技連盟の2025年度ロスターゲットアスリートにも指定され、2028年のロサンゼルスパラリンピック初出場を目指している。今大会に向けては距離を踏み、暑さ対策にも取り組み臨んでいたという。初の大舞台で獲得したメダルについて聞かれ、「これがスタート。これからもたくさんのメダルを獲れるように頑張りたいです」。さらなる進化と活躍を誓っていた。なお、ともに決勝進出を果たした十川裕次(オムロン太陽)は9位(4分00秒45)、岩田悠希(KPMG)は10位(4分00秒81)だった。佐藤友祈が自身2個目のメダル獲得同日夕、T52(車いす)男子100m決勝も行われ、佐藤友祈(モリサワ)が17秒07(+0.8)で銀メダルを獲得した。左から3人目が佐藤。スタートは良かったが、途中でハンドリムのキャッチミスをしてしまったという5日目の400mにつづき金メダルを目指していた佐藤は、「負けました。いいスタートが切れたのですが、その後に(ハンドリムの)キャッチミスをしてしまいました。悔しいです」午前中に行われた予選では、16秒79と好走して全体2位。同1位とはわずか0.01秒差で、「決勝は全然いけそう」と話していた佐藤。決勝ではスタートでフライングによる失格者が出て、「やり直しは初めての経験。短時間で気持ちを立て直すのが、正直しんどかったです」と明かした。佐藤にとっては悔しさが残る銀メダルだったそれでも、序盤の出遅れにも諦めずに前を追い、「競り合いながらフィニッシュできたので、面白いレースはできたと思います。ロスパラ(リンピック)に向けてしっかり修正して、100mも400mも金を取ります!」と2冠宣言。その前に、「もちろん優勝」と今大会最終日に行われる1500m決勝を制しての今大会2冠に向け、佐藤は絶対の自信を示していた。競り合いのレースはおもしろかった、と佐藤。そんな気持ちがメダルセレモニーの笑顔につながったのかもしれないなお、伊藤竜也(新日本工業)は予選全体7位で進んだ決勝で今季ベストとなる、17秒34をマークして5位入賞。伊藤智也(バイエル薬品)は予選で今季ベストの17秒74で走ったが、0.02秒差で全体9位となり、惜しくも決勝進出を逃した。取材・文/星野恭子 写真/吉村もと
【木下グループジャパンオープンテニス2025】小田凱人が圧巻の3連覇!

【木下グループジャパンオープンテニス2025】小田凱人が圧巻の3連覇!

「久しぶりに有明のコートに戻ってきて、試合前からワクワクしていました」そう語るのは、9月、アメリカ・ニューヨークで行われた全米オープンでの優勝を果たし、生涯ゴールデンスラムを達成した小田凱人(東海理化/シングルス世界ランキング1位)だ。9月22日〜30日に開催された木下グループジャパンオープンテニス2025。27日〜29日には男子車いすテニス部門が行われ、全米オープンから凱旋帰国した小田が、日本のコートに姿を見せた。この大会は、国内で唯一開催されているATP(男子プロテニスツアー)公式戦。1972年から行われている伝統と格式のある大会である。2019年に車いすテニス部門が設置され、今年5回目を数える。シングルスは8名、ダブルスは4組が出場した。小田は1回戦を6-0、6-0、準決勝を6-1、6-0で勝利し、決勝に駒を進めていた。決勝戦は、センターコートである有明コロシアムで実施された。月曜日、午前中にもかかわらずスタンドには多くの観客が詰めかけた。決勝で小田と対戦したのは、世界ランキング19位の荒井大輔(BNPパリバ)である。生まれつき右脚脛骨欠損という障がいがあり、日常的に義足を使用しているが、中学時代には軟式テニスで活躍した。車いすテニスを始めたのは、社会人として岐阜県に在住していた時期である。のちに、同じクラブに小学生の小田が所属し、先輩選手として接してきた。今大会、小田は生涯ゴールデンスラムを達成した王者の風格を見せつけたゲーム序盤から小田は、荒井にポイントを与えない圧倒的な強さを見せつけた。得意のサーブでは、コートの外側にボールが跳ねるワイドサーブでエースを取り、積極的に前に出てショットを繰り出した。荒井も得意のリターンで反撃を試みるが、なかなかブレイクには至らない。「荒井さんは、絶対にリターンで狙ってくるだろうというのは想定していましたし、前回対戦した時にも、同じように前に出てくることも何度もありました。自分のサーブが荒井さんにとって嫌なコースをついていたことで、ポイントが取れたと思っています」小田が振り返る。この試合で小田のファーストサービス確率は1セット目が84%、2セット目も63%で、トータルでは69%であった。一方の荒井は、トータルで42%。小田のサービスの精度がいかに高いかを示している。生涯ゴールデンスラムを達成した王者の風格を見せ、小田は6-0、6-0で完勝。木下グループジャパンオープンでの3連覇を果たした。「最高の日。思い出に残る試合になりました。荒井さんは、僕が子どもの頃、先輩選手として僕に海外ツアーのことなど、いろんなことを教えてくれた。同じ舞台で対戦できたことがすごく嬉しいです。センターコートで自分の強さを見せることが、今大会のテーマでした。それが実現できたと思っています」生涯ゴールデンスラムを達成し、小田は次の目標に向かって突き進んでいく今大会の健常者の部には、男子シングルス世界ランキング1位のカルロス・アルカラス(スペイン)が初出場している。アルカラスは19歳のとき全米オープンで初優勝し、史上最年少で世界ランキング1位に輝いた。アルカラスも、今大会のトーナメントを順調に駆け上がり、車いすテニス決勝戦が行われた翌30日に、優勝を決めた。22歳のアルカラスと、19歳の小田。2人の世界一が揃った木下グループジャパンオープン2025は、新たな歴史を刻んだのだった。取材・文/宮崎恵理 写真/編集部
【ニューデリー2025世界パラ陸上:7日目】福永凌太、400mで銀。自身2個目のメダル獲得も、「空っぽになるような…」

