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  自分の水泳を追求する。パリ2024パラリンピックに挑む木村敬一(水泳)

自分の水泳を追求する。パリ2024パラリンピックに挑む木村敬一(水泳)

3月9、10日行われたパラ水泳春季チャレンジレースでパリ2024パラリンピック日本代表推薦選手に選ばれ、代表に内定した木村敬一。東京2020大会で悲願の金メダルを獲得後、昨年から五輪メダリストの星奈津美さんをバタフライのフォーム指導アドバイザーに迎えてさらなる進化を目指している。練習を訪ね、近況とパリ大会への想いなどを聞いた。

パラ水泳春季チャレンジレースでの木村敬一のバタフライの泳ぎ。代表内定を獲得した

東京で目標を達成。次に見つめるものとは

――木村選手は、東京パラリンピックでご自身が「人生最大の目標」と位置付けていた金メダルを獲得しました。大会直後、金メダル獲得を上回る目標が見つからないとおっしゃっていましたが、パリ大会へ向け、どのように気持ちを切り替えていったのですか。

木村敬一(以下、木村) 目標として、もしかしたら上回ってはいないかもしれないですけど、水泳を続けていく中で、まだやれていないことがいろいろあるなって思っていました。せっかくここまで水泳をしてきたので、やれることがある以上はやってみたいなっていう。

――「やれること」とは具体的に何ですか。

木村 泳ぎの技術的な進歩ですね。今までは本当にどうにか自分のできる限りの体力練習の中で、フィジカルを強くして、強くなっていこうってことをやっていましたけど。それ以外にも泳ぎの技術のところで変えられるところがまだまだあって、それが伸びしろだっていろいろな人から言ってもらえたので。自分でも、それはまだできていないところかなと。

――パラリンピックのメダル云々ではなく、自分の水泳に対してということですかね。そんな中で、長年タッグを組んできた寺西真人さんと離れることになりました。木村選手とって大きな出来事だったのではないかなと思うんですけど。

木村 でもまあ、なんていうか、歳ですからね(笑)。そこにそんなに大きな決断をしたつもりは僕にはなくて。大学生になった時やアメリカに拠点を移すことになった時も一緒に練習していたわけではなかったですし。たまたま東京パラリンピックの時は一緒に練習してましたけれども。コロナがなかったら東京の前に日本で練習することはなかったと思いますし。

――なるほど。「寺西さんロス」のようなことはなかった。

木村 そうですね。そこまで大きな出来事じゃなかったかなと思います。もちろん、子供の頃から見てもらっていた先生と、大会前に一緒に練習ができ、金メダルを獲る瞬間も一緒にいられたというのは、忘れられない思い出になりましたし、自分にとってはすごく良かったです。

東京大会では100mバタフライ(S11)で金メダル。子供のころから指導を受け、この日はタッパーを務めた寺西真人さんと抱き合い嗚咽した

五輪メダリストとタッグを組んで目指すパリでの泳ぎ

――現在、五輪メダリストの星奈津美さんにバタフライのフォーム指導を受けていますが、どのような経緯だったのでしょうか。技術的な進歩を狙って、ということかと思うんですけど。

木村 流れとしては、最初は深く関わってもらうという感じじゃなくて、たまたま星さんと食事した時に、まだ何か技術的にやれることがあるらしいんだっていうことを話したら、水中での泳ぎ見てみないとよくわからない、って言われたんです。じゃあ試しに見てもらおうというところから始まって、徐々に練習の回数を重ねていく中で、もうちょっとやれることがあるような気がすると言われました。いろいろ見るのであれば、普段の体力面の練習からどういうことやっているのか知っておきたいと言ってくれたので、それで今の形になっていった感じですね。

――いつ頃から始めたんですか。

木村 ちょうど1年前です。

――実際指導を受けてみて、どんな変化を感じていますか?

木村 指導というよりは、一緒に泳ぎっていうものを考えて、最適なものにしていく作業を手伝ってくれてる感じなんです。星さんは本当に速く泳いでいた人なので、何か感覚的なところで学べることがあればいいなと思いながらやっています。指導をしてもらってるというよりは、一緒に泳ぎを作っていく関係ですかね。

――以前からお知り合いだったんですよね。

木村 そうですね。たまたま年齢が同じで。何度かオリパラ合同のイベントなどでご一緒する機会がありました。

――星さんと一緒に泳ぎを作っていく中で、これまでためになったり、取り入れたりしたポイントはありますか?

木村 いろいろあるのでひとつ挙げるのはなかなか難しいんですけど、最初は本当に姿勢作りのところとか、腕の軌道のこと、手と足のタイミングのこととか。泳ぎにはいろいろな要素があるので、本当にさまざまですね。

――今日は腕のタイミンを練習していたようですが。

木村 腕の、特に水をかききってから空中で戻すところの作業を重点的に練習しました。手を空中で戻している瞬間っていうのは推進力にならないので、そこで余計な力を使わないように。この部分はないに越したことない時間なんで。だからできるだけ力を抜いて処理したい。それをするためには、どのタイミングで空中に上がれば余計な力を使わずに腕を前方へ戻せるか。その練習ですね。

――実際、そうやって泳ぎを作っているのはバタフライだけなんですか?

