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雑誌「パラスポーツマガジン」のご紹介
- 「伝えるべきこと」がある 田中時宗さん(その2)
「伝えるべきこと」がある 田中時宗さん(その2)
- 「センターポール創設前にも、自ら経験を語ってきたパラスリートはいました。ウチに所属している堀江選手や官野選手もそんなひとりです。ただ発信の場での具体的なアレンジメント、たとえば学校の講演会に実際に車いすを複数台もち込むとか、プロジェクター用の資料を作ったりといったことが大変だった。そのあたりのことを私たちがサポートできるようにしたんです」(田中さん) 同法人では、喋ったり、プレゼンしたりするのが得意ではない選手にも、そのような力をつけるように指導をしている。「ヒーローインタビュー」というプログラムだ。 「生まれてから現在、そして未来まで〝棚卸し〞をしてもらうのです。我々のチームに入ってもらうにあたって、お互いの自己紹介も兼ねて、本人が経験してきたものをベースに講演用の話を整理していくのです。今後どういう選手になっていきたいのかといった話も聞きながら、あなたが今いちばん子どもたちに対して伝えたいことは?などテーマを絞って話も聞いて、これまで大事にしてきた価値観といったものを編み込みながら話を構築していくのです」 この作業を通して、自分のなかでもこれまでの経験の整理ができる。初めて大勢の人の前で話す時には、事前にロールプレイングを実施、また当日のビデオを撮っておいて反省会も行なう。また講演の経験が少ない選手には、現場に出る前にプレゼンの上手な選手の講演会・体験会に一緒に行ってもらう。人前で話すのが苦手だった選手も、やっていくうちにどんどんうまくなっていく。 自分の目標を人前で話す。そうすると、話したことを実現しなくてはいけない、というプレッシャーを自分自身にかけることになって、プレーの質も上がる、という副産物的効果もあるという。 パラスポーツは、まだ一般的には身近なものになっていないのが現状だ。車いすバスケットボールや車いすテニスなど、一部の種目の認知度は上がってきたが、ウィルチェアーラグビーといっても「何それ?」というケースも多い。 「講演会の前には、競技の説明をしたり、動画を見せたりしています。また講演会で話をする前段階として、その選手の人となりがわかる5分くらいのショートムービーを作っていきたいとも思っています。限られた時間のなかで、選手たちが何をどう効率よく発信していくか、聴衆の人たちを惹きつけるための準備をどのようにしていくかが課題です」
- 「伝えるべきこと」がある 田中時宗さん(その1)
「伝えるべきこと」がある 田中時宗さん(その1)
- 田中時宗さんが代表理事を務める「センターポール」は、パラスポーツの競技力向上と普及を目的として活動している一般社団法人だ。現在14名のアスリートの各種マネジメントを主な業務としている。 「競技をやっていく以上、結果を求められるというのは当然なのですが、障がいに向き合った経験を価値として発信できるのがパラアスリートだと思っています。サッカー選手やゴルフ選手のように、○億円プレーヤーという選手はパラアスリートからは出にくいでしょう。ただ、彼らの価値を感じてくれている人や、彼らの存在を求めている人は必ずいるんです」(田中さん)。 自分のためだけにスポーツをやるのではなくて、外に向けてその過程や様子を発信していくのが、現代のアスリートの役割でもある。 「バリアフリーの面では、日本の環境がまだ整っていない部分がたくさんあります。まだ壊せない〝壁〞を壊す力がパラアスリートにはあるんです。現状の世の中をさらによくしたいと考えた時に、パラアスリートは、競技で結果を出して目立つ以上に『発信』をしていかないといけないと考えています」 2020年を控え、世の中の関心が高まっている今こそ、選手ひとりひとりが伝えるべきことをきちんと世の中に向けて発信するいいチャンス。昨年は講演会をする選手もまばらで偏りがあったが、今年は東京オリンピック・パラリンピックの1000日前イベントをはじめ、発信の機会が増えた、という。
