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オープンハウスグループのダイバーシティ推進活動(第2回/全2回)――「オープンハウスが築くキャリア1.5」

オープンハウスグループのダイバーシティ推進活動(第2回/全2回)――「オープンハウスが築くキャリア1.5」

プロ野球ヤクルトスワローズのスポンサーとしても知られる総合不動産企業・オープンハウスグループ。前回記事(7月11日配信)でも紹介した通り、同社の障がい者雇用人数は100名を超え、雇用率は法定基準を満たす2.9パーセント(2023年6月1日時点)を達成している。そのうち、精神障がい者が全雇用障がい者の約70パーセントという多さだ。 7月25日、「パラアスリート雇用成功の秘訣」というテーマで開催された東京都主催のTEAM BEYOND CONFERENCEに、障がい者雇用を担当する同社オペレーションセンター部長の市川友和氏と所属パラアスリートの小須田潤太選手が登壇し、「オープンハウスが築くキャリア1.5」(※キャリア1.5について文末に説明あり)というテーマで障がい者雇用の事例紹介を行った。市川氏のコメントを辿り、同社の障がい者雇用について紹介していこう。(実際の発言と文章に多少の表現の違いがあるのでご了承ください) 2022年に障がい者雇用専門セクションとして「オペレーションセンター」を立ち上げる 「オープンハウスグループは1997年に創業し、現在の従業員数は約5000名です。戸建関連事業、マンション事業、収益不動産事業、アメリカ不動産事業の4つの事業を柱に展開しています。昨年度の売上高は約1兆1500億円という規模です。障がい者雇用や顧客満足の向上、あと女性活躍もそうですし、働き方改革も含めてガバナンスの強化にも積極的に取り組んでいます。 グループの障がい者雇用については、企業規模の拡大に合わせて近年すごく拡大していて、法定雇用率については規定を上回る状況を作っているんですけれども、2022年にグループ内の障がい者雇用を担う専門セクションとしてオペレーションセンターという部署を立ち上げました。メンバーのサポート体制強化などにつながる結果が出ており、雇用強化が実現しています。その結果、障がい者の定着率が95パーセント程度まで伸長していて、今後、障がい者の雇用率は3.0パーセントを目標にさらに強化している状況です。 障がいのあるメンバーの雇用拠点は現在、八王子、横浜、柏にあり、それぞれ駅からアクセス良好な場所です。バリアフリーな環境で、本社と営業拠点とあえて別にすることによって、落ち着いた業務環境を提供できています。また幅広いエリアで採用することが結果としてできていて、どの拠点でも順調に人員数が伸びています。昨年、横浜事務所を拡張移転したばかりですが、今後、八王子、柏の拡張や新規事務所の開設などを検討しています。 オペレーションセンターの組織体制としては、それぞれの拠点に複数のチームを設けていて、約80の業務を担っています。その中で、各拠点に常駐型のメンバーのサポートチームやバックオフィスチームを備えており、メンバーが安心して業務にあたれる体制を作っています。 また、当社の障がい者雇用の特徴の1つでもありますが、オペレーションセンター内の全役職のうち、85パーセントは障がいのあるメンバーが担ってます。健常者が障がい者を管理するような形ではなく、自走型の組織と言いますか、障がい者メンバーから積極的に役職者も登用して組織を作っていこうと進めています。 障がいのあるメンバーのキャリアプランのイメージとしては、マネージメント職を目指したいというメンバーもいれば、スペシャリストになりたい人もいて、さまざまな希望、キャリアイメージを持っていますので、それぞれの希望や適正特性に合わせた体制を整えています。 企業の成長に合わせて、障がい者雇用の幅や規模が年々拡大していまして、当然、問題や課題も合わせて持ってはいるんですけど、新たな制度や取り組みなどに今すごくチャレンジしています。今後もさらにチャレンジをしながら、可能性の幅を広げていこうという思っています。 また、今年10月の子会社化を目指してさまざまな社内の動きもしており、障がい者雇用日本一を真剣に目指して日々取り組んでいます」 オープンハウスグループ オペレーションセンター部長の市川友和さん(左)と同社所属パラスノーボード選手の小須田潤太さん(右) 小須田潤太選手のバックアップ体制と社内への波及効果 コミュニケーションデザイン本部ブランドコミュニケーション部に所属する小須田潤太選手は、東京パラリンピックには陸上選手として、翌年の北京パラリンピックにはスノーボード選手として出場した二刀流アスリート。現在はスノーボード一本に絞り、2026年ミラノ・コルティナダンペッツォパラリンピックでの金メダル獲得を目指して活動している。 2016年に正社員としてオープンハウスグループに採用された小須田選手。いくつかの企業の中からオープンハウスを選んだのは、給与以外に義足などの用具や遠征費などのサポート面が充実していたことが決め手だったと言う。 入社してからは一般職として勤務し、9時から6時までフルタイムで働いた後、夜や休日に練習を行っていた。その間に宅地建物取引士の資格も取得。