木村 星さんにはバタフライだけ見てもらっています。自由形の練習もしているんですけど、バタフライと共通するところはあるので、バタフライの練習の取り組みが自由形に生かせているというか、応用できることはたくさんありますね。ここ(※ルネサンス赤羽)のプールは結構あたたかくて底に足も着くので、本当にこうゆっくり泳ぐ練習に適していて、今日のようにしっかりとゆっくり喋りながら時間をかけて技術的な練習ができます。

――これまで自己流というか、自分の感覚を頼りに泳ぎを作ってきた、と以前お聞きしたことがありますが、星さんの指導を受けて変わってきた感覚はありますか? 泳ぎを拝見していると、良い意味で粗削りだったフォームにスムーズな感じが加わってきたように見えましたが。

木村 今日に関して言うと、そういうところはあるのかもしれないですけど、ただ、何か新しいことを習得するというよりは、余計なところを削っていってるような作業なのかもしれないです。

――さて、木村選手にとっては5回目のパラリンピックとなるパリ大会が迫ってきました。目標を教えてください。

木村 やっぱり出る限りは少しでも速く泳ぎたいし、ひとつでも高い順位でいい色のメダルを獲りたいと思います。ただそのためには、バタフライに関して言うと、どうしても大きな変化を出さないとそれができないんだろうなって一方で思うんです。今まで通りの泳ぎをしたところで、おそらく自己ベストを大幅に更新していくっていうのはちょっと難しそうだと思うし、最近のライバルの情勢とかを考えても、普通にやって勝てるわけじゃなさそうっていうのもあるので。バタフライではものすごい大きな変化というか、イノベーションに近いものが起きないとダメだと思っています。その大きな変化を出した泳ぎをしっかりとパリの舞台で発揮できるような準備をしていきたいなって思っています。

――東京では自由形でもメダルを獲りましたが、パリではバタフライを一番重視していると。

木村 はい、そうですね。

――私たちも木村選手の泳ぎに注目し、活躍を期待しています! 

木村 ありがとうございます。がんばります!

東京大会で金メダルを獲得したときの泳ぎは粗削りながら力強さが印象的だった
五輪メダリストの星奈津美さん(左)にバタフライのフォーム指導を受け、自分の泳ぎを追求している。右はコーチの古賀大樹さん

パラとオリのギブ・アンド・テイクを目指して

――一昨年、レガシーハーフマラソンを走りましたよね。

木村 はい。マラソンは初めてだったので、すごくきつかったです!

――見事に完走しました。

木村 どうにか(笑)

――マラソンを走ることでパラスポーツを広めていくという考えもあったのではないかと思いますが、そのあたりはいかがですか。

木村 そうですね。東京でパラリンピックが行われたことで、たくさんの方がパラスポーツに関心を持ってくれるようになったとは思うんですけど、 やっぱり自国で開催するっていうのは最後の切り札というか、これ以上広げる方法はないと思うんです。だからここから先は放っておいたら盛り下がる一方なんですけど、これはある意味しょうがないんですよね。だから私たちとしては、いろいろな話題を作り続けるというか、何かおもしろいことをやり続けないとダメだなっていうふうには思っていて。マラソンがそれに当たるかどうかはわからないんですけど、でもやっぱり東京が最ピークだったって終わるのはあまりにも寂しいことなので、しっかりとこの先もひとつのおもしろいスポーツとしてあり続けるためには、 何かしらの工夫を続けていかないといけないんだろうなと思っています。

――パラスポーツをもっと普及してくために、考えていることはありますか?

木村 ちょっと思っているのは、今自分はこうやって普通に水泳をしているだけですけど、星さんのようなオリンピック選手が加わってくれるっていうのは、ひとつの競技スポーツとして時間が進んでいる現れだと思うんです。だから、そういう人の力を借りるのもひとつの方法なんだろうなと思ってます。

――オリとパラの融合。

木村 融合まではまだまだ。今は、協力ですかね。パラからオリに対しても何かしらのメリットを出せれば融合になるんでしょうけど、今のところ圧倒的にパラが恩恵受け受けまくっていますね。ギブ・アンド・テイクになってないない感じです。もうちょっとパラの方もオリンピック選手たちに対して、少しでも有益なものを提供できないとダメですね。

――そういう役割を木村選手が果たしてくれると、パラスポーツがもっと発展していくと思いますので期待しています。本日はありがとうございました。

木村敬一(きむら・けいいち):右/1990年、滋賀県生まれ。増殖性硝子体網膜症により2歳で視力を失う。小学4年で水泳を始め、筑波大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚支援学校)に進学し、水泳部に所属。2008年、高校3年で北京パラリンピックに初出場、12年ロンドン大会では100m平泳で銀、100mバタフライで銅メダル。16年リオ大会では、50m自由形、100mバタフライで銀、100m平泳、100m自由形で銅メダルを獲得。東京大会では、100mバタフライで金、100m平泳で銀メダルを獲得した。著書に『闇を泳ぐ』(ミライカナイ)がある。

星 奈津美(ほし・なつみ):左/1990年、埼玉県生まれ。1歳半で水泳を始め、バタフライ選手として活躍。高校時代は1、2年時にインターハイ優勝、3年時は日本選手権で高校新記録を出し北京オリンピック日本代表に選ばれた。16歳で患ったバセドウ病と闘いながらもオリンピックに3大会連続出場し、2012年ロンドン、2016年リオでは200mバタフライで2大会連続の銅メダルを獲得。世界水泳では2015年に日本人女子選手として初の金メダルに輝いた。2016年に現役引退後は水泳教室、企業や学校での講演活動やバセドウ病への理解促進など多方面で活動。2023年から木村敬一のフォーム指導アドバイザーを務める。

取材・文/編集部 写真/堀切功(東京パラリンピック)、吉村もと、編集部 協力/東京ガス株式会社、ルネサンス赤羽



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