【ニューデリー2025世界パラ陸上:7日目】福永凌太、400mで銀。自身2個目のメダル獲得も、「空っぽになるような…」

10月3日、T13(視覚障害)男子400m決勝で福永凌太(日本体育大学)が49秒03で2位となり、銀メダルを獲得した。福永にとっては5日目の走り幅跳びにつづく今大会2個目の銀だった。走り幅跳びに続き、今大会2個目の銀メダルを獲得した福永凌太(左)大きなストライドで力強く走る福永。予選をトップで通過し、金メダルが大いに期待されただが、「悔しいというより、空っぽになるような……。喪失感みたいなものを感じました」。福永はそんな風にレースを振り返った。「まさかの銀」だった。日本記録でもある福永の持ちタイム(47秒79)は今大会の出場選手中トップ。前日の予選でも49秒14で走り、全体9人中1位で決勝に進出しており、金メダルが大いに期待された。最終コーナーを過ぎてこのまま圧勝かと思われたが、後方から猛追してきたマックス・マルツィラーにわずかにかわされてしまった向かえた決勝レース。福永は号砲に素早く反応してトップに立つと、大きなストライドでリードを広げ、最終コーナーにも先頭で入った。このまま圧勝かと思いきや、後方からドイツのマックス・マルツィラーが猛追。二人が並ぶようにフィニッシュした。一瞬おいて、電光表示板に掲示された勝者の名前はマルツィラー。0.03秒差で福永は敗れた。「追い上げてきているのは、たぶんラスト50mもないぐらいのところで、やっと気づいたかと思います。そして、少し前に出られたかなと感じて抜き返そうとしましたが、足りなかった。最後は正直、どっちが勝ったのか分からなくて、カメラマンなどの動きで、相手が勝ったんだな、と……」決勝のレースプランは現在の状態や予選の通過タイムなどを考慮して、「前半をあまり行きすぎず、タイムより勝負を意識しよう」と決めていた。そのプラン自体は、「だいたい実行できたかなと思います」。しかし、結果だけは想定外だった。福永にとって、この銀メダルは想定外の結果だったといえるだろう今季はスタートから体調不良や足首の捻挫などもあり、「足踏みしたり、後退したり」、なかなか調子が上がらなかった。福永はスプリント系など複数種目に取り組むマルチアスリートで、今季から自転車競技にも挑戦。さまざまなトレーニングの相乗効果で総合的な強化に取り組んできた。すでに100mや走り幅跳びでは自己ベストを更新し、手応えも感じていた。だが、昨年のパリパラリンピックで銀メダルを獲得した400mについては「うまく走れないことが、ずっと続いてしまいました」という。練習拠点や環境の変化もあり、練習量が少なくなっていることは感じていたが、「なんとかなるだろう」と高をくくっていた。もちろん、今大会を一番の目標にし、少なくとも足首の捻挫が治った7、8月からは技術的な部分を中心に磨き、準備してきたつもりだった。福永の陸上競技歴は小学校高学年からと長く、大学時代は10種競技に取り組むなど幅広い経験と実績を重ねてきている。だから、大事な部分だけしっかり押さえておけば、うまくいくだろうとも考えていた。だが、「ごまかせませんでした」と肩を落とした。今季はこれが最終戦の予定だという福永。来季に向けて、「400mでは何がダメだったのかをまずは見つけたいです」と話す。3年後のロサンゼルスパラリンピックに向け、この「敗戦」はステップアップの大きな糧になるだろうこれからの最大の目標は、3年後のロサンゼルスパラリンピックでの金メダル獲得だ。「うまくいかなかった理由」を手掛かりに、練習内容や強化策を、一から見直すつもりだ。取材・文/星野恭子 写真/吉村もと
【ニューデリー2025世界パラ陸上: 6日目】新保大和、円盤投げの最終投てきで銀メダルに届くビッグスロー!

【ニューデリー2025世界パラ陸上: 6日目】新保大和、円盤投げの最終投てきで銀メダルに届くビッグスロー!