しかし、2019年の東京パラリンピック1年前というタイミングで、もっと時間をかけて競技に集中しないとパラリンピックに出場できないという思いから、競技に専念することに。自分の希望に会社が真摯かつスピーディに応えてくれたことは、アスリートとして非常に大きなことだったという。現在はほぼ100パーセント競技に集中していて、出社は月に1、2回程度だそうだ。 小須田選手の社内での存在について、市川氏は次のようにコメントした。 「小須田のキャラクターとスポーツ、競技に向き合う真摯な姿は、やはり社員は見ていますし、社内報での発信などもあってグループ内ではかなり知名度が高いです。彼の存在によって社員のモチベーションアップなどすごくいい影響があり、社内が1つになったり、障がい者のメンバーも勇気づけられたり、グループにとってはすごくいい影響が出ていると思います。 当社はやる気のある人間を広く受け入れるというそもそもの理念があるんですけど、それ以外にも、例えばスピード感を重視したり、社内の文化としてどんどんリベンジしていこう、失敗しても次があるという文化がありますので、まさに小須田の競技に対する取り組みですとか、キャラクター、前向きなマインドがすごく合致してる例だと思います。今後、アスリートやパラアスリート雇用をどんどん強化していきたいので、小須田が今切り開いてる道をどんどん広げて行きたいと思っています」 一方、小須田選手は次のようにコメントした。 「入社時から応援してくださる方がものすごく多かったですし、競技レベルが上がるにつれて資金も時間も必要になってきますが、会社がそれに応えてくれて、パラアスリートの中でも恵まれてる環境に私はいると思います。そして、こうした環境で活動できているというのは、確実に競技の結果に繋がっています。まだまだアスリートとしては結果も物足りないと思いますし、本当に会社が私に与えてくださっている環境に対してまったくお返しできてないっていうのが自分の中にまだまだあるので、自分がやらなきゃいけないっていう気持ちがすごく引き出されます。 目標はパラリンピックの金メダルです。やっぱりアスリートである以上、結果を残すっていうところはものすごく大事なことだと思いますし、結果を出すっていうところにはこだわって、今後も全力でやっていきたいと思っています」 市川氏は、 「小須田が周りの人間どんどん巻き込んで、グループの中で仕組みを作ったり、応援団を増やしたりですとか、小須田の動きがグループ全体にいい影響をもたらしている状況なので、それをどんどん拡大していきたいですね。 競技に向けて取り組んでるマインドや姿勢とか、そういうプロセスを見させてもらうだけで十分いい影響はあるんですけど、やっぱり、金メダルというすごく大きい結果が出ると、さらに会社の後押しも強くなるでしょうし、みんなの思いもグッと1つになると思うんですよね。もちろんプロセスも重要ですけど、いい結果を出してもらって、さらにいい評価だとか、社内の勢いもそうですけど、自分自身の立ち位置を掴み取ってほしいなと思っています。 今、企業規模がどんどん大きくなっているフェーズなので、障がい者雇用についても当然拡大していきますし、その中の1つとしてアスリート雇用の体制もグループとしてはさらに強化していくことになると思います。そのためにも、さらに勢いづけるためにも、小須田にはぜひ頑張ってほしいですし、小須田を見てオープンハウスに入ってみたい、オープンハウスってなんとなくか活躍できるんじゃないか、私でもできるんじゃないかという人が1人でも増えてもらえると、小須田にとっても我々にとってもメリットがすごくあると思いますので、ぜひそのような形で進めたいと思っています。 障がい者雇用というのは、アスリートであるか否かを問わず、企業にとっては結構チャレンジだと思います。例えば視覚障がいの方を初めて受け入れる時どういう準備が必要なのか。ネットを見ればいくらでも答えは書いてあるんですけど、なかなかその通りに行かないことが多い。アスリート雇用もそれと同じで、形を先に作ってそれに乗っかるというわけではなくて、やっぱり雇用してみて、アスリートの本音だとか実態っていうものを確認しながら、企業側も制度だとか仕組みを作っていくっていうぐらいの柔軟性が必要だと思っています。形を作る、制度を作る、ルールをどうしようかっていうところを先に考えるよりも、まず最初にやってみるという方が大事だと思います」 オープンハウスグループの障がい者・パラアスリート雇用にこれからも注目していきたい。 ※「キャリア1.5」/一般的に「1.5キャリア」という言葉があるが、これはアスリートとしてのキャリア(競技)から離れ、仕事のみを行うセカンドキャリアの"手前"にある状態を指す。オープンハウスグループではこの概念をさらに深め、企業の一員として一流アスリートの練習や試合を業務の一環として行い、人格を養い、経験を拡げ、将来的に組織にその知見を持ち帰って組織の拡大に貢献することで、組織ともwinwinの関係が築けることを目指すキャリア形成のことを「キャリア1.5」と位置づけている。引退後からではなく、現役アスリート時代から組織の風土や仲間と触れることで、本人には業務の慣習や知識を得られるメリットがあり、組織とも一体感がうまれ、後続のアスリート支援の土壌形成にも役立つという考え方だ。
オープンハウスグループのダイバーシティ推進活動(第1回/全2回)――「OPENHOUSEのO-ENフォーラム」開催

