国枝慎吾(車いすテニス)×藤本怜央(車いすバスケットボール) 同い年の二人がぶっちゃけトーク ―後編―
国枝慎吾と藤本怜央。生まれ年は1年違うが、いわゆる同級生。ともに、2004年アテネでパラリンピックデビューを果たし、東京2020大会まで5大会連続出場して日本のパラスポーツを牽引してきた。「怜央(レオ)くん」「シンゴ」と呼び合う2人が語る、今、ここから――。(前編より続く)
車いすバスケの動画を投稿したら、パトリック・アンダーソンから連絡きたよ。「オレがシンゴのチームに入る」って(国枝)
――国枝さんは、現役引退直後から車いすバスケットボールを楽しんでいらっしゃるとか。何か、きっかけがありましたか。
国枝 子どもの頃からやってみたかったスポーツだったから、引退してやっとできるようになったという感じです。
藤本 シンゴが引退してすぐに「バスケを始めたんだけど、シュートが入らないから教えて」って連絡がきたんだよね。
国枝 自分の動画を撮って送ってね。
藤本 それで自分のシュート動画とか送って、こんなところに気をつけてみて、とかアドバイスを送ったの。
国枝 怜央くんが帰国するタイミングで一緒にバスケをしたいという話になって、成田空港から直接体育館に来てもらいました。でも、まだまだ車いすバスケはちんぷんかんぶんで、わからないことばっかりだよ。
藤本 いや、すごく上手いよ!
国枝 バスケのボキャブラリーについていけてない。「ピックかけろ」とか「クロス」とか言われて、何?何?って(笑)。
――今日は反対にTTCで藤本選手が初めて国枝さんの指南を受けて車いすテニスを経験されました。いかがでしたか。
藤本 いやあ、テニスって繊細なスポーツだよね。手首の角度とか、バスケットをやっている時には気にしたことなかったところがすごく気になる。
国枝 いや、あれだけいいスピンをかけられるなんて、センスあるよ、絶対!
藤本 あんな小さな球を打つのも大変だけど、ラケット持ったまま車いすを操作するのも超人的だよ。さっきは、受けやすいところにボールを出してくけど、実際は前後左右にボールを振られるわけでしょう。
国枝 車いすテニスの場合は、ずっと動いているよ。
藤本 それって、相手の出方や球のコースを読んで、予測して動いているんだよね。
国枝 たった1回で本質を理解しているのがすごいよ。
藤本 以前、車いすテニスをやっていた人を集めて新しいバスケチームを作るとか、言っていたじゃない。
国枝 実は(パトリック)アンダーソンから連絡もらったんだよね、オレがシンゴのチームに入るよって。
藤本 マジ!? そんなこと言うのはシンゴだけだよ。
国枝 3、4月ごろかな。SNSでバスケの動画を投稿したら連絡が来て、日本でプレーするぞって。それで天皇杯のスケジュールとかすぐに送ったんだけど、その後はぱったり、連絡が途絶えた(笑)。
車いすバスケのチームを作って車いすテニスのダブルスに挑戦しよう!
藤本 オレも、車いすテニスやってみたら、すごく楽しかったな。どう、ダブルスとか?
国枝 やる? いいね! 怜央くん、前にいて圧かけてくれればいいから。
藤本 めちゃくちゃ鍛えてくれていいです!
国枝 それが実現したら、またテニスが楽しくなりそうだよ。
――国枝さんには現役時代、「オレは最強だ!」という自分を奮い立たせる大切なキーワードがありました。藤本選手には、たとえばフリースローの時などに自分に言い聞かせるような言葉など、あるのでしょうか。
藤本 ない。オレ、何も考えない。試合している時って、音が聞こえてないの。
国枝 え、それって最強!
藤本 フリースローだけじゃなくて、シュートを打つ場面で毎回、なんの音も聞こえてない。ただリングを見て、そこに中指を揃える。1秒あればシュートは打てるって思ってるからプレッシャーはないんだ。
国枝 それはすごい。調子が悪い時もあるわけじゃない。
藤本 もちろんシュートを外す時はあるけど、もうずっと前からそういうマインドでプレーしてる。車いすバスケットはチームスポーツだから、その日、その試合でのヒーローはそれぞれ変わったりするよね。オレ一人でプレーしているわけじゃないというのが逆に強みになる。
国枝 ほう。すげぇ。
藤本 チームメイトを助けるし、助けられているんだよね。みんなの調子が良くても、ちょっとフィーリングがズレると、負けたりする。でも、自分がコートの中で崩れることは、ほぼないと思ってるんだ。
国枝 音も聞こえず考えずにプレーできるって、強い。オレは、コートの中では、常に次の展開、状況判断、いろんなことを考えながらプレーしていたよ。
藤本 オレ、もしテニスがうまくなっても、シングルスはやりたくないなあ(笑)。ミスしたら負けるとか、これ決めたら勝つとか、できそうもないや。
国枝 うん、勝ち切るほうがむずかしいね。
――車いすテニスでは、小田凱人選手という若いヒーローが誕生して、一気に世界ランキング1位に上り詰めています。車いすバスケットボールでは次世代選手たちについて、どんなバトンを渡したいと思っていますか。
藤本 みんな、すごいし、みんななんとかしてやりたいという気持ちがあるんだけど…。オレは赤石(竜我)。日本がギリギリの勝負のところに入ったら、赤石がキーになると思ってる。赤石が起爆剤になったら、東京の時よりももっと強いチームになるんじゃないかな。
国枝 それは、本人に伝えたりしたの。
藤本 7月の合宿の最後に、チームが強くなるためにはお前がやんなきゃダメだよって。オレ、やりますって、目をギラギラさせて話を聞いてたよ。
国枝 スポーツは循環していかないと、発展しない。僕にとっては、齋田(悟司)さんが同じような存在だったから。
藤本 オレも大島(朋彦)さん。
国枝 先輩たちから受けたバトンが確実に次に渡っているよね。それは引退して、なお一層、感じるようになった。
藤本 そうそう、自分が引退したら、2人で車いすバスケットのチームを作って、車いすテニスのダブルスを始めようよ!
国枝 いいね! 楽しみだ。
藤本怜央(ふじもと・れお):右/1983年9月22日、静岡県生まれ、宮城MAX/RSV Lahn-Dill所属。4.5クラス。小学3年の時に交通事故で右足の膝下を切断。小学校時代は義足でサッカーを、中学・高校時代には一般のバスケットボールに熱中した。高校時代に車いすバスケの存在を知り、スピードに魅せられて転向。2004年アテネパラリンピックに日本代表として初出場し、2020東京大会まで5大会連続出場。東京パラリンピックでは悲願の銀メダルを獲得した。
国枝慎吾(くにえだ・しんご):左/1984年2月21日、千葉県生まれ。ユニクロ所属。9歳で脊髄腫瘍となり、11歳で車いすテニスを始める。2004年アテネパラリンピックに初出場し、ダブルスで金メダル。06年アジア人として初の世界ランキング1位に。08年北京、12年ロンドンパラリンピックシングルス2連覇、さらに東京2020大会ではシングルスで3度目の金メダルを獲得。22年ウインブルドンで優勝し、生涯ゴールデンスラムを達成。23年1月、世界ランキング1位で現役を引退した。
取材・文/宮崎恵理 写真/吉村もと 取材協力/吉田記念テニス研修センター(TTC)
※この記事は『パラスポーツマガジンvol.13』(2023年9月27日発刊)から転載したものです(一部修正あり)。表記などは取材時のものですのでご了承ください。