F37(脳原性まひ)男子円盤投げで、パリパラリンピック4位の悔しさを晴らして銀メダルを獲得した神保大和ニューデリー2025世界パラ陸上競技選手権大会6日目の10月2日、14選手が出場したF37(脳原性まひ)男子円盤投げで、パリパラリンピック4位の新保大和(アシックス)が銀メダルを獲得した。最終6投目で日本新記録となる54m50の渾身の投てきで、5位から2位まで一気に順位を押し上げた。新保は約2週間前の国内大会で自身のもつ日本記録を1m10更新する日本新記録(53m23)を樹立したばかりだが、この大舞台のラストチャンスで、さらに1m37も伸ばした。新保は、1投目に48m78を投げ、全体4位につけると、2投目も49m66と伸ばす。3回目はファウルだったが、上位8人だけが進める4投目以降に全体4位で進んだ。その後も4投目に49m89、5投目に50m71と順調に記録を伸ばしたが、順位は4位のまま。なかなかメダル圏内に入れない。6投目に入り、新保よりも先に投げたウズベキスタンの選手が新保を上回ってしまい、新保はわずか10cm差で5位に後退。だが、6投目に放ったビッグスローで新保が抜き返して銀メダルをつかんだ。「良かったというよりも、ホッとした感じがあります。プレッシャーもあったので……」日本やインド国内から駆け付けた約30人の応援団の前で、最後の6投目でビッグスローを決めて神保は声援に応える実は所属先企業を中心に、日本やインド国内から約30人の“応援団”が駆け付けていた。1投ごとに日の丸を振りながら、新保への熱い声援がスタンドに響く。だからこそ、「メダルを獲得して応援に応えたい」という思いも募り、緊張感も少しずつ増していた。また、今大会ではインド入り後、少し体調を崩してしまったこともあり、この日も「力んだり、円盤が遅れ気味になったりして、5投目くらいまではちょっと良くない流れでした」という。だが、順位を落として迎えた最終6投目は逆に、「とにかく、スムーズに円盤を回すことだけ意識して、『しっかりベストを投げる』くらいの気持ちでいこう」。リラックスした気持ちでサークルを回ると、絶好のタイミングで新保の手から放たれた円盤は、応援団のエールの後押しにも乗って、大きな放物線を描いたのだった。「最後は、うまいこと、はまったかな」ここ数年、投てき技術の改良に打ち込んできた成果もあり、今季は好調を維持している2000年生まれの新保は着実にステップアップしてきた。中学時代から投てき競技をはじめ、高校生だった2017年、「世界パラ陸上競技ジュニア選手権大会」に出場。円盤投げと砲丸投げで二冠に輝く。大学入学後、初めて出場した2023年のパリ世界選手権で4位入賞、そして、2024年神戸大会では銅、今回が銀と、世界での存在感を増している。今季は自己新を連発するなど好調の新保。その要因に、「量より質のトレーニング」を挙げた。以前は体重や筋量を増やすなどフィィジカル強化に重きを置いてきたが、社会人になってからはある程度、身体ができてきたこともあり、テクニック面の強化にも力を入れて取り組んでいる。とくにここ数年は投てき技術の改良に打ち込んできた。円盤投げは投てきサークル内で1回転半して円盤を放つが、パワーだけでは思うようには飛ばない。新保は円盤がスムーズに回ることを意識して一連の動きを見直したことが、今季の好結果につながっていると話す。「今回は1位を取れるかなと思っていました。でも、新しい選手も増えてきているので、自分もちょっと負けられないなという思いがあります」さらなる飛躍のためには、技術の安定性や再現性を高め、精度をあげることが必要だ。 「まずは今回の記録がミニマムのラインになるぐらいまでに持ってきて、1発を出したら上位に上がれるようにすること。それが、次への課題です」銀メダルを手にした神保は「金メダルに届くまでもっと頑張りたい」と先を見据えた表彰式後、銀メダルを首に笑顔の新保に改めて感想を聞いた。メダルを手に取ってまじまじと見つめた新保は、「神戸(大会のメダル)よりいい色になりましたが、まだまだ満足しちゃダメです。金メダルに届くまで、もっと頑張りたいです」。表情がぐっと、引き締まった。取材・文/星野恭子 写真/吉村もと<ニューデリー2025世界パラ陸上競技選手権大会>日本パラ陸上競技連盟HP: https://para-ath.org/new_delhi_world_para_2025 (日本代表選手情報や競技スケジュールなど)ライブ配信チャンネル: https://www.youtube.com/@paralympics/streams?app=desktop (インドとの時差: 日本時間の―3時間半)
【ニューデリー2025世界パラ陸上:5日目】日本勢がメダルラッシュ! 車いす400mで表彰台を独占。走り幅跳びで福永凌太が銀