オープンハウスグループのダイバーシティ推進活動(第1回/全2回)――「OPENHOUSEのO-ENフォーラム」開催

障がい者雇用をはじめとする企業のダイバーシティ活動を紹介する特集。今回は不動産業を中心に住まいや暮らしに関連する各種サービスを展開する株式会社オープンハウスグループをレポートする。(全2回中の第1回) オープンハウスグループは、障がい者の雇用を積極的に進めており、2023年6月1日時点の障がい者雇用人数が100名を超え、雇用率は法定基準を満たす2.9パーセントを達成している。2018年4月から障がい者雇用義務の対象として加わった精神障がい者が、全雇用障がい者の約70パーセントを占めていることも特筆すべき特徴だと言える。同社は「誰もがやりがいをもって活躍できる社会の実現」に向け、目標雇用率を3.0パーセントに設定し、新卒採用も視野に入れて積極採用を継続していくと言う。 オープンハウスグループは、その企業姿勢である「挑戦する人や組織を応援する」を目的に、各界で問題提起やディスカッションを行う「OPENHOUSEのO-ENフォーラム」を企画。その第1回目として、6月9日に「パラスポーツと共創する新たな未来」と題したパネルディスカッションが開催された。 登壇したのは、同社に所属するパラスノーボードの小須田潤太選手(ブランドコミュニケーション部)、デフ陸上・走り高跳びの髙居千紘選手(コカ・コーラ ボトラーズジャパン)の2人の現役パラアスリートに加え、ゲストとして大リーガー・プロ野球で活躍した五十嵐亮太さん、障がい者スポーツに詳しいフリーアナウンサーでスポーツライターの久下真以子さんの計4人。2人のパラアスリートが競技を始めた経緯、現在の会社での仕事内容、パラリンピックやデフリンピックに向けての目標などを話し、五十嵐さん、久下さんが時にユーモアを交えながらトークを盛り上げた。 会場に集まった約50人の参加者は、登壇者の活発で笑いあふれるセッションを楽しんだ。 小須田選手は21歳だった2012年に、引っ越し会社の社員として運転中のトラック事故で右大腿部を切断。その後に参加したランニングクリニックがきっかけで陸上競技を始めた。そして競技をより本格的にできる環境を求めて、2016年にオープンハウスグループに入社。東京パラリンピックでは陸上競技、北京パラリンピックではスノーボードに出場したが、メダルを目指して現在はスノーボードに集中している。入社後、宅地建物取引士の資格を取得しフルタイムで仕事をしながら競技活動を行っていたが、現在は競技に100%しているという 生まれつき聴覚に障がいがある髙居選手は、中学ではバレーボール、高校から陸上を始めジャンプ力を生かして走り高跳びの選手に。デフリンピックでのメダルを目指して日本体育大学で陸上を続け、同大学と障がい者支援に関する包括協定を結んでいたコカ・コーラ ボトラーズジャパン株式会社に2020年に入社した。同社では人事関連のデータを取り扱う仕事に就いているという ディスカッション終了後は、希望者が2選手との交流会に参加。交流会では小須田選手が義足の仕組みや義足での動きなどについて説明したほか、髙居選手は昨年から始めた十種競技について、練習の配分などについて話した。 小須田選手が義足についてレクチャー。普段はあまり聞くことができない話に参加者は興味津々 会場は終始和やかな雰囲気に包まれ、1時間40分のイベントはあっという間に終了。参加者からは「こんなに笑ったパラスポーツやデフスポーツのトークショーは初めて」「障がいを持つ若者やキッズ、その親御さん向けにもこういった機会があれば良いのかとも思った」などの感想が聞かれた。 会場には小須田選手の義足、高居選手が獲得したメダルなどが展示された オープンハウスグループはパラスポーツの発展、障がい者がさまざまな形で活躍できる社会の実現につながる機会として、今回のパネルディスカッションを開催したという。「今後も、パラスポーツの発展、障がい者が活躍できる社会の実現のため、さまざまな形の取り組みを行く」という同社の活動に注目していきたい。 ※第2回目の記事配信は7月下旬を予定しています。
「ボッチャ、やりたい!」の気持ちにすぐに応えます! ―後編―