- 見て、知ってもらうことが私たちの役目 松本功さん(その3)
見て、知ってもらうことが私たちの役目 松本功さん(その3)
- 「見て、知ってもらうのが私たちの役目なんじゃないかな」 インタビュー中、松本さんの口から何度もこのフレーズが出た。 「普段は家の近くを走っているのですが、わざと小学校のまわりを通ったりします。子どもたちは好奇心旺盛なので、私のことを指さして友達と話したりしてきます。でも慣れてくると興味を示さなくなる。ワタシ的にはちょっとさみしいんですが(笑)、これが狙いなんです」 最近では小学校に招かれて、体験授業を行なうこともある。まず、松本さんが装着しているメカニカルな義足に男子児童は釘付け。そのあとにスポーツタイプの義足に履き替えるのだが、そこで断端(脚の切断面)を子どもたちに見せるという。 「見たくない人は見なくてもいいよ、というのですが、みんなかぶりついて見るんです。女の子も〝ぷよぷよしていてカワイイ〞と言ってくれてるみたいです(笑)」 義足をつけている人や障がい者が、普段の日常のなかにいてごく当たり前、と感じてほしいというのが、松本さんの考え方だ。 松本さんの義足との付き合いは、もう50年近くになる。生後間もなく、右足の裏に肉腫があることがわかり、9歳の時にヒザ下18㎝のところで切断をした。 「切断の手術後、包帯がとれ、事態がわかった時は頭の中が真っ白になりました。ただ、私が入院していた病院に、足を切断して義足をつけていた若い女性がいたんです。彼女はスカートをはいて堂々と義足を出して、スイスイ歩いていました。それを見た時に『自分もあのように歩けるんだ』と吹っ切れて、ポジティブになりました。義足、それを使って歩く姿を見せてくれたその人には、本当に感謝しています」 幼いころのそんな思い出が、「発信」を続ける原動力になっているのは間違いない。 「夢はトライアスロン出場です」という松本さん。魅力的な写真や動画を通して、私たちにいろいろなことを伝え続けていただきたい。
- 見て、知ってもらうことが私たちの役目 松本功さん(その2)
見て、知ってもらうことが私たちの役目 松本功さん(その2)
- インスタを始めたのは、普段お世話になっている義足のメーカーのオズール(デモンストレーションのモデルをやっている)から、ユーザーとしてSNSで発信をしてほしいと頼まれたのがきっかけ。 「スポーツタイプ(ブレードの義足)を使えば、アマチュアの私でも走れるし、〝義足を使って走るコツ〞を伝えるためだったら喜んで! と始めたんです」 毎日走る途中で、立ち止まって写真や動画を撮影する。 「だからネタには困らないです。マジメな写真を撮っても自分自身おもしろくないし、見てもらえない。ひとりでも多くの人に楽しく見てもらって拡散してもらえたらなぁ、と考えているので、日々の更新はまったく苦ではありません」 ちなみに、松本さんが使っているSNSはインスタグラムだけ。写真・動画を手軽にコンパクトにアップできるのが自分にはあっていた、という。 この1年、インスタを通じて、世界も広がった。大腿義足の人がサーフィンをしている動画を見て、すぐにコメントを寄せたところ、障がい者の人たちにサーフィンの講座を開いているsurfclassic01(中谷正義さん)とつながり、松本さんも仲間と共にサーフィンにチャレンジすることになったという。 