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  パラ水泳のいま、そして未来(その2)

パラ水泳のいま、そして未来(その2)

一般社団法人 日本身体障がい者水泳連盟 常務理事 技術委員長 櫻井誠一さん インタビュー

  世界はまだ先にいる…   その後は、全国の障がい者スイマーにも指導をしてほしいということになり、技術委員という形で団体(日本障害者水泳連盟)に入り、1993年にマルタ共和国で行なわれた第一回IPC世界水泳選手権大会には日本代表チームの監督として参加。1996年のアトランタパラリンピックはヘッドコーチとして、2000年のシドニーパラリンピックには再び監督として参加。世界のパラアスリートを目の当たりにすることになった。 「オーストラリアやニュージーランドでは地域クラブ制がきれいに敷かれていて、そのクラブにはオリンピック選手もいれば障がい者もいる、ジュニアもいればお年寄りもいる。みんなが同じプールを使って泳いでいるんです。コーチもボランティアではなく、そのクラブに所属しているプロ。トップ選手、パラスイマー、一般の水泳ファンもみんなを教えるんです。日本のように学校体育の中で水泳を教えるようなことはありません」 健常者と障がい者の垣根がない社会がそこにあった。シドニーパラリンピックではオリンピックの施設がそのままパラリンピックの施設として使用された。 「2008年のロンドン大会も印象的です、『ストーク・マンデビル競技大会』(障がい者による最初の国際競技大会。パラリンピックのルーツと言われている)の母国でもあり、障害者スポーツを一般のスポーツとまったく同等に応援する、アスリートのパフォーマンスを心から楽しむという視点での取り組みでしたね」   ロンドン大会の前後から、世界の主要国では一般スポーツとパラスポーツの組織が統一されてきた。ただ、日本はまだそうなっていない。行政の組織、仕組みを変えることができていない。ようやくスポーツ庁ができて大きな流れは変わったが、それが地方行政では未だに教育委員会の流れと福祉の流れに分かれてしまっている。 「東京のレガシーは、そんな『仕組み』を変えていくことだと思うのです。 『共生社会』を目指そう、と旗は振られていますが、それを実現するためのプロセスや手法についてはあまり議論されずに、キレイな言葉だけが飛び交っているように感じています。『共生社会』は『排除しない』という観点なのです。一人一人が持っている個性があり、それを排除するには合理的な理由が必要で、それを常に問いかけていないといけない、そして共存を目指すというのが共生社会なのです。本質の部分や具体的な問題点に踏み込んでの議論が日本人は苦手なのです。 スポーツ庁ができて、一歩ずつ前進はしています。ただ正直4年くらい早ければよかったな、と思いますね」   (続く)


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