「ボッチャ、やりたい!」の気持ちにすぐに応えます! ―後編―

「ボッチャっておもしろい!」と思った感動をみんなに伝えていきたい (前編から続く) ――用具が高価で手が届きにくいなら安価なものを作って売ろうとされたように、体験会での指導でもとっつきにくさをなくそうとされているとうかがっています。 大澤 そうですね。ルールをあまり厳格に適用させようとすると敬遠されかねません。でも、多少ゆるくしても「ボッチャはボッチャ」で、ボッチャの楽しさは味わってもらえるんです。たとえばどちらが近いのかという距離の判定をする際に、時間をかけて器具を使って審判が図るのではなく、当事者同士で「談合」で決めてもらうと、和気あいあいとした雰囲気になったりします。上手な人と、そうでない人との対戦では「あなたうまいから、将棋の飛車角落ちのように、最初からボール2つ減らしておきましょう」といった提案をして、プレーしてもらったりもします。それでもやっぱり「ボッチャはボッチャ」で、私が初めてのときに感じたような感動的な気分を味わってもらえています。 ――初めての人たちが楽しんでいるようすが目に浮かびますね。 大澤 一緒にボッチャをすることで、人と人のつながりがうまれるということをいつも感じています。これはほんとうに、ボーダーレスでつながれるんです。それがボッチャの最大の魅力かな、と思っています。  先日、人と接することが苦手という方とプレーしたんです。でも、初対面でも「どう投げているんですか」と質問したら、「自分の場合は……」とすごく一生懸命にいろいろと解説してくれたんです。話をしているうちに打ち解けてきまして、「またやりたいね」という気持ちがいっぱいになりました。これは、私だけでなくお互いだったと確信しています。簡単には会えないわけですが、会えないなら会えないで「今頃、どうしているかな」と考えたりもするようになります。  それが、年齢や性別も関係なく、まさしくボーダーレスにどんな人とでも、初めて会った人どうしでもお互いを思いやれるようになれる。ボッチャって、人と人をつなぐ場を生み出す装置なんですよ。 ――そうした魅力のあるスポーツをもっと普及させたいという思いで、「一般社団法人レクレーションボッチャ協会」を設立されたわけですね。 大澤 はい、先ほど話した「草」ボッチャに相当するものを、レクレーションボッチャと命名し、ボッチャ全体の普及を目的に2023年2月に設立しました。会員には無料でなっていただけます。事業としては、会員となってくださった個人、チームやプレーヤーのマッチングのほか、用具のレンタルをして、ボッチャを始めてみたい方々のサポートをしています。  普及については、手で触れてボールの位置を確認することができる「ハンディボード」を開発し、視覚障がい者の方々がプレーしやすい状況を作っています。  そのほか、新しいボッチャの可能性を探る活動もしています。今考えているのは、バンケットボッチャ。バンケットは宴会、宴席の意味で、つまりみんなで楽しく飲んだり食べたりしながらプレーしましょう、というスタイルです。実際、これまでにスナックに用具を持ち込んでプレーしたりもしました。 普及活動を続けていくには、事業化してしっかりと収益を上げたり報酬を支払っていくことが大切と考えています。たとえば、指導など普及に協力してくださったスタッフがステアテックの用具を売ってくだされば、コミッションチャージをお支払いするといったことも考えています。 ――なるほど。それでは最後に、今後のビジョンを紹介してください。 大澤 まずボッチャを一般に普及させることが大事だと思っています。商品が売れなかった別の理由として、やはり「知名度がなく、市場が小さい」ことがあると考えています。私はこの素晴らしい種目をもっと広めたいのです。そして、多くの人がどこででもやっているような状況を作りたい。昭和の時代の草野球や、今でいえばストリートバスケ。年齢性別関係ないという点を考えれば、ブレイクダンスやゲートボールも近いかもしれません。とにかくボッチャが誰の日常にもあるような環境にしていくのが目標です。そして、いろいろな人が楽しめる競技であり、「いろいろな人」の中には障がいのある方々も当然含まれているのですから、「一緒にやりましょう」という流れにもっていきたいです。  それが共生社会だと思うんです。そういう状況をつくり出す場になり得ることが、ボッチャをはじめとしたパラスポーツと呼ばれる種目の醍醐味ではないでしょうか。「みんなが一緒に楽しんでつながれる」という特性を活かし、共生社会の実現へ向けて活動を続けていきたいと考えています。ボッチャをやりたい、イベントや大会をしたいというご希望があれば、どこへでも道具をもって出かけます。そして盛り上げます。ぜひ、お呼びください!  株式会社Nomearod、逆から読むとあの有名な何でも実現してくれるアニメのキャラクターになる。世の中にないものをポケットから取り出して、人生を楽しくしてくれる。大澤さんもまた、ボッチャをツールに、人々の人生を楽しくしようと、今日も飛び回っている。 大澤十三(おおさわ・じゅうぞう) 株式会社Nomearod 代表取締役/一般社団法人レクレーションボッチャ協会代表理事/練馬第一分区保護司。2012年区役所で開催されたニュースポーツの体験会でボッチャと出会い魅了される。普及には手頃な価格が必須であるとの理念に基づき、ステアテックボッチャのブランド名で自由な発想のボッチャ用具を企画販売している。依頼があれば東京から全国へ指導のため無料出張している。十三はビジネスネーム。ボール13個にちなんでいる。 ステアテック商品の一例。上/フルサイズコート(約10m×6m)税込19万8000円 下/ボッチャボールセット 税込4万7850円
「ボッチャ、やりたい!」の気持ちにすぐに応えます! ―前編―