また松本さんのインスタを見たイギリス人のカメラマンからダイレクトメッセージが届き、「ぜひモデルになってほしい」と頼まれたりもした。 「こんな体験はインスタをやっていないとできないことなんですよね。またインスタはフェイスブックなどと違って、同じ境遇の人たちとつながりをもちやすいと思います」と松本さんは言う。最近では海外の人からも「いいね」をもらうことが多くなり、写真・動画の説明にもひとこと英語表記を入れるようにしているとのことだ。
- 見て、知ってもらうことが私たちの役目 松本功さん(その1)
見て、知ってもらうことが私たちの役目 松本功さん(その1)
- 2017年流行語大賞の候補にも「インスタ映え」という言葉がノミネートされているように、SNSは現代のコミュニケーションツールとして欠くことのできないものになっている。そのなかでも人気のインスタグラムで「映える」写真・動画を次々に投稿して話題になっている、市民ランナーbladerunner_ko_m こと、松本功さんにお話を聞いた。 「実はインスタを始めたのは、ちょうど1年前。まだ初心者なんです」と言う松本さん。それまでは、いわゆるガラケーしか使っておらず、SNSもどちらかというと「やりたくなかった」そうだ。 インスタのアカウントをお持ちの方は、ぜひ見ていただきたいのだが、松本さんの作品(写真・動画)のでき栄えは実に見事。義足の部分を光らせたり、走ったコースを地図上で距離を次々に明示しながら3Dで表現する(まるで駅伝の中継のよう!)など、映像制作のプロが作っていると思うほどだ。写真・動画の撮影はすべてスマホ。パソコンに取り込んで編集したりすることはなく、すべてスマホ内のアプリだけで作成・加工しているという。 「ウチの子どもが小さい頃は、ビデオカメラで撮影してパソコンで編集する、なんてことはやっていたのですが、いまはスマホ一台あれば、かなりのことまでできてしまいます」 松本さんは1959年生まれで、現在58歳。ダンディーな風貌で、身長も高くスリムな体つきだ。 だが50歳を迎える頃まで運動とは無縁で、日に日に体重が増えて気がついたら、いわゆるメタボ体型となっていた、という。 「太ってきて、これはなんとかしなくてはと思ったのと、いい義足と出会ったタイミングがうまいことあったんです。そしてインスタを知ったことも、ランニングが続いているひとつの理由ですね」
- 見てくれ!これがアンプティサッカーだ!(その3)
見てくれ!これがアンプティサッカーだ!(その3)
- 試合は、Aグループ1位のFCアウボラーダ対Bグループ2位のAFCバンブルビー千葉、Bグループ1位のFC九州バイラオール対Aグループ2位の関西セッチエストレーラスの準決勝へ。千葉が粘り強さを見せたが、3|0でアウボラーダが決勝に進出。一方、九州対関西の戦いは1|1でPK戦へ。先に外したのは九州だった。5回が終わって3| 3。6回目、九州の松田隆洋が成功させ決勝進出を決めた。 そうして迎えた決勝戦。対戦カードは昨年と同じ、アウボラーダVS九州だ。前半、先制点を挙げたのは、九州の野間口圭介。九州リードで後半に突入すると、アウボラーダの猛攻が始まった。しかし、九州のディフェンスは堅い。なかなかゴールネットを揺らすことができないなか、残り5分を切って、アウボラーダにフリーキックのチャンスが到来。ペナルティエリアのすぐ外側、絶好ポジションだ。キックを受けねじ込んだのが中学3年の秋葉海人だ。予選リーグでもエンヒッキのパスを受けて2得点を挙げている。アウボラーダは、その後もゴールを脅かすが、1|1のまま延長戦に突入した。 延長前半で先にシュートを決めたのはアウボラーダ、またしても秋葉だ。後がない九州だが、延長後半に萱島のフリーキックを星川誠が合わせて2| 2。そして、勝負はPK戦にもつれ込んだ。両者ともに譲らず5|5。アウボラーダの6回目を、九州のGK東幸弘が止めた。前島宗平が決め、FC九州バイラオールが優勝した。 「最後は気持ち。みんなのことを信じてプレーできた結果です」とは、ゴールを守りきった守護神・東の言葉。アンプティサッカーを象徴する激闘で、第7回日本選手権は幕を閉じたのだった。 取材・文/宮崎恵理 写真/吉村もと