【ニューデリー2025世界パラ陸上:5日目】日本勢がメダルラッシュ! 車いす400mで表彰台を独占。走り幅跳びで福永凌太が銀

大会中日となる10月1日、日本チームはメダルラッシュに沸いた。T52(車いす)男子400m決勝で、佐藤友祈(モリサワ)が大会記録にあと100分2秒に迫る54秒21の好タイムで金メダルを獲得した。また、上与那原寛和(SMBC日興証券)が59秒55で2位、伊藤智也(バイエル薬品)が0秒11差の3位に入り、日本の3選手が金銀銅メダルを独占。さらに、T13(視覚障害)男子走り幅跳びで、福永凌太(日本体育大学)が2回目にマークした7m04(+0.4)で銀メダルを獲得した。これで、日本チームの獲得メダル数は合計7個(金3、銀3、銅1)となり、大会前に掲げた、「金1個を含む10個獲得」のチーム目標達成に向け、大きく前進した。T52(車いす)男子400mでは日本勢がメダルを独占。左から上与那原寛和(銀)、佐藤友祈(金)、伊藤智也(銅)T13(視覚障害)男子走り幅跳びで、銀メダルを獲得した福永凌太三冠を狙う佐藤がぶっちぎりの金メダル目標としていた52秒台を出して自己ベスト更新には届かなかったが、佐藤は第一人者の実力を見せつけて金メダルに輝いたT52男子400m決勝には予選を突破した8選手が出場したが、前日の予選タイムでも佐藤が全体1位、伊藤が同2位、上与那原が同3位と日本勢が上位を独占していた。決勝では号砲から佐藤が飛び出し、トップを独走。後続を5秒以上も引き離してフィニッシュした。「目標としていたのは52秒台を出して自己ベスト更新だったので、届かずに残念。でも、しっかり勝ち切ることができてよかったです。インド入り直前に背中を痛めたのですが、トレーナーさんたちのおかげで痛みを持ち越さず、昨日の予選でも、ある程度余力を残した状態でゴールできました」52秒台を狙って「前半突っ込みすぎた」ことで、ラスト100mは「少しバテた」そうだが、「突っ込んでいたからこそ、タイムをまとめることができました」と前向きにとらえた。佐藤はこのあと、100m(10月4日)、1500m(5日)にもエントリーしており、「どちらも金を狙って行きたいです」と意気込む。400mと1500mでの二冠は東京パラリンピックなど何度か達成しているが、100mは2022年頃から取り組み始めたばかり。パリパラリンピックの実施種目からT52の1500mが除外されたためで、まだ国際試合歴も少ない。そのため、「100mはこのメンツのなかで、自分がどこまで通用するかも気になっています」。初の三冠達成なるか、注目だ。ゴール前の激しい争いの末、上与那原(左)が伊藤(右)をわずかにかわしてフィニッシュ、上与那原が銀、伊藤が銅に上与那原と伊藤は一人旅の佐藤を追いながら、互いに競り合うようにして最終コーナーに入り、それぞれラストスパート。わずかに先着した上与那原は、「先輩(伊藤)を差し置いていけるとは思わず、銅メダルだと思っていましたが、こういう結果になって嬉しいです」。前日の予選で好感触を得ていたと言い、「全力で入って、後半に少し調整するというプランがうまくいって、(ラストも)減速せずにいけたのかな」と分析した。上与那原はこのあと、最終日の1500m決勝に出場予定。「1つずつ、つながっていけばいいですね」と見据えた。伊藤は、「昨日からこのトラックとは相性が悪くて、全然伸びてこなかったですね。残念でしたけど、メダルに届いたから、よかったです」。同じ3人での表彰台独占は、「2019年ドバイ大会の1500m以来ですね。気持ちいいもんですね」伊藤はこの後、100m(4日)に出場予定で、より高みを目指す。福永は、惜しくも銀2回目に記録した7m04で2大会ぶりの銀メダルを獲得した福永福永にとっては「自分の技術の成長を感じた」と、手応えのある銀メダルとなった同日に行われたT13(視覚障害)男子走り幅跳び決勝で2位に入った福永は世界選手権デビュー戦だった2023年のパリ大会でも銀を獲得している。1回目はファウルだったが、2回目で7m04をマークして全体トップに。しかし、スペインの選手が5回目に7m11と記録を伸ばし、福永を逆転。福永の6回目は6m81で、再逆転はならなかった。福永は今季、走り幅跳びの初戦は6月のジャパンパラ競技大会(仙台市)で7m08を跳んで日本新記録を樹立して以来、2戦目が今大会だった。「仙台で自己ベストを出した流れでここに来てしまったので、(今日は)正直、跳んでみないとどうなるかなと思っていました。でも、(仙台で)新しくつかんだ感覚を今日もしっかりとできたかなとは感じています。ファウルも多かった(1回目、3回目)ですが、アベレージもだいぶ上がってるかなと思いますし、助走もしっかりと感覚よく走れていたので、自分の技術の成長を感じた試合になりました」と手応えを語った。一方で、4回目以降の試技では6m台がつづいて記録を伸ばせず、「まとめきれませんでした。もう少しうまく試合運びができたら」と反省も口にした。福永はこの後、400m決勝(3日)にも出場予定だ。「いい形でまとめられるよう準備したいです」。パリパラリンピックでは銀メダルを獲得している種目で、世界選手権では2023年パリ大会以来となる頂点を目指す。取材・文/星野恭子 写真/吉村もと<ニューデリー2025世界パラ陸上競技選手権大会>日本パラ陸上競技連盟HP: https://para-ath.org/new_delhi_world_para_2025 (日本代表選手情報や競技スケジュールなど)ライブ配信チャンネル: https://www.youtube.com/@paralympics/streams?app=desktop (インドとの時差: 日本時間の―3時間半)
【ニューデリー2025世界パラ陸上:4日目】川上秀太、100mで自身初の金メダル!さらなる飛躍へ