「ボッチャ、やりたい!」の気持ちにすぐに応えます! ―前編―

草野球やストリートバスケのように、「日常にボッチャがある」という状況まで普及させたい! ボッチャの体験会を、爽やかな笑い声と褒め言葉を投げ掛けながら盛り上げている人物がいる。ボッチャ用品のステアテックを手がける会社の代表を務める大澤十三さんだ。普及のしやすさを追求し、レクレーションボッチャを考案し、ボッチャ用具の貸し出しも行って普及に努めている。ボッチャをやってみたいという声が届けば、「全国どこでも飛んでいきます」と、普及にかける思いは熱い! ※『パラスポーツマガジンvol.13』に掲載された記事です。 取材・文/長沢潤、編集部 写真/編集部、Nomearod  ボッチャ用具のブランドの一つ、ステアテックを扱っている株式会社Nomearod(ノメアロッド)は都心からほどない、私鉄沿線駅から数分にある。そこに突然4人の来客があった。ボッチャに興味を持った大学生が、用具を購入するため、住所を頼りに訪れたのだという。 ボッチャを通してのつながりから商品開発のアドバイスをたくさんもらえました(大澤さん)  「ここは事務所だけで、ショップ機能はないんだ」と同社の大澤十三代表が申し訳なさそうに答えた。しかしすかさず「せっかく来たんだから、やってかない?」と誘った。目の前の路地での〝ストリートボッチャ〞だ。商品は持って帰ってもらえないが、「ボッチャは楽しい」という思いは持ち帰ってもらいたかった。この狙いは、盛り上げ上手な大澤さんのホスピタリティによって完遂され、ボッチャの熱烈愛好家が4人誕生した。この4人は、数日後に大澤さんが依頼されていた小学校でのボッチャ体験会運営のサポート役にも加わったのだという。  この「輪の広げ方」で大澤さんとステアテックはボッチャの普及に取り組んでいる。 楽しい! 誰もがとりこになる魅力を伝えていきたい ――大澤さんのボッチャとの出会いは、いつ、どのようなものだったのですか? 大澤 私は大人になって水泳を始め、のめり込んで指導員の資格を取り、練馬区のスポーツ推進委員になって子供たちに水泳を教えたりマラソン大会の手伝いをしたりしていたんです。そして2013年頃に練馬区が主催したニュースポーツ体験会で初めてボッチャと出会い、すぐにとりこになったんです。うまくいかなくて、負けて、悔しくて、だから「またやりたい」と思った。心底、楽しかったんです。そして、そのとき私が味わった感動は、きっとこれから出会う人も同じように味わってもらえるはずだと確信したんです。この衝撃的な出会いを、多くの人に体験してもらいたいという思いはその時から今まで変わらず持ち続けています。 ――多くの人がボッチャと出会ってほしいという思いが、ボッチャ用品の販売につながっていったのですか? 大澤 初めて出会った体験会で自分が負けて悔しかったので、練習してチャレンジし直したいと思い、ボールを手に入れようと思ったんです。でも、当時は13個セットで9万円の商品があるだけでした。ジャックボールと赤青6個ずつのセットでしか販売されていなかったんです。「これでは、多くの人にやってもらいたい」のに広がっていかないと思い、「じゃあ、自分で作って売ろう」と考えたんです。元々福祉用品やレジャー用品の製造販売をしていたため、海外で安く作るためのコネクションもありました。商品開発は簡単ではなかったですが、なんとか2万円台で売り出すことができました。それが、ステアテックブランドの始まりになりました。 ――9万円が相場のところ、2万円なら一気に売れ筋商品になりそうですね。 大澤 いえいえ、なかなか売れませんでした。理由のひとつに、品質に対して疑問を持たれたからだと思います。それについては、横浜の特別支援学校の方々が企画したボッチャ大会で使ってくださったことがきっかけで、ボッチャをやっているいろいろな方々と知り合うことができ、そのつながりでアドバイスをいただきながら改良を重ねることができました。その結果、良い製品になってきたという手応えがあります。手ごろな価格にとどめるため、世界ボッチャスポーツ連盟の公式認定マークの認定を受けるのを控えていますが、重量275± 12グラム、円周270±8ミリなど規格や素材などは国際競技規則に準拠しています。ですから、日本選手権本大会や、強化指定選手選考会では使えませんが、それ以外のシーンでは使えるものですので、安心して購入いただければと思います。 ――ボールのほかに、コートも商品化されていますね。 大澤 はい。大会や体験会などの運営に関わる中で、一番大変なことは設営だなと感じ、もっと手軽に準備できるようにしないと普及しないなと思っていたんです。そして、これもかなりの試行錯誤の末に、いくつも社外秘の技術を採用して商品化しました。しかも、私たちからの提案として、3つのサイズを用意しています。実際の競技時で試用されるコートと同等のフルサイズコート。その半分のハーフコート、そしてさらに小さい約3×約1. 8メートルのカフェコートです。 より多くの人が手軽に始められる環境作りをしていく ――ステアテックの用具のお話を伺うと、競技ルールに縛られていないのだなと感じたのですが、どのようにお考えですか? 大澤 競技ボッチャについては、私は大好きです。奥の深い、素晴らしい競技であることに疑いはありません。私が最初に触れて一瞬でとりこになったのも競技ボッチャの体験でしたし。東京パラリンピックでもみんなで盛り上がり、金メダルを獲得した日本チームの皆さんをリスペクトしています。でも、野球にプロ野球と草野球があるように、ボッチャにも競技ボッチャと「草」ボッチャがあっていいと思うのです。もっと多くの人が手軽にプレーをし始めることができるように! 野球のボールやバットに違う規格があるように、ボッチャにも価格が高い公認球だけでなく、手軽に手に入るボールがあっていいと。  また、それと同じで、コートも10mという大きなサイズにこだわらなくてもいいと思いました。ハーフサイズや、もっと小さくて、室内に設置できるサイズでプレーしてもいいと思うのです。それでも、ボッチャは楽しめるのです。本当に、小さいコートでもフルサイズに引けをとらない奥深さで楽しめるのがボッチャなのですから。カフェコートは飲食店などの室内でプレーできるようにと考えたものですが、実際にバーやスナックなどでビリヤードやダーツの代わりにおいてもらえれば、盛り上がりますよ!(後編へ続く) 視覚障がい者に向けて「ハンディボード」も開発中
「ちょっとした気遣い」ができる社員が増えてほしい 【有重 哲 副社長インタビュー】~JXTGエネルギー株式会社~(3)