- 見てくれ!これがアンプティサッカーだ!(その2)
見てくれ!これがアンプティサッカーだ!(その2)
- 快晴の空のもと、集まったのは、屈強な男子プレーヤーだけではない。栗色の髪をポニーテールにした女子もいれば、小学生もいる。彼らはスタメンで、途中出場でピッチに立つ。クラッチを巧みに使い、トラップし運びそしてシュート。「かっこいい!」と思わず叫びたくなるプレーを連続させるのだ。アンプティサッカーは、「サッカーがやりたい!」というあらゆる人に開かれたスポーツなのである。 予選リーグ、合同チーム2と対戦したアウボラーダのエンヒッキがいきなり炸裂。ハットトリックを決め、他選手のゴールをアシストし、9| 0。一方、FC九州バイラオールの萱島比呂もアフィーレ広島AFC相手にハットトリック。優勝争い候補の2チームが勢いを見せる。 一方、小学生・中学生の活躍が俄然光ったのが、関西セッチエストレーラスと合同チーム2。関西は最近小学生が増えたという。合同2を構成するアウボネクストは、アウボラーダの2チーム目として発足。所属するジュニア選手が同時にピッチに入る場面もあった。 「身体の大きい大人と当たるのはちょっと怖いけど、倒されたらすぐにファウルをとってくれそう」と、なかなかの試合巧者ぶりだ。ベンチに控えている間には、ドリンクボトルを用意するなど、チームのためにせっせと働く。いやあ、本当に素晴らしい選手たちです!
- 見てくれ!これがアンプティサッカーだ!(その1)
見てくれ!これがアンプティサッカーだ!(その1)
- アンプティサッカー(AmputeeFootball)は、直訳すれば切断者のサッカー。義足などを使用する下肢障がいの選手はフィールドプレーヤーとして、上肢障がいの選手はゴールキーパーとしてプレーする。1980年代にアメリカで考案されたスポーツだ。フィールドプレーヤーは義足を外し、日常生活やリハビリ用のクラッチ(杖)を使用する。 60×40mの大きさのピッチを使い、7人制25分ハーフ(50分)で試合が行われる。 日本ではアンプティサッカーは新しいパラスポーツだ。2009年に伝来した。その立役者が、日本在住のブラジル人、エンヒッキ・松茂良・ジアス。サンパウロ生まれのエンヒッキが18歳の時に就職のために来日すると、日本でアンプティサッカーを知っている人はほぼゼロという事実に直面する。 だったら、自分で始めちゃえ。サッカー好きの知人を通じて仲間を集めた。2010年、アンプティサッカーのワールドカップがアルゼンチンで開催される。そこに日本チームとして出場したい。そのためには協会設立が必要。わずか1年で急成長し、エンヒッキを中心とした日本チームがワールドカップに初出場した。その後日本は12年のロシア大会、14年のメキシコ大会にも連続出場を果たしている。 そのアンプティサッカーの第7回日本選手権が11月、富士通スタジアム川崎で開催された。出場チームは、昨年覇者でエンヒッキが所属するFCアウボラーダ、昨年2位のFC九州バイラオール、3位の関西セッチエストレーラスをはじめAFCバンブルビー千葉、アフィーレ広島AFCと合同チーム2組だ。
- Road to 平昌~ノルディックスキー~(その3)