【ニューデリー2025世界パラ陸上:4日目】川上秀太、100mで自身初の金メダル!さらなる飛躍へ

「ニューデリー2025世界パラ陸上選手権」は4日目となる9月30日、T13(視覚障害)男子100m決勝で、パリパラリンピック銅の川上秀太(アスピカ)が10秒91(−1.3)で金メダルを獲得した。川上は前回の2024年神戸大会で銀、同年のパリパラリンピックでは銅メダルを獲得しており、世界レベルの大会連続3個目で最も輝く色のメダルを手にした。チャド・ぺリス(オーストラリア、写真左)の猛追を0.05秒差でかわし金メダルを獲得した川上(中)スタートが2回もやり直しになるイレギュラーな状況にも、集中力を切らすことはなかった。3回目のスタートでも反応よく、4レーンから飛び出すと、すぐさまトップに立つ。終盤、6レーンから2位に入ったオーストラリアのチャド・ぺリスに猛追されるも0.05秒差で振り切り、右手で小さくガッツポーズしながらフィニッシュラインを駆け抜けた。「コーチとここまでやってきた練習の成果を、まずは出すということを目標にしていました。(その成果を)中盤まで維持できたので金メダルが獲れたと思います。(ぺリスが)迫ってきているのはわかって、危ないなと思いましたが、そこは力みすぎず、しっかり自分の走りに集中できました」中学時代から陸上競技に取り組み、社会人になった2021年から健常者のレースと並行してパラ陸上にも出場するようになり、経験豊富な川上は、スタートのやり直しにも動じなかった。フライングなどは「よくあること」であり、集中が切れることはなく、「僕は僕の走りをするだけ」と思っていた。「(やり直し後の)2本目は自分の課題である2次加速のところを確認したいなと思い、その流れで(やり直しが告げられて以降も)少しだけ長めに走りました」。トラブルをむしろ、好機ととらえられる余裕さえあったという。川上の目標はロサンゼルスパラリンピックでの金。そのためには世界選手権、パラリンピックで2連敗中のアルジェリアのスカンデルジャミル・アスマニ(今回は不出場)を倒さなければならないとはいえ、「今回は金を獲れる予定ではなかった」と話す。2028年のロサンゼルスパラリンピックに、「チャンピオンとして挑むこと」を目標の一つに掲げている川上。だが、実際にチャンピオンになるのはロス大会前年の世界選手権を想定していたからだ。今回の優勝により、「前倒しではありますが、目標をひとつクリアできました。あとはアルジェリアのアスマニ選手が出てきたレースで勝ち切りたい」と力を込めた。アスマニとはアルジェリアのスカンデルジャミル・アスマニのことで、川上は昨年、神戸で行われた世界選手権とパリパラリンピックで顔を合わせたが、両レースとも優勝したのはアスマニだった。今大会にはアスマニは出場しておらず、「次こそは」の思いは強い。そのために今、取り組んでいるのはフォームの改善だ。ストライドの大きなフォームが持ち味だが、ともすると、オーバーストライド気味になる点が課題だという。より速く走るために腕を後ろに引きすぎないフォームで、推進力を上げスピードアップにつなげることを目指す。「そういった点を追求していくことで、より自分自身の走りが磨かれていくと思います」レース翌日のメダルセレモニーでようやく金メダルの実感がわいてきたという川上レース翌日、表彰式を終えた川上は、「試合後に周囲から、『全部の色が揃ったね』と言われたりして、ようやく実感がわいてきました。インドで『君が代』を聴けると思っていなかったので、嬉しいです」と笑顔を見せた。さらなる目標は来年10月の愛知・名古屋アジアパラ競技大会で、初のアジア王者となること。そして、おそらくトップランナーたちが顔を揃えるだろう2027年の世界選手権で金メダルを獲り、「世界王者」となること。さらには、「次はもっとタイムを上げて、自分の走りをもっと世界に広めたい」。掲げる目標を一つひとつ達成し、より輝きを増した金メダルをつかみにいく。取材・文/星野恭子 写真/吉村もと<ニューデリー2025世界パラ陸上競技選手権大会>日本パラ陸上競技連盟HP: https://para-ath.org/new_delhi_world_para_2025 (日本代表選手情報や競技スケジュールなど)ライブ配信チャンネル: https://www.youtube.com/@paralympics/streams?app=desktop (インドとの時差: 日本時間の―3時間半)
【ニューデリー2025世界パラ陸上:2日目】新星誕生! 競技歴約3年の久野竜太朗が男子100mT12(視覚障害)で銀メダル

【ニューデリー2025世界パラ陸上:2日目】新星誕生! 競技歴約3年の久野竜太朗が男子100mT12(視覚障害)で銀メダル

