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  佐藤友祈[陸上・車いす] 「金メダル最右翼」の車いすランナー 佐藤友祈が目指す“絶対王者”(前編)

佐藤友祈[陸上・車いす] 「金メダル最右翼」の車いすランナー 佐藤友祈が目指す“絶対王者”(前編)

8月24日にはじまる東京2020パラリンピック。パラスポーツマガジンでは、メダル有力候補の独占インタビューをお届けします。第1回目は陸上競技車いすクラス(T52)の佐藤友祈選手。佐藤選手は2015年、競技歴わずか3年で世界選手権の金・銅メダリストになり、前回のリオパラリンピックでは2つの銀メダルを獲得。「東京パラリンピックの金メダルに最も近い男」といわれるエースへと進化を遂げている佐藤選手の素顔に迫ります!

※この記事は『パラスポーツマガジンVol.8』(2020年12月7日発売)からの転載です。

 「2種目に出場し、世界新で金メダル獲得」――車いすランナー、佐藤友祈が掲げる東京パラリンピックの目標だ。

 「世界記録を更新しての金メダルなら、誰も文句はいえないはず。『勝ち切った』といえますよね」

 一本気な性格が魅力の佐藤は1989年静岡県生まれの31歳。車いすの生活になったのはちょうど10年前だ。突然、脊髄炎を発症し、両脚と左手にまひが残った。一変した生活に失意し、不安にもかられたが、必死に前を向こうとしていた2012年のある日、光が射した。テレビでロンドンパラリンピックを観戦し、車いすを駆って颯爽と走るランナーの姿に心が動いたのだ。

 「僕も、次のパラリンピックに出る!」

 地元の車いす選手を訪ね、競技用車いすも手にした。実際に走ってみて、風を切るスピード感に、ますます魅了された。近隣のロードを中心に走り込むなど自己流の練習を続け、タイムを伸ばした。レースにも出場し、勝負の楽しさも経験した。

 だが、「今のままでは、リオパラリンピックには間に合わない」と焦りも感じた。思い切って14年に、競技環境が充実していると聞いた岡山市に拠点を移すことを決め、パラリンピアン・松永仁志に指導を仰ぐようになった。リオ大会まで残り2年というタイミングだった。

 当時の佐藤を松永は、「車いす操作は粗削りだったが、恵まれた体躯や持久力、何より気持ちの強さに驚いた」と振り返っている。

 その後、当地の職業訓練校を卒業すると、15年9月から松永が所属するグロップサンセリテに入社し、運営する実業団車いす陸上チーム、WORLDACに加入。松永の質の高い指導のもと、一気に世界レベルの才能を開花させた。

 同年10月には初めての日本代表として世界選手権に出場。400メートルで金、1500メートルで銅メダルを獲得し、リオパラリンピックの切符までつかむ。3年前の誓いを自ら実現させたのだ。

 あこがれの舞台では臆することなく挑み、400メートルと1500メートルで決勝に進出。銀メダルを2つ獲得した。トレーニングの成果は出し切れたが、喜びよりも2位という悔しさのほうが大きかったという。立ちはだかったのはアメリカのレイモンド・マーティン。ロンドン大会で四冠に輝いたスターだった。

 「国際大会で初めてコテンパンに負かされました。彼はゴール直前で漕ぐ手をゆるめたんです。でも、全然追いつけませんでした」

(文中敬称略 後編へ続く)

PROFILE

さとう・ともき/1989年9月8日、静岡県藤枝市生まれ。岡山市在住。WORLD-AC所属。脊髄炎が原因で21歳から車いす生活になり、陸上競技を始める。2016年リオパラリンピックで2種目の銀メダリストに。世界選手権は2015年から3大会でメダル6個(金5、銅1)を獲得。2020年10月現在、T52クラスの4種目(400m、800m、1500m、5000m)の世界記録保持者。

取材・文/星野恭子 写真/吉村もと



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