Road to 平昌~ノルディックスキー~(その3)
- バイアスロンは、クロスカントリースキーと射撃を組み合わせた競技。射撃は1回5発ずつで、距離に応じてスプリントは2回(全10発)、ミドル、ロングは4回(全20発)を行ない、走行タイムと射撃の成績を総合して順位が決定する。 射撃の的までの距離は10m。立位、視覚障がいの選手は伏射姿勢で射撃を行なうが、座位の選手は伏射か座った状態かの選択が可能だ。障害によって、サポート台を使用することが認められている。 パラバイアスロンでは、視覚障がいの選手が使用するライフルと射撃方法に特徴がある。使用するのは、赤外線レーザーを的に当てるビームライフル。選手は、射場に入るとヘッドホンを装着し、音によって的の位置を把握して射撃を行う。的から外れている状態では、「ド、ド、ド」という低い音が聞こえ、的に近づくにつれ「トトトト」と細かく高い音に変化。さらに的をとらえると「ピーッ」という非常に高い音になる。選手はこの音を聞き分けて引き金を引くのだ。当たったか外れたかも、選手は音で判断できる。伴走するガイドは、射場に入って体勢を整えるまではアドバイスできるが、射撃を支援することはできない。 距離がスプリント、ミドルでは射撃のミスの回数に応じて、コース内に設定されているペナルティループ(立位、視覚障がいは150m、座位は100m)を周回しなくてはならない。ロングではミスの回数分のペナルティタイムが加算されるルールだ。 パラバイアスロンは、1994年のリレハンメルパラリンピックで正式種目として採用された。98年の長野パラで日本は初出場し、小林深雪が金メダルを獲得。小林はその後06年トリノで金、銀メダルにも輝いた。パラバイアスロンは、日本のお家芸とも言えるのだ。強豪国の射撃命中率が高まる中、平昌での活躍に期待がかかる。 写真/吉村もと 取材・文/宮崎恵理
- Road to 平昌~ノルディックスキー~(その2)
Road to 平昌~ノルディックスキー~(その2)
- クロスカントリースキーは、上り、下り、平地がそれぞれ1/3ずつのバランスで設定されたコースを、スキーで滑走する競技だ。「雪上のマラソン」とも呼ばれ、心肺機能と力強いストックワークが必要になる。1976年の第1回冬季パラリンピック(スウェーデン・エンシェルツヴィーク)から行なわれている種目だ。 選手は障がいの程度や状態に応じて細かいクラス分けがあるが、競技は立位(立ってすべることができる)、座位(シットスキーという座るタイプのスキーを使用する)、視覚障がい(B1、B2はガイドが伴走)の3カテゴリーで表彰される。選手のクラス分けに応じた計算タイムが設定されており、実測タイムに乗じて最終リザルトが算出される。この計算タイムによって公平性が確保されるのだ。 クラシカル走法(スキーをまっすぐ平行に走らせる)とフリー走法(主にスキーを八の字に開いて加速させる)があり、走法と距離を組み合わせた種目が行なわれる。距離は、1㎞のスプリント、ミドル(5〜10㎞)、ロング( 20㎞など)がある。 平昌冬季パラリンピックでは、男女ともスプリントクラシカル、ミドルクラシカル、ロングフリーのほか、チーム種目として人気の高いリレーも行なわれる予定だ。 立位、視覚障がいの選手が使用する用具は一般と同様だが、座位のシットスキーでは開発競争も見どころのひとつ。ソチパラリンピックで銅メダルを獲得した久保恒造が陸上競技のレーサーと同タイプの、前傾姿勢が取れるシットスキーを使用してから、このスタイルが主流になった。イタリアやドイツには、車メーカーが開発支援したカーボン素材一体型のシットスキーを使用する選手もいる。平昌冬季パラリンピックではどんなマシンが登場するのか。そこにも、ぜひ注目したい!
