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  佐藤友祈[陸上・車いす] 「金メダル最右翼」の車いすランナー 佐藤友祈が目指す“絶対王者”(後編)

佐藤友祈[陸上・車いす] 「金メダル最右翼」の車いすランナー 佐藤友祈が目指す“絶対王者”(後編)

8月24日にはじまる東京2020パラリンピック。

陸上競技車いすクラス(T52)の佐藤友祈選手の独占インタビュー・後編です。

※この記事は『パラスポーツマガジンVol.8』(2020年12月7日発売)からの転載です。

4年スパンで、さらなる高みへ

 すぐに次の目標ができた。「東京パラでの打倒マーティン」だ。そうして、4年スパンの強化プランがスタートした。

 1年後、自身2度目の世界選手権に出場した佐藤は、400メートルと1500メートルを制した。しかも、リオで敗れたマーティンに、先着しての勝利だった。だが、手ごたえはあったものの、スカッとしなかった。

 「パラリンピック翌年だから、マーティンもベストではなかったのでは」という声が聞こえてきたからだ。「悔しさ」がまた、佐藤の闘志に新たな火をつけた。「世界最高峰のパラリンピックで勝つ。世界記録も出して、誰にも文句をいわせない」

 練習にもいっそう身が入った。松永作成のメニューを着実にこなし、もとから武器だった後半の加速力に磨きをかけ、左手のまひにより苦手としたスタートダッシュも漕ぎ方や体の動きの工夫で少しずつ改善させていった。

 努力は結果に表れた。強化プラン2年目にはマーティンが持っていた400メートルと1500メートルの世界記録を塗り替えた。国内大会の1日で2種目、競り合う相手もいない状況で樹立した新記録は圧倒的な地力を証明し、大きな自信にもなった。19年秋の世界選手権でもなんなく2勝し、東京大会の代表内定も早々に決めた。

 

コロナ禍でも揺るがない日常

 4年越しの雪辱がいよいよ見えてきた20年春、コロナ禍に見舞われた。大会の1年延期が決まったときに胸によぎったのはただ、「残念」という思いだった。今夏にピークが来るように、4年スパンで心身を磨き上げ、あとは発揮するだけの段階に入っていたからだ。

 とはいえ、大きな動揺はなかったと言い切る。感染は世界的に拡大し、終息も一向に見えないなか、薄々覚悟はしていた。自分では何も変えることができない事態だけに、「仕方ない。パラが中止でなくてよかった」と、淡々と受け止め、ただ前だけを見据えた。

 4月に入り、5月下旬に開催予定だった日本選手権の9月への延期が発表されたことを受け、この大会を「仮想東京パラ」と位置付け、トレーニングを続けた。幸い、拠点とする岡山市では感染者が少なく、陸上競技場の閉鎖も5月の連休前後約2週間だけだった。十分な感染防止対策を講じたうえで、ほぼ通常どおりの練習ができ、一般道やチーム専用のジムで走り込みや体作りに励んだ。

 8月には北海道で約10日間のチーム合宿に参加。大会2週間前からは狙いどおり体調も上向いていった。そうして迎えた9月の日本選手権。台風の影響で雨や風に阻まれ、2種目ともベストには届かなかったが、悪くないタイムで気持ちよく走ることができた。トレーニング内容や組み立ての的確さを確認でき、なかでも、9月の大会にピークを合わせる練習の流れや調整力をシミュレーションできたことは大きな収穫だった。

 「今のメニューをこなしていけば、大事なレースの前にスイッチを切り替えられるとわかりました。あと1年繰り返して精度を高めたいし、悪天候にも左右されず記録を出せる絶対的な強さも身につけたい」

 

大舞台に寄せる使命感と期待

 金メダル候補と呼ばれることについて佐藤は、「心地いい」ときっぱり。

 「いい練習ができているし、タイムもコンスタントに伸ばせています。このまま継続すれば、結果を出せるという自信があるので、プレッシャーにはなりません」

 その境地はレースでも同様で、スタート前に、「レーンを踏まないか」「他選手と接触しないか」といったアクシデントへの緊張感はあっても、プレッシャーを感じたことはないという。たとえスタートで出遅れても、焦らずにしっかり漕いでスピードを乗せていけば、「問題なく、勝てる」。その自信を裏打ちしているのが、日々の練習だ。東京パラの延期はいい練習を重ね強くなれる時間がもう1年増えたと、プラスにとらえている。

 あらためて東京大会への抱負を聞くと、「多くの選手や関係者が心待ちにしている大会。しっかりトレーニングを積んで、メダル有力選手が取りこぼさないようにしなければ。それができて初めて、『東京パラが成功した』といえると思います」

 そんな使命感も抱きながら、「世界新で金メダル」を達成すべく、佐藤は今日も車いすを漕ぐ手に力をこめる。

 「来年の大会を、ぜひ楽しみに待っていてください」

PROFILE

さとう・ともき/1989年9月8日、静岡県藤枝市生まれ。岡山市在住。WORLD-AC所属。脊髄炎が原因で21歳から車いす生活になり、陸上競技を始める。2016年リオパラリンピックで2種目の銀メダリストに。世界選手権は2015年から3大会でメダル6個(金5、銅1)を獲得。2020年10月現在、T52クラスの4種目(400m、800m、1500m、5000m)の世界記録保持者。

取材・文/星野恭子 写真/吉村もと

 



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