「ニューデリー2025パラ陸上世界選手権」は大会2日目の9月28日、T12(視覚障害)男子100m決勝で、世界選手権初出場の久野竜太朗(シンプレクス)が11秒01(−0.3)のタイムで銀メダルを獲得した。本格的に陸上競技を始めてまだ3年ほどという新星が、初めての大舞台でその才能を一気に開花させた。世界パラ陸上に初出場で銀メダル獲得という快挙を達成した久野竜太朗。この名前、覚えておこう!「支えてくれた方々にめちゃくちゃ感謝を伝えたいです。メダル獲得はうれしいと言いたいですが、悔しい。金メダルを獲れるように鍛え直したいですね。ロサンゼルスパラリンピックを目指してもっと練習し、そこで金メダルを獲得したいです」今大会前までに10秒99の自己ベストを持っていた久野は、27日に行われた今大会の予選で10秒94をたたき出した。これは、T12クラスの日本新記録に相当する好タイムで、準決勝ではさらに、アジア記録タイに相当する10秒91まで伸ばす快走を見せた。準決勝でアジア記録タイに相当する10秒91まで記録を伸ばした久野の力強い走り決勝ではタイムを落としたが、「前を走る選手を見て固くなってしまいました。試合前に緊張は自覚していませんでしたが、走ってみたら思うような走りができず、崩れてしまいました。プレッシャーを無自覚に感じていたのだと思います。こういう場面の経験だったり、細かい技術を一からやり直さないといけない。今後の課題です」と振り返り、前を向いた。久野は、日本パラ陸上競技連盟が若い選手や競技歴の浅い選手に国際舞台を経験する機会を与えようと、追加で設けた「若手枠」によって代表切符をつかんでいた。これは22歳以下、または2022年以降に選手登録した選手を対象とし、代表選考標準記録を少し下げたもの。久野はこのチャンスをしっかりとものにした形だ。先天的な目の難病で進行性の網膜色素変性症による弱視の久野はT13クラスで競技をしていたが、今大会前に初めて国際クラス分けを受けると、より重度なT12クラスと判定された。その後の予選で前述の通り、好走し、「メンタルをぶらすことなく、自分のレースができました」と力強かった。クラスが変更されたばかりのため、ルール上、日本記録やアジア記録としては認定されないが、大きな可能性と伸びしろを感じさせる結果を残したことは間違いない。1999年生まれの久野は高校卒業後、社会人となってから急速に病気が進行し、視力も低下。落ち込んだ時期もあったが、将来を考え、視覚支援学校の理療科に進学したことで世界への道が開いた。盲学校には幼稚部から高校まであり、生徒たちは皆、目が見えなくても前向きで、ピアノやさまざまなスポーツにチャレンジする子も多かった。そんな姿に刺激を受けた久野。それまで本格的なスポーツ経験はなかったが、自身もさまざまなパラスポーツに試してみたところ、幼いころから「足は速かった」こともあり、一番手ごたえを感じたのが、陸上競技だった。すぐさま、健常者主体の陸上クラブに入部し、練習方法を教わったり、ともに競い合ったりするなかで、「結果が数字で出るところが楽しいです。走れば走るだけ伸びるわけでもなく、頭を使います。その試行錯誤も楽しいですね」と、どんどん夢中になっていく。2023年に現所属先にアスリート雇用で採用されると練習量が増え、タイムも急速に伸びていった。練習を始めた当初は、「今からじゃ遅いのでは、とか、(小柄な)体格のことを言われたこともありました」と振り返るが、今では「世界で2位」の結果を手にした。背中を押してくれた盲学校の生徒たちには、「いつからでも諦めず、何かを本気でやれば、かなえられるものがあるよと伝えたいです」と言い切った。レース翌日、メダルを受け取って初めて歓びがこみ上げてきたという久野(左)レース翌日の29日に行われた表彰式で実際に銀メダルを手にすると、「昨日は悔しい気持ちのほうが強かったんですけど、こうやってメダルを首にかけてもらったら、めちゃめちゃ嬉しいです」と笑顔を輝かせた。改めて目標をたずねると、表情を引き締め、「正直、金はまだ遠いなと思いました。でも、昨日言った通り、諦めていません。僕の目標は金メダル。もっと技術を磨いて、メンタルも磨いて、伸ばしていきたいです」とうなずいた。初の大舞台で表彰台に立った心境は、「やっとスタートラインに立てたなっていう気持ち。金との差を感じた試合だったので、ここからやっていくぞっていう気持ちです」計り知れないポテンシャルをもつスプリンターは、ここからどれだけの活躍を見せてくれるだろうか。取材・文/星野恭子 写真/吉村もと<ニューデリー2025世界パラ陸上競技選手権大会>日本パラ陸上競技連盟HP: https://para-ath.org/new_delhi_world_para_2025 (日本代表選手情報や競技スケジュールなど)ライブ配信チャンネル: https://www.youtube.com/@paralympics/streams?app=desktop (インドとの時差: 日本時間の―3時間半)
【ニューデリー2025世界パラ陸上:1日目】唐澤剣也が日本勢メダル第1号に。猛暑の中、二人のガイドとともにリベンジの金メダル!