- 平昌冬季選手団の公式ウエア 車いす向けデザインの提供は初めて
平昌冬季選手団の公式ウエア 車いす向けデザインの提供は初めて
- ウエア発表会でモデル役をしたのは、10月の最終予選で2大会ぶりの出場権を獲得したばかりのパラアイスホッケーからはキャプテン須藤悟選手と高橋和廣選手、クロスカントリースキーからは長野パラリンピックから連続出場している金メダリストの新田佳浩選手と学生パラリンピアンでクロスカントリーとバイアスロンのメダルに挑戦する阿部友里菜選手、オリンピック選手ではスキージャンプのレジェンド葛西紀明選手、フリースタイルスキー世界選手権優勝の小野塚彩那選手、長野オリンピック以来の出場となる女子アイスホッケーの大澤ちほ選手、藤本那菜選手。 須藤選手は、「2大会ぶりに日本代表選手団のウエアに袖を通して、気持ちが引き締まりました」、新田選手は「レースはひとりで走るけれど、ひとりで競技をしているわけじゃない。日の丸のウエアを着るということは、色々な人たちの思いをつなぐこと。最後まで勝負して、金メダルを獲りたい」と抱負を話しました。 葛西選手は「まだ代表選手に選考されていないから、まずはワールドカップで結果を出す。メダルを皆さんに見てもらいたいです」とコメント。 ウエアを提供するアシックスでは昨冬に現地調査をした他、選手たちへのヒアリング結果をデザインに反映した。 とくに車いす選手向けには、いくつもの工夫を施した。ジャケットの丈を短くすることで座った姿勢の着心地を改善。袖口にはタイヤを漕ぐ時に汚れにくいようにカバーを付けた。またパンツのポケットは座ったままで使える位置に配置した。 試着した車いすの高橋選手は「市販品の使いにくさは諦めていたけれど、この選手団ウエアはストレスなく着れそうです」と大満足。 アシックスのデザイン担当、吉田雅彦さんは「足の感覚がマヒしている選手から、チャックの金具がこすれて肌に傷がついても気づかず化膿が重症化することもあると聞いて、ポケットを特別なデザインにしました」と説明した。 今回発表されたウエアは、開会式や表彰式などで選手たちが着る。メダルセレモニーでこのウエアを着た選手が見れるように応援したい。
- Road to 平昌~ノルディックスキー~(その1)
Road to 平昌~ノルディックスキー~(その1)
- 2017年3月。障がい者のノルディックスキーワールドカップ最終戦が、札幌市で開催された。今大会の特徴は、ワールドカップとしては日本で初めてバイアスロンが行なわれたことにある。射撃を伴うバイアスロンは、日本では非常に限られた場所でしか開催できないのだ。 大会は、前半にクロスカントリースキー2種目(ミドルフリー、ショートクラシカル)、後半にバイアスロン2種目(ミドル、スプリント)が行なわれた。 今季、日本チームはワールドカップと世界選手権で表彰台を賑わせている。長野パラリンピックから出場している新田佳浩が、競技2日目のショートクラシカルで2位に。 「5㎞の短距離種目なので前半から全力で飛び出したら、転倒してしまいました!」 スタートからわずか50m地点。東京から応援に駆けつけた所属会社大応援団の目の前だった。 新田は札幌大会直前の韓国プレ大会ではミドルクラシカルで優勝。パワーアップをテーマにシーズン中もトレーニングを続けたことが、今季の結果につながったという。 初日のミドルフリーでは、富山県の高校生、川除大輝が9位。高校スキー部の一員として年間を通して練習できたことで力をつけてきた。今季から海外遠征もスタート。大先輩、新田を脅かす存在になれるか、注目が集まる。 後半のバイアスロンではベテラン勢の出来島桃子、佐藤圭一が健闘。ミドルで4回全20発の射撃で2発を外しただけでそれぞれ5位、6位。 「風などの影響で海外の選手が射撃を失敗しても、自分をしっかり保てたことがよかった」(出来島)。 佐藤はスプリント(射撃2回、全10発)でも1発のミスで5位に。 「体幹重視のトレーニングで走力が上がったこと、射撃が安定してきたことでコンスタントに成績が出せるようになった」と語る。佐藤はカナダやウクライナなど強豪国のチーム練習にも参加し射撃強化を図ってきたという。 また、今季からワールドカップに本格参戦した女子座位の新田のんのは、競技初日のクロスカントリーミドル、バイアスロン2種目でいずれも4位と健闘した。 「射撃は始めたばかりですが、呼吸だけを意識して撃つようにしました。スプリントでは2回目(5発)が満射ですごくうれしかった!」 クラウドファンディングで資金を調達し、北見工業大を始めとするプロジェクトチームが新田専用のシットスキーを開発。地元の声援を受けて快走し成果を見せた。 世界の勢力図では女子はウクライナが圧倒的に強く、男子はヨーロッパにカナダが食い込む。成長を続ける日本の躍進が今から楽しみだ。