「ちょっとした気遣い」ができる社員が増えてほしい 【有重 哲 副社長インタビュー】~JXTGエネルギー株式会社~(3)

“ENEOS”ブランドのサービスステーションで、一般の方にも馴染みがある「JXTGグループ」。 CMや各種障がい者スポーツ団体への支援など、パラスポーツへのサポートが注目されている。 パラ競技会イベントなどにも先頭に立って参加している有重 哲副社長に、同社の考え方や将来への展望をお聞きした。 当社は、JXTGグループの行動基準のひとつである「健全な職場環境の確立」に基づき、社員一人ひとりがダイバーシティ&インクルージョンの重要性を理解して、相互に尊重し、協力し合い、成長しあう組織風土の醸成に取り組んでいます。 本社をはじめとして、全国の事業所(製油所・支店など)でも障がいのある社員が働いており、その障がいに応じた就業に配慮をするとともに、障がいのある社員とそうでない社員がともに気持ちよく働くことのできる職場環境づくりを目指しています。そのような職場環境の実現には、社員一人ひとりの意識が重要です。 東京2020パラリンピック競技大会を機に、パラスポーツに触れることで、楽しく、皆で一緒に盛り上がりながら、まわりの方に「ちょっとした気遣い」ができる社員が増えて欲しいと思います。 企業対抗のパラスポーツ大会にも積極的に参加。「スポーツなので、負けると純粋に悔しいです!」   パラスポーツの応援やパラアスリートとの交流を通じて、社員の視野・考え方の幅が広がっていくといいなと思いますし、その変化も感じています。さまざまな個性をもった社員同士が相手の立場や状況を思いやり、自然に協力し、手を差し伸べられる、そのような暖かみのある職場環境づくりにもつながっていくのではないでしょうか。   また、当社は、スポーツの振興や次世代の育成を積極的に推進しています。社会人チームとして野球部・女子バスケットボール部を運営しており、スポーツを通じた社会貢献活動を推進しています。先ほど申し上げました「ダイバーシティの推進」および「社会貢献活動の推進」の一環として、(NPO)日本身体障害者野球連盟(2007年~)および一般社団法人日本車いすバスケットボール連盟(2006年~)には継続的に協賛しています。いろいろな大会に社員が応援に行って、当社オリジナルの応援グッズを配布するなど積極的に動くことで、大会の盛り上げに協力しています。 特に社員の応援では、2016年から、パラスポーツの応援に参加する社員を「応援観戦サポーター」と名付け、積極的に参加を募っています。現在までにのべ500名以上の社員が応援観戦に参加しました。応援観戦サポーターは、年々増えており、2020年のパラリンピック競技大会では、これまでで一番多くの社員に参加してほしいと考えています。 また、社内においても、東京2020大会に向けて、「知る・観る・参加する」をキーワードに、パラスポーツをより深く理解し、体験する活動を展開しています。社内のレクリエーションとして、ボッチャ大会を開催したり、企業対抗のパラスポーツ大会(オフィス de ボッチャ)に参加したりして、多くの社員がパラスポーツを楽しんでいます。   「パラアスリートの河合純一さんに社内講演会に来ていただき、『目標を持って進んでいくことの大切さ』を改めて実感。感動しました」   2020年の東京パラリンピック大会をきっかけに、パラスポーツの魅力に触れ、一生に一度の感動を味わってもらい、2020年以降もパラスポーツの応援観戦や大会の運営ボランティアへの参加を自発的に継続してほしいと思います。 そのようなところから生まれる、個人のちょっとした意識の変化が、「人権を尊重し、誰もが働きやすい職場環境」づくりにつながっていくのではないかと思います。   ありしげ・さとし JXTGエネルギー(株)取締役 副社長執行役員。山口県出身。1980年九州大学卒業、日本石油入社。2008年 新日本石油(株)CSR推進部長、2010年 JXホールディングス(株)総務部長、2012年 JX日鉱日石不動産(株)常務取締役、2014年JX日鉱日石ビジネスサービス(株)代表取締役社長、2016年 JXビジネスサービス(株)代表取締役社長、2016年 JX不動産(株)代表取締役社長、2017年4月より現職。       text:PSM  photo:Junji TAKAHASHI        
障がいのある方が作る、おいしいパンが社内で大人気!~JXTGエネルギー株式会社~(2)