【ニューデリー2025世界パラ陸上:1日目】唐澤剣也が日本勢メダル第1号に。猛暑の中、二人のガイドとともにリベンジの金メダル!

盛況だった東京世界陸上の熱気を受け継ぎ、“もう一つの世界陸上”であるパラスリートの祭典、「世界パラ陸上競技選手権大会」が9月27日、インド・ニューデリーで開幕した。107の国と地域から約1300人のトップアスリートが集い、10月5日までの9日間、186種目でメダルを競う。同選手権は12回目で、インドでは初開催。パラ競技単体の大会としては同国で過去最大の規模となる。日本からは日本パラ陸上競技連盟が設定した派遣標準記録を突破した31選手(男子20、女子11)がエントリー。金を含むメダル10個の獲得を目指す日本チームは好スタートを切った。レース前半、唐澤は右側を走る清水ガイドとともに2~3番手の好位置につけてメダルを狙ったT11(視覚障害)男子5000m決勝で唐澤剣也(SUBARU)が15分23秒38で、金メダルを獲得し、今大会日本勢メダル第1号となった。同選手権に2019年ドバイ大会から出場している唐澤は同種目では4大会連続でメダルを獲得している。金メダルは2大会ぶりで、日本チームを大いに勢いづけた。レースには昨年のパリパラリンピックにも出場した8選手が出場。パリ大会の覇者、ブラジルのジュリオセザール・アグリピノドスサントスが号砲から先頭に立ちレースを引っ張るなか、パリ大会銀の唐澤は清水琢馬ガイドと2~3番手の位置に着けて前を追う。勝負どころは3000m手前だった。ペースが落ちだしたアグリピノドスサントスを唐澤が一気に追い抜きトップに立つ。8周目(3200m)を終えたところで、清水ガイドから堀越翔人ガイドに交替すると、さらにペースアップ。2位に入ったパリ銅のブラジル、エウチン・ジャクエスを5秒以上引き離し、歓喜のフィニッシュを駆け抜けた。なお、アグリピノドスサントスは唐澤に抜かれたのちに途中棄権。和田伸也(長瀬産業)は失格した。レース展開について唐澤は、「暑いのでスローになるのではと想定して入ったが、予想通りでした。前半はいい位置で力を使わずに走ることができたので、堀越くんにつなぐ前に先頭に出ました。プラン通りに走れました」と会心のレースを振り返った。昨年のパリパラリンピックでは、アグリピノドスサントスに3秒差で敗れての悔しい銀。銅のジャクエスとも約1秒半の僅差だった。「(二人とも)後半に強く、スピードのある選手なので、そこに対応できるようにスピード強化の練習や段階的に(ペースを)上げていけるような練習を取り入れました」と、リベンジにつなげた。レースは朝9時台だったがすでに蒸し暑く、苦しむ選手も見られたが、唐澤は、「(地元である)群馬県も日本一の気温を叩き出している市町村もあります。あえて暑い時間帯を選んで練習してきました」と、快走への準備は万端だった。レース後のコメントで唐澤は、「ガイドの2人がともに素晴らしいレースをしてくれました。後半は堀越くんがしっかりペースを維持しながら、うまく引いたくれました。(前半の)清水くんも心強い存在で、今大会に臨むにあたっても不安なく臨めたのは彼のおかげです」と両ガイドに感謝した。清水ガイドは2021年春頃から唐澤のガイドを始め、昨年のパリ大会に出場した。「銀メダルという悔しい結果だったので、(唐澤さんは)1年間、すごい必死になって練習してきたと思います。今年6月に(今大会の)ガイドを依頼されたとき、やるからには金メダルを獲らせることを目標にしてきました。唐澤さんがその通りの走りをしてくれました」と称えた。清水も冷静に戦況を読み、プラン通りの展開をアシストした。8周目(3200m)を終えたところで堀越ガイド(左)にチェンジ。さらにペースアップして後続選手を引き離し、見事に金メダルフィニッシュ!堀越ガイドは今年春から唐澤の伴走を務めたばかり。この日が初の国際大会だった。順天堂大学4年だった昨年末、唐澤から声をかけられた際、「興味がある」とガイドになることを快諾。実は当時、箱根駅伝出場後に現役を引退し、卒業後は内定先に就職するつもりだったが一転、今年4月に唐澤の所属先であるSUBARUに「ガイドランナー」として新卒採用された。初の大舞台にも落ち着いた走りで好結果をアシストした堀越は、「前半、(唐澤と清水ガイドが)いい流れを作ってくれました。予定通り先頭で持ってくるということで、僕もしっかり準備をしていましたが、実際に先頭で来たので、とても走りやすかったです」と笑顔。手応えをさらなる進化につなげていく。清水ガイド(左)とは共にパリで悔しい銀を経験した間柄。初の国際大会で伴走した堀越ガイド(右)も含めた3人で抜群のチームワークを発揮し、見事にパリの雪辱を果たしたなお、唐澤は1500mにもエントリーしており、9月29日午後に予選、同30日に決勝が予定されている。「中1日しかありませんが、しっかり準備したいです」。この種目でも23年大会の銀以来、2大会ぶりのメダル獲得に期待がかかる。<ニューデリー2025世界パラ陸上競技選手権大会>日本パラ陸上競技連盟HP: https://para-ath.org/new_delhi_world_para_2025 (日本代表選手情報や競技スケジュールなど)ライブ配信チャンネル: https://www.youtube.com/@paralympics/streams?app=desktop (インドとの時差: 日本時間の―3時間半)取材・文/星野恭子 写真/吉村もと
パラ水泳のレジェンド、河合純一氏がスポーツ庁新長官に就任。JPC委員長後任は三阪洋行氏