障がいのある方が作る、おいしいパンが社内で大人気!~JXTGエネルギー株式会社~(2)

JXTGエネルギー株式会社では、定期的に本社ビルで、障がいのある方が製造・販売する『ころ・ころ』のパン販売会を開催しています。障がいのある方が活躍できる社会づくりへの貢献の一環として行っているもので、毎回、会場前にはオープンを待つ社員の長蛇の列ができる、大人気のイベントです! 『ころ・ころ』を運営するコロニー中野は、社会福祉法人東京コロニーの一事業所で、身体・知的・精神の3つの障がいを対象に「障がいのある人が働くため」の就労継続支援事業A型(雇用型)とB型(非雇用型:いわゆる施設利用者)、「就職するための支援と訓練を行う」就労移行支援事業、障がいが重くても「働く」ということに主軸を置いてサポートを行う生活介護事業の4つの機能を持つ、定員80名の多機能型事業所です。 『ころ・ころ』は2008年5月に店舗営業を開始し、現在9名の障がいをもった方が働いています。就労を目指す人は接客、清掃、厨房作業を通してビジネスマナーの習得や作業効率の向上に取り組み、それ以外の人は日々の作業の中で少しでもできることを増やせるように日々取り組んでいます。   『ころ・ころ』の最大の目的は利用者の就労支援です。就労移行ではパン作りや接客を通して、より一般就労に近い形で労働経験ができる『ころ・ころ』でしっかりと社会人としての基礎を身につけてもらい、就労に必要な支援をしています。また、ここで継続して働くことを希望する利用者(B型利用)のためには働きやすい環境作りと売上アップによる工賃の向上を目指した取り組みを行っています。 福祉施設とはいえ売上確保は絶対条件。そのため法人内の他事業所への販売を手始めに、近隣の施設との委託販売の契約、地域の企業への昼食販売やイベントへの出張販売など外部販売に注力しています。 パンの種類としては、特に天然酵母の「あこ」酵母を使ったパンに力を入れており、体に良い材料だけを使用。パンだけではなく、ベーキングパウダーを使用せず焼き上げるシフォンケーキや、グラノーラ、クッキー類の焼菓子も人気です。また、中野在住のフルーツカッティング界で著名な平野泰三先生から「中野区逸品コンテスト」でグランプリに輝いた「生フルーツゼリー」レシピの無償提供を受け、製造販売をしています。   店舗には地域のグループの方や夫婦、親子連れが昼食やティータイムに来店、地域の憩いの場としても利用されています。現在では売上も年商1400万を超えるまでになり、 「さらに多くの方に利用していただく就労支援の場として工賃アップと処遇改善のため、これからもおいしいパン作りに励んでいきたい」、とのこと。今後も活動に注目です!
“本気で” パラスポーツを 応援します! ~JXTGエネルギー株式会社~(1)

“本気で” パラスポーツを 応援します! ~JXTGエネルギー株式会社~(1)

選手への活動支援や大会運営のサポート、普及活動への協力など パラスポーツを応援する企業が増えている。 ENEOSのガソリンスタンドを展開しているJXTGエネルギーは、 オリンピックとパラリンピックを分け隔てなく、 「東京2020を目指すすべての人に熱いエネルギーを。 その想いで今こそひとつになろう」とスポーツを応援している。   JXTGエネルギーは東京2020ゴールドパートナー(石油・ガス・水素・電気供給)として東京大会をバックアップするだけでなく、社員が試合会場でスタッフとしてボランティアしたり、観戦してスポーツを盛り上げるなど、選手たちとともに活動している。 2019年5月10日~12日に開催された「天皇杯 第47回日本車いすバスケットボール選手権」は、車いすバスケットボールの日本チャンピオンチームが決まる伝統の大会だ。同社は協賛企業として開催を支えるととともに、多くの社員が応援観戦サポーターやボランティアとして参加した。 大会会場は東京パラリンピックで同種目の会場となる武蔵野の森総合スポーツプラザ。そのため、2020年のパラリンピックを目指す選手たちにとっては、本番へ向けてのテストマッチとして例年以上に重要な大会となった。 同社社員の西村元樹さん(根岸製油所 製油技術Gr.)も「パラ神奈川スポーツクラブ」のメンバーとして出場。結果、4位となったが、西村さんは、「今大会はキャプテンとして臨んだ初めての天皇杯でした。日に日にチーム力が上がっていくのを実感していましたが、力及ばずベスト4という結果。個々の力は十分そろっていると思うので、来年はチームとしての底力を強化し優勝を勝ち取ります」 と、新たな目標に向かって練習を再開している。 車いすバスケットボールはスポーツエンタテイメントとしても注目されている。今大会には有料チケット席が用意され、総勢1万8千名を超える観客が来場して、選手たちに熱い声援を送った。 同社からも総勢54名の社員とその家族がENEOS応援観戦サポーターとして参加した。同社キャラクターのエネゴリくんタオルや応援グッズを手に、選手たちの迫力あるプレーに圧倒されながら、西村さんをはじめ多数の選手を声がかれるまで応援した。これまでに500名以上の社員が観戦を経験しており、社内にはパラスポーツファンが急増中という。     左)東京2020パラリンピックを目指す選手への応援メッセージをハート型の折り紙に書いて届けるENEOSおりがみPROJECTを展開している 右)参加者の笑顔があふれる体験イベントも積極的に開催。ボランティア参加する社員も一緒になって楽しむ   JXTGエネルギーが協賛するパラスポーツ (一社)日本身体障害者スキー協会〈全国身体障害者スキー大会〉 日本身体障害者スキー協会が主催する「全国身体障害者スキー大会」は、1972年から開催され、障がい者スキーの普及とスキーを通した障がい者の社会参加の促進につながる大会となっています。JXTGエネルギーは1981年より同大会をサポートしています。   (一社)日本身体障がい者水泳連盟〈日本パラ水泳選手権大会〉 日本身体障がい者水泳連盟が主催する「日本パラ水泳選手権大会」は、1984年から開催され、水泳競技の魅力を知ってもらうとともに、東京2020パラリンピックへつながる大会となっています。JXTGエネルギーは2016年より同大会をサポートしています。 (NPO)日本身体障害者野球連盟〈身体障害者野球大会〉 日本身体障害者野球連盟などが主催する「全国身体障害者野球大会」は、1993年から続く身体障がい者野球の国内最大規模の大会で、加盟37チームの中から、地区予選成績をもとに選抜された16チームが日本一を目指して戦います。JXTGエネルギーは2007年よりサポートしています。
創業40周年を迎えた、株式会社エイジスの社会的対応力

創業40周年を迎えた、株式会社エイジスの社会的対応力

「『エイジス』は、じつは小売業界の間ではちょっと知れた存在なんです(笑)」   と言うのは、株式会社エイジスの代表取締役社長である齋藤昭生氏。日本初の棚卸業者として創業した同社は、世界各国でリテイルサポート事業を展開。現在、大手コンビニやスーパー、ドラッグストアなど棚卸業のアウトソーサーとして年間約21万店舗の棚卸を請け負っており、国内シェアは約8割という、知る人ぞ知る業界大手だ。   そのエイジスが、創業40周年を迎えた昨年、車いすバスケットボールチーム「千葉ホークス」のオフィシャルサポーター就任を実現した根底には、今は亡き創業者の意思がある。 「私の父である創業者、故・齋藤茂昭は、自宅近くにあった知的障がい者の通勤寮が県の方針で閉鎖されることを知ります。それでよく調べてみたら、当時は障がい者に対するバリアが厚く、自立するためのサポートがまったく不足してたんですね。   そこで父は立ち上がり、2005年に社会福祉法人『斉信会』を設立し、その場所を新たに開所することになります(※斉信会は千葉市花見川区に現在4つの施設を運営)。   父は『この世から障がい者という言葉がなくなる日が来てほしい』といつも言っていました。障がい者、健常者と区別するのでなく、同じひとりの人間として、同じ社会の構成員のひとりとして、その人らしい自立した生活ができる世の中になればいいという想いです。これからもその意思を受け継ぎ、少しでも貢献したいと考えています」   また、エイジスは障がい者の雇用にも積極的で、2010年には特例子会社「エイジスコーポレートサービス」を設立。現在、従業員数40名のうち障がい者30名が就労している。   「長年、障がい者支援活動をしてきましたが、今回新たに『千葉ホークス』への支援が加わりました。じつは、社内研修で代表の田中恒一さんにスピーチをお願いした時、『みなさん、夢はありますか?』との問いに挙手した社員は数人でした。   田中さんには、〝車いすバスケのプロリーグをつくる〞という夢があり、その想いを胸に生きる姿勢は、私を含め、少なからず従業員の心を刺激しました。そしてあらためて確信しました。健常者が障がい者をサポートするだけではなく、障がい者に健常者もサポートされているのだと。 どちらか一方通行ではなく、お互いに共存できる世の中。先代の言う、障がい者という言葉がなくなる世の中へ、少しでも近づくことを夢に、今後も支援を続けていければ、と強く感じています」   エイジスは、昨年日本で開かれた障がい者アートのワールドカップ「パラリンアート世界大会」にも協賛した。 〝この世から障がい者という言葉がなくなる日〞を夢見て、エイジスの活動はまだまだ続く。 取材・文/高橋佳子 写真/高橋淳司

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