パラ水泳のレジェンド、河合純一氏がスポーツ庁新長官に就任。JPC委員長後任は三阪洋行氏

9月19日、文部科学省はスポーツ庁の新しい長官に水泳のパラリンピック金メダリストで日本パラリンピック委員会(JPC)の委員長、河合純一氏を任命すると発表した。河合氏は9月末で任期満了のため退任する現・室伏広治長官の後任として3代目の長官となる。スポーツ庁が新設された2015年以来、長官は初代の鈴木大地氏、2代目の室伏氏ともオリンピックの金メダリストだったが、設置10年の節目に初めて、パラリンピアンがスポーツ庁長官を務めることとなる。スポーツ庁の新長官に就任した河合純一氏河合氏は同日夕方、JPCが開いた会見の中で、「打診されたときに即答はできず、真剣に考えて悩みました。ですが、私がそういう立場になることで、スポーツそのものが障がいの有無を越えて取り組んでいくという国としてのメッセージとして、これほどのものはないと受け止めました。そのために自分の今までの経験が生かせるのならば、頑張るべきではないかと思い、チャレンジするという決断に至りました」と打診を受けるまでの胸の内を説明。さらに、「長官は初代が鈴木さん、現在は室伏さんとオリンピックの著名な方たち。バトンというより、重たいハンマーを受けとった気分ですが、与えられた役割をしっかりと担って取り組みたいです。私はスポーツの価値や魅力はもっともっとあると思っています。そういう部分を皆さんにどう分かりやすく伝えていけるか、考えていきたいと思っています」と重責を担う決意と覚悟を語った。河合氏は静岡県出身の50歳。目の病気による先天性の弱視で、中学3年生頃に視力を完全に失った。水泳は5歳から始め、1992年バルセロナパラリンピックの水泳・視覚障害(全盲)クラスで初出場。以来、2012年のロンドン大会まで、同クラスに6大会連続で出場し、金メダル5個を含む合計21個のメダルを獲得。計21個は日本人選手としては史上最多のメダル獲得数となる。現役生活と並行して、盲学校高等部を卒業後は早稲田大学に進学。卒業後は母校となる静岡県の中学校で社会科の教員も務めた。現役引退後は2016年に日本人として初めてパラリンピック殿堂入りを果たしたほか、日本パラ水泳連盟や日本パラリンピアンズ協会の会長などを歴任。2020年にはJPCの委員長に就任し、東京2020夏季大会、北京2022冬季大会でパラリンピック日本選手団の団長も務めた。河合氏はパラアスリートとしての長い経験と実績を生かし、選手強化や普及のほか、競技環境の整備などを精力的に進め、パラリンピック界のリーダーの一人として存在感を発揮してきた。今後はスポーツ行政のトップとして、より幅広いスポーツの価値をどのように高め、広めていくのか注目される。日本パラスポーツ協会の森和之会長は河合氏のスポーツ長官就任について、「大変嬉しく、同時に誇らしく思っています。河合氏は日本を代表するパラスポーツ界のレジェンドであり、日本のパラスポーツ界発展にリーダーとして大きな貢献を果たしてきました。(長官就任によって)一人でも多くの人が障がい者への理解を深め、パラスポーツを知り、親しむ機会が増え、我々が目指す共生社会を実現するさらなる推進力になると確信しています」と期待感を述べた。車いすラグビーのパラリンピアン、三阪洋行氏がJPC新委員長に日本パラリンピック委員会(JPC)の新委員長に就任した三阪洋行氏。車いすラグビーで3大会連続出場したパラリンピアンだ河合氏のスポーツ庁長官就任を受けてJPCは9月19日、河合氏の後任となるJPCの次の委員長に、車いすラグビー元日本代表の三阪洋行氏を任命したと発表した。10月1日付で就任する。三阪氏は大阪府出身の44歳。高校生の時にラグビー練習中の事故により車いす生活となったが、車いすラグビーと出会い、 わずか4年で日本代表に選出された。パラリンピックには2004年のアテネ大会から3大会連続で出場。2012年ロンドン大会は副主将として4位入賞を牽引。現役引退後の2016年リオデジャネイロ大会では、アシスタントコーチとして日本初となる銅メダル獲得に貢献した。アジアパラリンピック委員会の理事や来年に迫る愛知・名古屋アジア・アジアパラ競技大会組織委員会のアスリート委員会副委員長などを歴任。2021年より日本パラリンピック委員会(JPC)のアスリート委員として多様な活動に関わってきた。JPC委員長就任について三阪氏は、「河合さんの後任が元アスリートであることに意義があると感じています。アスリートが主人公である環境づくりがJPCの仕事であり、アスリートの視点から透明性などを組織に取り入れ、より強固なものにしていきたいです。パラスポーツは支えるスポーツでもあります。アスリートだけでなく、周囲で支える人も活躍できる組織づくりにも尽力したいです」と決意を述べた。パラスポーツ界にとって、今年11月には東京2025デフリンピック、12月にはアジアパラユース競技大会、来年3月にはミラノ・コルティナ2026冬季パラリンピック、同10月には愛知・名古屋アジアパラ競技大会など大きな国際大会が続く。パラスポーツの普及やパラアスリートの強化を担うJPCの委員長として三阪氏は、「東京2020大会を機にパラスポーツの認知は上がりましたが、河合さんの現体制を継承しつつ、アスリートが活躍できる環境づくりを全力で支援していきたいです」と意気込む。また、スポーツ庁長官就任が決まった河合氏に対しては、「河合さんが進めていく政策で、パラスポーツの環境がどれだけ変わっていくのか楽しみに思います。我々も思い切った要望を伝えながら、ともにパラスポーツを通して社会の変革を起こせるような関係性を作っていきたいです」と期待を寄せた。河合氏も、「(JPC委員長として)まだ取りくみたいこともありましたが、頼もしい後任である三阪さんにすべて託したい。私も新しい立場で、パラスポーツの普及振興に携わっていきたいです」と互いにエールを送り合った。左は日本パラスポーツ協会会長の森和之氏文・写真/星野恭子
「生涯ゴールデンスラム」達成の小田凱人が凱旋帰国

「生涯ゴールデンスラム」達成の小田凱人が凱旋帰国

9月2日〜6日、アメリカ・ニューヨークで行われた車いすテニスのグランドスラム大会、全米オープンに出場した小田凱人が、男子シングルス、ダブルスの2冠を達成。全米オープンでのシングルス優勝は初めてで、これにより小田はグランドスラム4大会と、パラリンピック金メダルの全てで優勝した「生涯ゴールデンスラム」を達成した。今回の全米オープンの男子シングルス決勝で対戦したのは、アルゼンチンのグスタボ・フェルナンデス。マッチタイブレークにもつれ込み、一時はフェルナンデスにリードを許し6-9でマッチポイントを先に取られながらも、最後は6-2、3-6、7−6(13-11)で勝ち切った。一方、ダブルスではフェルナンデスと組み、イギリスのアルフィー・ヒューイット/ゴードン・リード組を6-1、2-6、10-6で下して優勝した。所属先の株式会社東海理化の佐藤雅彦副社長から花束を手渡される小田羽田空港に到着した小田の凱旋記者会見が行われた。小田は、生涯ゴールデンスラム達成という偉業について、次のように語った。「虹は雨の後でしか見られません。雨の中でも見られません。全てが過ぎ去った後に虹は見られます。僕にとってニューヨークでの出来事は、そんなものでした。どんなに結果を信じても、夢を願っても人を愛しても、それが叶わない時や愛されない時もあります。自分を信じて、自分のことを愛するまでは。僕は自分のことを信じられなくなったことは一度もありません。僕は自分を愛せなくなったこともありません。だから僕は虹を見られたのだと思っています」なんと、詩的な感想! 一方で、「帰りの飛行機の中で、封印していたお菓子をご褒美に解禁しました」と、19歳らしい一面も。今月27日〜29日には有明テニスの森で木下グループジャパンオープンが開催され、小田も出場する予定だ。日本でのテニスの聖地である有明で、世界一の小田のプレーをぜひ見てほしい。文・写真/宮崎恵理

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「パラスポーツ次世代選手発掘プログラム」参加者募集のお知らせ
IPC総会ロシア・ベラルーシの復権について JPC会長のコメント
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丸大食品株式会社と TEAM JAPANが パートナーシップ契約を締結
パリ2024パラリンピック 閉会式の旗手を務めた木村敬一(水泳)、和田なつき(卓球)のコメント
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